質問コーナー(AnsQ)分類

1.航空機関係 1601 - 1700


No.
内容
1601 日本陸海軍の試作機(または量産機)による「互乗研究会」に付いての質問です。

陸海軍で試作機(または量産機)を持ち寄り双方のパイロットが搭乗して評価する研究会だったようですが
個人的に持っている書籍には”局地戦闘機「雷電」”(秋本洋二氏著作 文春文庫[旧サンケイ出版・朝日ソノラマ]の
1942年11月の十四試局戦・十三試双発局戦(以上海軍側)と二式戦闘機・三式戦によるもの(多分公式なもの)と
また、これは的から外れるかも知れませんが雑誌「丸」1992年11月号掲載 谷水竹雄氏寄稿文中の1945年5月頃の
日本海軍戦闘三〇三飛行隊による鹿児島基地での三式戦・五式戦(万世飛行場所属機)搭乗記事(多分非公式なもの)
くらいしか見当たりませんでした。
こういった陸海軍が機体を持ち寄り搭乗し評価しあうような研究会は少ないながらも他にも行われたのでしょうか。
もしあったのなら書籍名を含んで御教示いただけると助かります。
1602 航空機関係質問1598で、三式戦機内色の塗粧についてこの板の識者の皆様には大変お世話になりました。

さて武器・装備全般質問875で述べたように私はハ〇ガワの二式複戦屠龍丙型のプラモも所有しているのですが、組立説明書ではコクピットはじめ機体内部色がカーキ色で指定されています。

ここで疑問が生じました。三式戦と異なり二式複戦の現存機は胴体のみが米国に残っているだけ。組立説明書(いわゆる二次資料)の指定は同じ川崎製戦闘機の三式戦に関する旧説からの類推ではないか?と。

この場合、先の質問で示された新説に従って灰色系で塗るべきか、いわゆる黄緑色七号の黄変色だと割り切って黄茶系で塗るべきか迷ってしまいます。どちらの可能性が高いのでしょうか?

自分では考証にはこだわらない方だと思っていましたが、いやしくもかの木村泰造氏の流れを汲むモデルビルダーとして、くどいと思いつつ念には念を入れてこの板に質問させていただくしだいです。
1603 前々から思っていた素朴な疑問ですが、ネットや文献にあるカタログスペックで、第二次世界大戦時の爆撃機、攻撃機或いは戦闘機の爆弾搭載量はどういう基準で決められていたのでしょうか?
例えば一式陸攻は800kg、B25は1326kgとか有りますが、それ以上積んでも問題無さそうですし(笑)
1604 ドイツ空軍の左右非対称偵察機Bv141について質問します。

「単発でかつできるだけ良好な視界を確保すること」をコンセプトとして設計された、航空機史上最も奇抜な左右非対称機Bv141ですが、以外にも操縦性、飛行性能はライバルのFw189より優れ、欠陥はエンジン回り、油圧系統の補器類の不具合のみだったそうです。

設計者のリヒャルト・フォークト博士は機体構造力学、空気力学の専門家(日本の川崎航空機の技術顧問として、土井武夫技師らに影響を与えた)で、機体力学的整合性とコンセプトを満たしていれば、機体の外形にはこだわらない人だったのかも知れません。

さて私個人的な質問として、その後の技術進歩をうけて、Bv141と同様の配置の機体が実用化されないのは何故でしょうか?遊覧飛行機ないし、COIN機としては非常に魅力的な配置だと思われるのですが。

やはり人も飛行機も見た目が十割で、最初のBv141の印象が悪すぎたせいでしょうか?
1605 九三式双軽のwiki内に、九三式双軽1機を指揮機に九三式単軽2〜3機で編成した爆撃小隊が爆撃隊の主流になったとあり、これは陸軍内部で軽爆撃機は単発が良いか双発が良いかの議論があり、その折衷案と有ります。
陸軍内部ではなにを単発か?双発か?で悩んでたのでしょうか?
1606 質問1598の関連質問です。

今ハ〇ガワの飛燕のプラモを作っているのですが、飛燕には胴体左側面の操縦席前方にベンチュリー管が設けてあり(無い機体もあります)、調べてみるとその用途は飛行中の空気負圧によって、操縦席の三式照準器に組み込まれてあるジャイロを駆動させるためとありました。

さて飛燕の兄弟機とも言えるイタリア空軍のマッキC202戦闘機にも、胴体下面ラジエター前にベンチュリー管が設けてある例(無い機体もあります)があるのですが、この場合の用途は何のためでなのでしょうか?どなたかご存じの方がいらしたら、どうか教えてください。

1607  二重反転恒速プロペラのピッチ角の制御はどのように行っているのですか?

 後段のプロペラは前段のプロペラのため加速させられた風の中で駆動するため、前段と後段では適切なピッチ角度が異なるはずです。

 前段と後段のピッチ角をそれぞれ別々に制御する場合、ピッチ角はどのように決定されるのでしょうか?

 それとも「前段のピッチ角が〇度の時は後段のピッチ角は◇度」みたいなあらかじめ決められた比率でピッチ角が決まっているのでしょうか?
1608 WW2中の米空母は、予備機を格納庫屋根から吊り下げることができたそうですが、プロペラや垂直尾翼などで相当な高さが必要だと思います。
エセックス級の格納庫高が5.3mで、これにぶら下げるとかえって格納庫をスペースを圧迫してしまいそうです。
予備機はペラや垂直尾翼の取り外しなどをしていたのでしょうか?
1609 戦艦・巡洋艦の艦載水偵についてです。
イギリスの単発飛行艇、シーガル、ウォーラス、最後はシーオターになるシリーズは本来は艦載水偵だそうですが、疑問はなぜいわゆるゲタばき機ではなく飛行艇の形式を選んだかという点です。
ゲタばき機がなかったわけではないみたいだし、性能的にはあまり変わらない。日米海軍はゲタばき機を使っています。
イギリス海軍独特の考え方があって、それが飛行艇形式の採用となって表れたのでしょうか。

同じ疑問を日本海軍の九六式・九八式夜偵にも感じています。
夜偵の任務は結局九四水偵に置き換わってますが、なぜ最初に飛行艇形式で開発が進んだのでしょう。
1610 質問1548の関連質問です。陸軍三式戦闘機飛燕には機種上面の黒色防眩塗装について、機体上面色べた塗りのもの(飛行第55戦隊、56戦隊など)と最後まで黒色防眩塗装を実施したもの(飛行244戦隊など)が混在しています。

川崎系3式戦、5式戦には中島系1式戦、2式戦、4式戦のような機首上面黒色塗装に関する塗粧規定とかなかったのでしょうか?
1611  映画「燃ゆる大空」で不時着した仲間を九七戦の胴体右側から機内に乗せるシーンがあります。おそらく点検口から乗せていると思いますがカメラは左側から撮っているので詳しくは見えません。
 あくまで応急策だと思いますが、その後の戦闘機でもこのような運用は可能だったのでしょうか? 映画「バトル オブ ブリテン」ではハリケーンのコクピットに応急策で2人乗りしています。
 九七戦のように胴体にデカい点検口がある戦闘機は少数派でしょうか?
1612 北アフリカ戦線に配備されたBf109(主にF型)には、主脚ホイールの外縁に沿ってホイール及びタイヤにかけて白いサークル状の塗粧を施したものがあるのですが、あれは何のために行われていたのでしょうか?
それとも特に機材上の意味はなく(全部の機体に施されているわけではないので)、単に地上でのJG27?の部隊識別章のようなものなのでしょうか?
1613 零式三座水偵は、九七式三号艦攻に比べ、双フロートというハンデがあるにもかかわらず、ほぼ同程度の速度を発揮します。(367km/hと377.8km/h。Wikiより)
主翼面積、エンジン出力が大差ないのにこれだけの性能が発揮できたのはなぜでしょうか?
引込脚がない分、主翼を薄くできたのでしょうか?
1614 九七式司令部偵察機二型と九八式陸上偵察機一一型は、
どちらも瑞星系エンジンを使用していますが、スペックにかなりの差があます。

※Wikipediaより
司偵 最高速度:510km/h(高度4,330 m) 航続距離: 2,400km
陸偵 最高速度:468km/h(高度不明) 航続距離:1,167km

あやふやで恐縮なのですが、陸軍は司偵用に質のよい燃料を用意していた(97式か100式か不明)と何かで読んだ記憶があります。
そのせいなのかとも思ったのですが、瑞星一〇型であれば87オクタンで十分に思えます。

これも記憶ベースですが、司偵(一型?)のテスト時に「司偵発案者の藤田雄蔵少佐が少々突っ込んで出したのではないか」という回想を読んだこともあります。

このスペック差は燃料か、計測条件の違いなのか、それとも他の要因でしょうか?


1615 WW2当時の日米空母の搭載数の差は、搭載機の主翼の折り畳み方式で生じていると思っていましたが、改めて考えると、
開戦時主翼が折りたためるのはTBDだけで、F4FもSBDも折り畳み無しです。
TBDも九七艦攻と同じ一般的な折り畳み方式で、米軍にスペースメリットがあったように見えません。
これは日本海軍の方が余裕を持たせていたという事でしょうか?

1616 NHKの「戦争証言アーカイブス」の映像、日本ニュース第217号(1944年7月27日公開)”緬印航空基地”を見て気がついたのですが
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300345_00000&seg_number=002
二式戦闘機の翼(機銃穴)に太いカヴァーらしきものが付いています。
当初は単純にホ301装備のII型乙か?と思っていましたが、ホ301装備機の写真を見ても形状が全く異なっています。
これは検閲用の機銃穴カヴァーなんでしょうか。
御存知の方がいらっしゃいましたら御教示お願い致します。
1617 福生の航空審査部で、P-51、Fw190A、三式戦が模擬空戦を行ったとき、三式戦の形式は、I型、II型のどちらだったのでしょうか。
1618 飛龍の尾部銃座は写真で見ると初期の一式陸攻のようにスリット付きの風防で、敵機を追いづらそうです。

1.一式陸攻は頻繁に改良しているようですが、どうして「四式」の時代に古いタイプを採用したのでしょうか。

2.13ミリ連装になった乙型でもスリット式だったのでしょうか?
1619 ダイムラーベンツDB601の発熱はどの程度のものだったのでしょうか。
というのも、とあるフライトシミュレーションゲームでDB601系統のエンジンはすぐにオーバーヒートしてカタログスペック通りの性能が出せないのを疑問に思って質問させていただきました。
調べてみても「マニュアルでは1.4ataで発動機を回すのは1分に制限されてるからオーバーヒートしやすいエンジンだ」といった意見から
「摩耗を防ぐ為に1分にしてるだけでエンジンは問題ない」といったようなもの(英語力が残念なのでまちがってるかも)までまちまちで
いまいち納得しかねます。
実際の所DB601はオーバーヒートしやすいのか
他の発動機と比べてどうなのか
教えて下さい。

1620 AN/APS 20を搭載したTBM-3Wは対潜哨戒に使われたそうですが、ADスカイレイダーやB-17に搭載した時は早期警戒機として使われています。
同じレーダーで対空・対水上は兼用できるのでしょうか。
1621 複葉から単葉に直接改造してできた飛行機ってあるんですか?
1622 #1620で教えていただいたTBM-3Wの画像 http://jproc.ca/rrp/rrp3/tbm3w_cutaway_ab.jpg
を見ると、胴体内スペースのかなりを電子機器が占めていました。

後継機のADスカイレイダーは胴体タンク1つに絞ったのが特徴だそうですが、
AEW型はオペレーターや電子機器との場所取りはどうしていたのでしょうか?

1623 日本陸軍の三式連絡機についてなのですが、同機は尾輪ではなく尾橇式となっています。
わちさんぺい氏著「空のよもやま物語」では離着陸の滑走を指して「やすりをかけるようなもの」と表現され、一度の飛行作業ごとに尾橇を取り外して溶接工場へ持ち込み鉄片を盛ってもらう……といった描写がありました。
同氏は尾橇を尾輪に交換して問題を解決しているのですが、三式連絡機が配備された他の部隊でもこのような尾橇に関する不満や改善案などが出ていたのでしょうか?
ご存知の方がおられましたらご教示頂きたく、宜しくお願い致します。
1624 1945年6月7日の第3次大阪大空襲について書かれた書物をみていると、「B29約250機以上と少数のB24」が飛来したとの記述が多くみられます。これは何に基づいているのでしょうか。また、B24は航続距離が短いかと思いますが、マリアナ諸島から日本を空襲することは可能でしょうか。
よろしくお願いします。
1625 いわゆる震電改について質問です。

震電にジェットエンジンを積むという計画は実在したのでしょうか。個人的には戦後になってから「やろうと思えばできたと思う」という回想から伝言ゲーム的に生まれたもののような気がしています。

実在の計画をご存じの方がおられましたらご教示ください。
1626 第二次大戦中の米軍パイロットの「flight commander」とはどのように日本語に訳すのが適当なのでしょうか。
そして、その役割はどのようなものだったのでしょうか。
1627 MG213は機関部が嵩張った形に見えますが、当時の戦闘機に搭載できたのでしょうか。Bf109、Fw190とも小柄な機体で、主翼に収まらないように思えます。

1628 硫黄島にいた第72戦闘機スコードロンのミッションレポートを見ていると、4人のパイロットが「RED」、「BLUE」、「YELLOW」、「GREEN」、「SPARE」に割り振られていました。
「RED」、「BLUE」、「YELLOW」、「GREEN」は各編隊にふられたコードネームのようなものと理解できるのですが、「SPARE」に関しては、文字通り、何かあった場合の「予備」の編隊とみていいのでしょうか。
ご存じの方がおられましたら、よろしくお願いいたします。
1629 アメリカ軍の戦闘機や爆撃機の機種によく愛称やマーク(アメリカのサイトではCowling Nameとされていました)が描かれています。
写真などをみていると描かれていないものの方が多いかと思いますが、これはどのような基準で描かれたものなのでしょうか。
例えば、戦闘機であれば大尉以上のもの、あるいはフライトコマンダーであれば許されたなどの、基準はあるのでしょうか。
1630 色々調べてもわからないのですが、一式陸攻はなぜ爆弾槽扉が脱着式なのでしょうか。
九七重で開閉式を経験済みなので不思議です。
1631 空対空ミサイルって、最後まで燃焼しているのでしょうか?途中から滑空しているのでしょうか?
1632 日本陸軍機の緑色斑迷彩について質問します。

日本陸軍航空隊においては戦闘機、爆撃機を問わず緑色斑もしくは波型迷彩が広く採用されています。

一方日本海軍航空隊においては(南太平洋開戦時の隼鷹零戦隊のような例外はあるにせよ)緑色迷彩の場合はベタ塗りが基本になっているように思えます。

この違いはどこから来るのでしょうか?

陸軍の方が緑色塗料の需要が逼迫して、迷彩効果を上げるギリギリまで塗料を節約したという俗説?があるいは正しいのでしょうか?

1633 1980年前後だと記憶するのですが、熊本空港?で開かれた飛行機展示会に行った事があります。

まだ小学校だったのであまり覚えていないのですが、
水冷の迷彩機(Bf109かスピット。それとも飛燕?)やオレンジ色か黄色の無尾翼機など、
地方のイベントとは思えない豪華さでした。

それでわからないのが、黄色系の無尾翼機です。
ズンドウで機種から腹部が船のようなカーブで、非デルタの無尾翼でした。
Me163か秋水のような気がするのですが、当時実機が国内にあったのでしょうか?

実はいつのころ化の記憶もあやふやなのですが、ちょうど彗星の復元や二式大艇の返還をTVで見た記憶があるので1980年頃ではないかと推測した次第です。
1634 零戦三二型の生産が17年末に始まっていますが、
なぜ三二型の主翼ではなく二一型と同じ長い主翼なのでしょうか。

二二型はガダルカナル航空戦での三二型の滞空時間問題のため
急遽開発されたという事ですが、
それなら三二型の生産ラインを活かして外翼にタンク増設
する方が早く生産に入れる気がします。

改良による重量増加が理由かとも考えましたが、、
二二型の生産開始後数カ月で五二型に切り替わるのであれば
それが理由ではないとも思えます。

翼面荷重を減らすのであれば、
より大重量の五二丙型や六二型こそ広い主翼が必要だと思います。
1635 歴史上初めて航空機で航空機を撃墜したパイロットは誰になるのでしょうか?
ウィキペディアでは最初に敵パイロットを殺したのはフランスのジャン・ナヴァルと書かれているのですが、
死亡に至らない撃墜だとそれ以前にもあったのでしょうか?
1636 P51などのプロペラの基部に装着されている「cuff」(カフ・カフス)はどのような役割をもっているのでしょうか?
また、素材はどのようなものだったのでしょうか?
ご教示をお願いたします。
1638 日本陸軍の戦闘機飛行戦隊について質問します。

日本陸軍の戦闘機戦隊には、使用機材が大きく分けて中島系(97式戦→一式戦又は二式単戦→四式戦)と川崎系(95式戦→三式戦→五式戦)の2つの系統があると思います。
さて、それぞれの戦隊に所属するパイロットの転属・再編などを行うにあたって、特に戦時においては機材の慣熟期間を短縮する等のため、過去の搭乗履歴の系統を配慮して部隊配属を行っていたのでしょうか?

私の知る限り系統違いの例は戦隊では飛行244戦隊(97式戦→三式戦:ただし
三桁の特設飛行戦隊)、個人では檜与平少佐(一式戦→五式戦:ただし戦争末期で人事組織運営はもうメチャメチャ)ぐらいしか寡聞にして知りません。

パイロットの人事考査の際、「こいつは一式で中島に慣れてるから四式部隊へ配属」「こいつは三式で川崎製に乗ってたから五式部隊に優先的に配属(まあ、操縦系統はほとんど共通)」などということが行われていたのでしょうか?

それとも戦時における機種転換というものは、機材の系統が違ってもパイロットはみんな新型高性能機が欲しいわけですから、私が思うよりも案外スムースに受け入れられ、現場からは文句なく行われていたのでしょうか?
1639 紫電一一型はなぜ20mm銃をガンポッドで装備したのでしょうか。
強風からの改造なので主翼はスペースがありそうですし、実際一一乙型ではすべて翼内装備になっています。
1640 P51による日本の本土攻撃に際しての報告に一つのスコードロンを「Top cover」として進んだなど、「Top cover」という表現が頻出します。これは、どのような状況を示しているのでしょうか?
上空からの援護というようなものなのでしょうか?
1641 1624で大阪空襲にB24が云々という質問が有ったので
思いだしたのですが、私が小学生の時学校の図書室にあった太平洋戦争の本に
日本に来襲した米軍機と言うのがあって
その中にB24、P-38と記述されてた記憶があります。
P-38も本土に来襲してたのでしょうか?
来襲してたとしたら沖縄陥落後で偵察機型が主と言うことでしょうか?確か沖縄陥落後は、P-47Nも来襲し343空と交戦してるみたいですし。
1642 キ94IIの写真を見ると、機体の周りに柱が沢山あって、作業や移動がしづらいように見えます。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/キ94_(航空機)
空襲や地震に備えたものでしょうか?
1643
ドイツの計画機でモックアップは作られたが中止になったフォッケウルフの Fwフリッツアーを調べていまして、
二つ三つ見つけましたが、一つ気になることが有りました。

https://www.reddit.com/r/Warthunder/comments/dd2r0d/gaijin_please_fockewulf_flitzer/
上記のスペックでは、推定値になるわけですが、
(最高速度-ジェットのみで516MPH、ロケット併用で593 MPH)
(上昇率-ジェットのみで3,600Ft / Min、ロケット併用で25,000 Ft / Min)とあります。

推力が、ジェット(1300kg)ロケット(1800kg)として、 
推力が(2.4倍)で、速度が(1.15倍)
上昇率が(約7倍)になるものなのでしょうか、
知識が少ないので、速度についてはそうなのかなと思いますが、
上昇率がおかしいのではと思います、ご教示お願い致します。

ウォーサンダーでは、(上昇率:18.2m / s)だけの記述です。
(最高速度-ジェットのみで830kmh、ロケット併用で955kmh)
https://forum.warthunder.com/index.php?/topic/478516-focke-wulf-flitzer-german-jet-fighter-from-ww2/
他に
http://www.luft46.com/fw/fwflitz.html
https://www.nevingtonwarmuseum.com/fw-flitzer.html

ついでの質問なのですが、このフリッツアーの変形のアイデアだけだったと思いますが、
回転軸から前方へ延長し減速歯車を介してプロペラを回す
ターボプロップもどきの機体についてご存じの方お教えくださいお願い致します。
1644 TBMアヴェンジャーの搭乗員のうち、パイロットを除く「Aviation Ordnanceman」と「Aviation Radioman」ですが、日本語ではどのように表現するのが適切でしょうか?
ご存知の方おられましたら、よろしくお願いします。
1645 素人質問ですが
WW2の薄翼機を見ていて、ふと思ったので翼厚比について以下質問させて下さい。
(今回例)
一式陸上攻撃機 翼根12.5% 翼端10%
スピットファイア 翼根13.5% 翼端6%
(一般的な例として)F4F 翼根15% 翼端9%

・一式陸攻は翼根は非常に薄翼で全体的に薄い翼といえますが、失速特性が悪いという話は聞きません。翼端失速であれば、翼端が一般的な翼厚比である限り薄翼は失速特性に悪影響を与えないですか?それともスピットファイア同様に戦闘機では問題になる主翼断面構成ですか?(強度面は除く)

・そもそも空力的な意味合いで翼厚比を翼端で小さくする理由は何ですか?(強度面は除く)
豚の知る模型飛行機では全部一貫して薄翼ですが。
もっと重量のある飛行機で、薄翼で翼端失速に強い飛行機というのは実現難しいのでしょうか。
1646 A-1 スカイレイダーについてお伺いします。SB2CやTBFが複座や三座であったのに、後継のスカイレイダーが単座になったのは、何故なのでしょうか?
技術的な進歩があったなのか、想定される任務がかわったためなのか、お教えいただきました幸いです。
1647 日本海軍が零戦以降、烈風まで艦戦を試作しなかった理由は何でしょうか。

条約制限下で空母改装を前提にした覆面軍艦や商船を熱心に用意していたのに比べると、不思議です。

米海軍はレシプロだけでもXF5F、F6F、F7F、F8F、F4U、XF5U、F2G、XF8B、XF14C、XFL……、英海軍もシーフルマー、ファイアフライ、ハリケーン、シーファイア、シーファング、シーフューリーと開発を進めています。

陸戦・局戦は後の月光、雷電、紫電、十七試陸戦、陣風、閃電、天雷、震電……と多数計画されており、あえて基地航空隊を重視していたようにも見えます。
1648 一式陸攻一一型の爆弾倉解放時(要はフタ無いとき)の速度低下を探しています。
一応過去ログも見ましたが、重複していたらすみません。
1649 大戦中のイタリア軍機のカプロニCa311についてです。
胴体上部に銃座がありますがブレダ SAFAT 7.7mm機関銃の他に
用途不明のアンテナ状のものが伸びていますがアレは一体何なのでしょうか。
1650 豊中市の中学校所蔵の木製落下タンクが期間限定で人権平和センター豊中で展示されていました。

木製の落下タンクで塗色は灰色でオリジナルのようです。ラベルの容量が200リットルとされていますので、いわゆる「統一型増槽二型」にあたるものかと思います。

形状、給油口、バルブなどは高松市平和記念館所蔵のもの(
http://jmapps.ne.jp/takamatsu_bunka_center/det.html?data_id=2513)と同じで、貼付けされた2枚のラベルのうち、「取扱注意事項」のラベルは様式は異なるものの内容は一致しています。

豊中市の方のもう一枚のラベルには「名称:標準型木製落下タンク、製造年月日:19.9.30、容量:200立、製造所:東洋金属木工株式会社」などほか、番号、検印、自重、試壓の記載があります。

来歴はよくわからないそうですが、場所的に伊丹飛行場(大阪第二飛行場)の陸軍飛行隊などに関係するものかとも思うのですが、製造会社やタンクそのものにつきまして、何か情報をご存知の方がおられましたら、ご教示をお願いいたします。
1651 現代の戦闘機について調べていると、度々「ブロックxx」という言葉を目にします。ボンヤリ型番の様なものだと想像はできるのですが、正確な意味、定義を知りたいです。識者のご教示をいただければ幸いです。
1652 ドイツ空軍機のプロペラスピンナーの意匠について質問します。

ドイツ空軍機、別けても戦闘機、Bf109やFw190などで特徴的な物としてプロペラスピンナーのスパイラル模様(対空砲火よけの意)が有名ですが、これとは別にプロペラスピンナーを正面から見て60度〜120度ぐらいの範囲で塗り分ける意匠があります。

調べるとBf109E-4ないしE-7ぐらいから始まっているようですが、他国には類を見ないこのプロペラスピンナーの二色塗り分けの意匠は、前記スパイラル模様にあるように何らかの意があって行われたものだと思います。

このプロペラスピンナーの意匠について、その意味ないし起源についてどうか教えてください。
1653 第二次大戦時のソ連戦闘機と言えばYakシリーズ、Laシリーズが双璧ですが
その中でYak3の位置付けが今一つ分かりません。高性能な戦闘機と言うのは分かりますが、yak9から置き換えようという風にも見えません。更にyak9PやLa-9、La-11のような大戦後の機体もありません。ある意味その場しのぎの高性能機ということでしょうか?
1654 中島九一式戦闘機一型(ジュ式発動機装備)についての質問です。
現在一般的に見られる九一式戦闘機の図では機首下部に張り出した整流覆(正式名称不明)は、左右に少し離れて並んだ2つの大きな突起として表現されています。(図A参照)
確かに、気化器空気取入口に取り付けられたエアスクープは一見左右に分離されているように見えます。
しかし、気化器本体の空気取入口は機首より下に結構突出していて、底部は左右水平で、中央が窪んでいるわけではありません。
したがって、あの位置で機首下部整流覆を左右に振り分けることはできません。
このことから、図Bのようになっているのではないかと私は考えています。
同エンジンで機首がほぼ同じ形状のBristol Bulldog MkII も、そのようになっています 。
https://c7.alamy.com/comp/2BW3NA5/a-bristol-bulldog-mk-ii-a-of-no-17-squadron-royal-air-force-at-royal-air-force-station-kenley-surrey-registration-k2216-following-its-accident-left-in-which-on-landing-while-braking-the-plane-overturned-the-pilot-was-left-the-crash-alive-however-the-airplane-damage-was-beyond-repair-the-crash-happened-during-rehearsals-for-empire-air-day-which-is-to-be-held-this-month-on-this-day-raf-aerodromes-will-be-thrown-open-for-public-inspection-photo-shows-s-the-bristol-bulldog-being-righted-by-ground-personal-post-accident-7-may-1936-2BW3NA5.jpg

ただ、機首下面を明瞭に確認できる写真をいまだ見つけられずにいます。
九一式戦闘機一型の機首の下から撮られた写真をご存知の方はおられませんでしょうか。
画像掲示板に図をアップしました
1655 第一次大戦時、軍事気球を多数落としたパイロットは、バルーンハンターなる称号を得たみたいですが
V-1飛行爆弾、ドローン、亜音速巡航ミサイルの類いを
ある一定数を墜したパイロットもエースパイロットと同じような扱いを受けるのでしょうか?
1656 1945年版米軍の日本軍機ハンドブックによると(OPNAV-16-VT TAIC manual No.1)でJill-12の最高速度が327mph(15100ft.)/297mph(SL.)となっているのですが、天山本来の飛行性能ってこんなにあるのですか?
なるべくなら日本側の根拠をお願いいたします。
1657 実用されなかった試作上、あるいは設計理論上でも構いませんが、星形空冷エンジンでプロペラ軸を通してのモーターカノンは可能なのでしょうか?
1658 第二次大戦時のレシプロ機は飛行中、高度、速度の高低で燃調とか行ってたのでしょうか?行ってたとしたら電子制御がない時代どういう仕組みで制御してたのでしょうか?
1659
https://ww2aircraft.net/forum/attachments/aviation_week_fw-190-1-jpg.573050/
上記は(Aviation Week in October 1942)の一頁だそうですが、
左上の写真に見える、エンジン上部の三つの四角の物は何なのでしょうか、
ご存じの方お教えください。
1660 第二次世界大戦中のソ連のイリューシンIl-2 は、胴体の前半部には装甲が施されていました。この部分については、モノコック構造と説明しているものもあります。このことについて分からないところありますので、教えてください。
a. エンジン整備の時、どのように装甲部分を外すのでしょうか。プロペラを軸から外した後、先すぼまりの円筒状の装甲を前方に引っ張り出すのでしょうか。この部分と後方の接続はどのようになっていますか。単純にボルトとナットでしょうか。
b. 上記部分(エンジンを囲む部分)は、上部(厚さ6mm)と 両側面(4mm?) の少なくとも3部分があります。これらを一体化するのは溶接でしたか。
ではよろしくお願いいたします。
1661 この質問は航空機に限った話ではありません。
私は陸海空旧軍機器の細部形状についてずっと調べ続けています。
その過程で、この場(Ansq)を知り質問もさせていただきました。
質問事項は何年調べても分からない事柄ですので、もし私と同じ強い疑問を持つ人がいれば私と同じ場所を覗いているのではないかと思っています。
しかし、他の場所でもそうなのですが、反応がとても少ないです。
私はずっと一人で活動していますので探す場所も偏っていて、すでに他の場所で解決している事柄かもしれません。
ただ私はここ以上の場所を見つけることは出来ませんでした。
そこで質問ですが、Ansqに匹敵するような多人数の集まる質問,回答の場(誰でも無条件で)が他にもあれば教えて頂けるとありがたいです。
有無だけでも結構です。
1662 記憶モードですが旧日本陸軍航空隊において、地上攻撃機の分類は、前方固定武装が主、爆装が従なのが「襲撃機」、その反対が「(軽)爆撃機」だという記事を読んだことがあります。

さて、このことから類推して第二次大戦中の米陸軍航空隊の双発機をざっと見渡したところ、ミッチェル、マローダー、ベンチュア、ボストン、メリーランドなどいずれもグラスノーズあり、ソリッドノーズあり、武装も前方固定砲、固定機銃あり、爆装ありでAコード(攻撃機)、Bコード(爆撃機)を明確に分類する基準がわかりませんでした。中にはインベーダーのようにA→Bに機種コードが変更になったものもあり、実戦では機種コード区別の意味があまりないように思えます。

AないしBの機種コードは当初設計計画もしくは整備予算上の区別であって、両方とも実戦では戦術爆撃機として、混在あるいは併用されていたのでしょうか(あくまでも第二次大戦時の話として)?

例によって過去ログは調べたつもりですが、ぴったりくる内容のものがありませんでした。調査漏れで既出だったらどうもすいません。
1663 ソ連のLa-5、La-7、Tu-2 ドイツのFw190A 英国のテンペストII等の空冷エンジン搭載機のプロペラスピナーは、アメリカのP-47、F4U、F6F等のスピナーより太く見えますが、冷却用のエアー取り入れに何か違いがあったのでしょうか?
1664 下の質問で疑問に思ったのですが、どうして三式戦闘機飛燕でモーターカノンは
使用されなかったのでしょうか?
1665 ウィキペディアの第二次アキャブ作戦における戦闘機の損害は
日本側 65機
イギリス側 3機
とあり、損失機数でかなりの差があります。

何故これほどまで一方的な航空戦になってしまったのでしょうか。
ひょっとして、そもそもこの損失機数は不正確であり、実際は異なる損失機数だったりするのでしょうか。
1666 プロペラの翼標識の件でご教授頂きたい事がありまして投稿させて頂きました。
現状昭和16年以降で私としては3種類を確認していますが、空技廠・住友金属・陸海統制となっています。
陸海の航空本部の統制規定は昭和13年6月1日の紙資料で確認できますが、それ以外で空技廠と住友でそれぞれの様式による標識が混在していた理由は何故でしょうか?
宜しくお願い致します。
1667 メリットはほとんどないと思いますが、双発機でモーターカノンを使用した機体はあるのでしょうか?
1668
BV(138,141,144)には主翼下面で補助翼の前に(英語でパドルバランス)がついています。
一例として下記(他は後で書きます)
https://www.asisbiz.com/il2/Ar-196/SAGr125-7R/images/Blohm-und-Voss-Bv-138C1-3.SAGr125-at-Mamaia-on-the-Black-sea-Romania-Seeflieger-P52.jpg

http://www.cdvandt.org/BIOS-254.pdf
上記の最後のページに図が有ります。

(地面の穴)さんが、一部書き出してくれました。
The use of two paddles moving in opposite directions was adopted so as to overcome the effects of sideslip.
By judicious variation in the relative sizes and lever arms of the two paddles it is possible to arrange the requisite degree of aileron application with sideslip.
This gives a similar effect to dihedral on the wings.
横滑りの影響を克服するために、反対方向に動く2つのパドルの使用が採用されました。
2つのパドルの相対的なサイズとレバーアームを慎重に変化させることにより、必要な程度のエルロンの適用を横滑りで調整することができます。
これは、翼の二面角と同様の効果をもたらします。
(翼の二面角=翼の上反角)で良かったでしょうか?

これは横安定を良くする為のものだと思いますが具体的に良く分かりません、ご教示お願い致します。

(パドルのアップ)
https://www.google.co.jp/imgres?imgurl=https%3A%2F%2Fwww.secretprojects.co.uk%2Fdata%2Fattachments%2F132%2F132555-f34c86b4b45d86702988eaca25762c67.jpg&imgrefurl=https%3A%2F%2Fwww.secretprojects.co.uk%2Fthreads%2Fbv-141-lateral-artificial-stability.28959%2F&tbnid=qWk4zjcJFzawmM&vet=12ahUKEwjf1q7jjK_zAhX0TPUHHc0UDpwQMygAegQIARAX..i&docid=nAbT7glbDrFJAM&w=500&h=364&q=windscreen%20wiper&hl=ja&ved=2ahUKEwjf1q7jjK_zAhX0TPUHHc0UDpwQMygAegQIARAX

(BV144 の図)
https://www.google.co.jp/imgres?imgurl=https%3A%2F%2Fwww.secretprojects.co.uk%2Fdata%2Fattachments%2F85%2F85074-8e97e682a8d0e987c0b491ccb2892100.jpg&imgrefurl=https%3A%2F%2Fwww.secretprojects.co.uk%2Fthreads%2Fblohm-voss-bv-144.30357%2F&tbnid=IeI_L5zO9Bp3GM&vet=10CHoQMyihAWoXChMIoJfsiIGv8wIVAAAAAB0AAAAAEAI..i&docid=n-_JLlgYzTrC4M&w=500&h=220&q=blohm%20und%20voss%20bv%20144&ved=0CHoQMyihAWoXChMIoJfsiIGv8wIVAAAAAB0AAAAAEAI
1669 P-51マスタングに関してですが、マスタングを設計する際にノースアメリカン社の設計陣は、どうして燃料搭載量が多くなるような設計をしたのでしょうか?
確かマスタングが作られる背景は、英国に送るP-40より高性能の戦闘機が作れる←という事は近接支援が主任務で航続性能はそんなに望まれていなさそうですし
米陸軍航空隊の塩対応を鑑みると
米軍は戦闘機はP-47やP-38で充分、長距離爆撃の防御は爆撃機の自衛火器とコンバットボックスで対応
だと思うので航続性能は望まれてなかったと思うのですが…
1670 Wikipedia等にある零戦五四/六四型の自重は軽すぎないでしょうか?
1671 キ102乙はベース機のキ96から最高速度が20km/h近く低化していますが、復座化と旋回銃の追加がここまで影響を及ぼしたという事でしょうか。ナセルも小さくなっているのに複座化したら600km/hが出せなくなってしまったのは驚きます。
それとも別の要因があると考えられるのでしょうか。
1672 また航続性能に関する質問ですが(笑)
零戦が2号零戦(32型)にモデルチェンジする際に
あれほど拘った航続性能を落としています。
これは性能アップの為にはしょうがない
という事だったのでしょうか?
それとも何か具申があり21型までの航続性能は必要ないから、その分他の分野の性能アップに努めてくれ
という事だったのでしょうか?
1673 質問1662の関連質問です。

偶然ですが雑誌「歴史群像2021年10月号:蒼空の記憶」にB25ミッチェル襲撃機(質問1662によればBナンバーで襲撃機というのは表記矛盾になるので、正確にはB25のうち襲撃機型J、G、H型)の記事がありました(文:白石光)。

これによれば「都市をはじめ人工的に整備された地形が多いヨーロッパとは異なり、ジャングルの狭間に木造の小屋が点在するような、自然地形と人工地形が錯綜した太平洋戦域の島嶼部では、爆弾散布界が広い水平爆撃はあまり効果的ではなく、目標に向けて超低空で突進し、ピンポイントで爆撃を加える方が有効であることが判明した。」とあり、爆撃機的用途と襲撃機的用途の差を戦域の地形にあると記しています。さらにB25ミッチェル襲撃機(型)の主要な用法として日本軍の輸送船団攻撃任務について触れています(これを戦略的用法とするか戦術的用法とするかは別にして)。

あくまでもB25ミッチェルという1機種についての記事であり、また私個人の意見ですが、質問1662のBUN様、にも様のご説明より明確かつ明瞭であり、第二次大戦中において既にAナンバー(襲撃機)、Bナンバー(爆撃機)の区別が有名無実化していたことを表すものではないでしょうか?

ひるがえってくどいとは思いますが、識者の皆様のご意見を広くお伺いするしだいです。
1674 フォッケウルフTa152戦闘機について質問します。

ドイツ空軍においては延長翼で高高度用のH-1型より、通常翼で中低高度用のC-1型の方が総合的に優れており本命視されていたそうです。

これは1速と2速の間に大穴があり、3速に入れることを禁止されていたJumoエンジンと、無段階流体継手を採用したDBエンジンの過給機性能の差が大きかったからでしょうか?
1675 ネット上で横須賀航空隊の彗星艦爆33型が雷装している塗装図があったのですが、
彗星は偵察機の彩雲のように雷装も想定された機体だったのでしょうか?

ちなみにその塗装図は、Googleで「彗星33型 横須賀航空隊 ヨ-214」と
画像検索をすると出てきます。
1676
グラマン F4F ワイルドキャットのコフマン エンジンスターターについては、下記でおおよそ判りましたが、
https://fullfatthings-keyaero.b-cdn.net/sites/keyaero/files/imported/2019-06-26/img_76-1.jpg
https://www.faaaa.asn.au/wp-content/uploads/2019/06/Cartridge-Coffman-Starter-Aeroplane-07-2019.pdf
その取り付け場所を調べてみました。

下記から中央の明るい円筒形に近い物がスターター本体だと思います。
https://content.foto.my.mail.ru/mail/pdm1976/5551/h-6250.jpg
https://content.foto.my.mail.ru/mail/pdm1976/5551/h-6251.jpg
(https://p-d-m.livejournal.com/601333.html)内です。

(以下、見つけた画像)
https://theartsmechanical.files.wordpress.com/2015/08/image8-8.jpg
上記の説明で(starter drive clutch)は有りますが、スターターではと思われる部品には
(scintilla magneto 14 lobe breaker cam)
シンティラ マグネト14ローブブレーカーカム
(ベンディックス社シンティラ部門製)とありスターターは描かれていません。

https://i.ebayimg.com/00/s/NjcwWDgwMA==/z/BpcAAOxyLVZRY6VR/$/Pratt-Whitney-R-1830-Twin-Wasp-C4-Operators-_57.jpg
上記ではマグネトーの間に(starter drive)が有ります。

http://www.enginehistory.org/Piston/P&W/R-1830/R-1830-13A.jpg
上記でマグネトーの間に見えるのはスターターの取付け座で、ここにスターター本体がつけられるのだと無いと思います。

以上の推測で正しいでしょうか、ご教示ください。

又、下記の動画からバレルは一つだけだったのでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=65qrzgbTTcQ
https://laststandonzombieisland.com/2014/12/08/starting-a-wwii-era-wildcat-with-a-4-gauge-shotgun-shell/
1677 旧日本軍戦闘機のコードネームについて質問します。

旧日本軍戦闘機には、米軍呼称コードネームとして英語の男性名を当てるのが通例になっていますが、なぜか二式単戦「鍾馗」には日本の東條首相に由来する「トージョー」のコードネームが与えられています。

これは広く知られている事実ですが、その理由に言及した記事を見たことがありません。なぜ「鐘馗」だけが英語の男性名でなく、敵国の首相の名前をコードネームとして採用されているのでしょうか?
1678
同じような話ですがお願いします。
F4F については下記の画像でほとんど判りましたが、
http://www.warbirds-blog.cz/wp-content/uploads/2019/12/Coffman-color.jpg
http://www.warbirds-blog.cz/?p=5899

コフマンスターターの他の方法として、

https://youtu.be/IACjOvyx5hs
上記は「飛べフェニックス」のエンジンスタートの部分(4分38秒)の動画ですが、
(1分40秒)頃に(イグニッション オフ クリーンアップ ザ シリンダーズ)と言っています。

それから考えますと、
https://en.wikipedia.org/wiki/Air-start_system
上記の(Direct starting)にある、
圧縮空気の代わりに高圧燃焼ガスをシリンダーに送り込んでスタートすると考えてよいのでしょうか。
これが(Breeze cartridge system)になるのでしょうか。

それからもう一つ、
https://img.hmn.com/900x0/stories/2018/08/621030.jpg
上記は回転する事は判るのですが、どの様に回転するのかが判りません。
https://www.hemmings.com/stories/article/coffman-combustion-starters
上記です。

蛇足ですが(FM-2 Wildcat)には有ったが(F4F Wildcat)もそうだったのでしょうか。
以上、ご教示ください。
1679 日本軍で250kg級のタ弾コンテナが開発されなかったのには理由があるのでしょうか?。
飛行場を夜間攻撃等する際、30kgや50kgコンテナしか無いのでは効率がが悪いと思いますが。
1680 燃料量の単位、ガロンについて質問です。
英ガロン(Imp.gal:4.54L)と米ガロン(US.gal:3.78L)がありますが、
WWII Aircraft Performance.orgなどで見られる英軍の資料で単にgalと書かれた場合どっちなのでしょう?

http://www.warbirds.jp/ansqn/logs-prev/A001/A0005399.html

こちらの過去ログによると英国でも米ガロンを使っていたような記述ですが。
1681 96艦戦や97式戦は日米開戦時にはすでに一線級ではなかったと思いますが、F4FやP40を撃墜した例はあるのでしょうか?
1682 Wikipediaを見ると、栄三一型の乾燥重量が栄三一型甲と100kgも違っています。
水メタノール噴射装置はこんなに重いのでしょうか。
1683 先日、立川で一式双発高練を見てきましたが、胴体の扉について質問です。

展示機の扉は後ろヒンジで内開きでしたが、戦時中の写真では前ヒンジの外開きしか確認できません。
立川の機体が特殊仕様なのか、はたまた用途により仕様違いが存在するのかご存知の方、ご教示ください。
1684 お世話になります。
一式陸上攻撃機についてなんですが、三四型以前のインテグラルタンクを装備した形式の主桁前後やタンク側面に装着された外装式防弾ゴムの構造(何層に分かれているのか)及び厚み、交換手順についてご教授ください。
よろしくお願い致します。
1685 日本陸軍の全面塗装された機種の、塗り直しに関する質問です。
先日、一式双発高等練習機の展示を見たところ、少なくとも1度は機体外側の全面が再塗装されているようでした。

製造がS17.9.15、墜落がS20.9.27ですから、概ね1年間の運用期間のうちに全面再塗装されていることになります。
塗り直されそうなタイミングと言えば、38戦隊の編成されたS18.4.15の前後だと思っているのですが、この当時もせいぜい半年しか経っておらず、感覚的ではありますが全面再塗装の必要があるほど塗装が傷んでいる可能性は低そうだと思います。

そこで、どちらかというと機体の補修としての再塗装よりも、現代で言うIRANのような大掛かりな定期修理の折に何らかの理由で塗り直されたものか、あるいは陸軍は寒冷地仕様として降着用のソリの開発を続けてたぐらいですし、寒冷地に向かわせる機体に対して保護のために塗料を塗り重ねるような規定でもあったのだろうかと思ったのですが、いまいちピンときません。

なにかお考えをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお聞かせ願えると幸いです。
1686 WW2のドイツ 日本が連合国から受けた戦略爆撃についてお聞きしたいのですが、よくある仮想戦記などで、高性能レーダーや高性能な迎撃機、洗練された防空管制を取り入れて、爆撃機の梯団をせん滅したりしますが。実際のところ当時の米英含め、すべての国の迎撃システムで数百から1千機に及ぶ大編隊及び、日本爆撃の初期に行われた高高度侵入のB29の大編隊を撃退するのは可能なのでしょうか?
 



 
1687 アジ歴で見れる九九式軍偵察機審査成績ノ概要 によると当機は最高速度が高度1000mで417km/hとなっております。
一式戦闘機一型(隼)の最高速度は高度1000mだと435km/hという数字です。
ハ26-2だから全開高度が全然違うのですが、翼面積がずっと軍偵の方が大きい事を考慮すると、
ちょっと一式戦闘機一型の性能はエンジンの額面割れを疑いたくなる数字なのですが
脚も出とりますし。
なぜ一式戦闘機一型の性能がとりわけ不振なのか、本当の理由を教えて下さい。
1688 https://youtu.be/6G2Y0s4ShXc
魚雷装着のイリューシンIL-4の動画ですが
装着した魚雷の後ろにある増槽タンクみたいなのは
何なのでしょうか?
1689 紫電について、特に空戦能力の評価についてお聞きします。
過去ログやネットでは探してみたつもりです。
比島での実戦もありながら、脚の弱さばかりが言われています。
当時の基準で正常な状態の紫電は、言われるようにF6Fに手も足も出ないのでしょうか。
不具合が多いまま外地に投入されたの三式戦も同じと思いますが、紫電が活躍したという話があまりにも見当たりませんので。

発動機が同じで紫電改に、そんなに劣る戦闘機なのでしょうか。
よろしくお願いします。
1690 日本海軍の中艇、大艇の関係において質問させていただきます。
日本海軍は中攻と大攻のように飛行艇においても中艇、大艇を整備する計画があったと聞きました。
ところが実際のところ飛行艇では九七式、二式といった大艇しかなく中艇に該当する飛行艇の整備がされていないように思いました。
中艇が量産整備されなかった理由があるのでしょうか?
ご教授下さいますよう宜しくお願い申し上げます。
1691 ここで質問することではないかもしれませんが…
この航空機関係のAnsQでは「他ページを選択できます」の欄から以前のページを見ることができますが、これで見れるのは質問番号1491番までのようです。これより古い質問は見ることはできないのでしょうか?
1692 第二次世界大戦後期になると、米軍の雷撃機は従来よりも遠距離・高高度から高速で魚雷を投下するようになったと聞いたのですが、実際どのくらいの距離、高度、速度だったのでしょうか?
1693 流星の爆弾倉の大きさはどれくらいだったのでしょうか?
1694
あけましておめでとうございます。
今更ですが、F6Fが遅過ぎる問題について理由を教えてください。
WWII-AirCraft Performanceというサイトによると
F6F-3 379mph(23500ft.) 355mph(16100ft.)
F6F-5 391mph(23100ft.) 378mph(17100ft.)

とあり、上空が空気が薄いだけで、高空ではそれなりの速度が出ますが(搭載してる2段スーパーチャージャーが凄いだけ…)
別に日本機が二速全開高度とする高度帯以下では空気抵抗で大した速度が出ない事が分かります。F6F-3なんか零戦の2速全開より僅かに速いだけで、実際フィリピンで交戦した岩井勉さんはF6Fの水平速度を52型と互角と見積もっております。

空力が良くないのですか?
(ネットの噂ですがテストパイロットのメイヤー氏曰くピトー管または艤装方法に不具合があって動圧が正しく測れていないんじゃないか、って言ったとか言わないとかも聞きましたが…。)

宜しくお願いします。
1696 WW2当時の戦闘機では、相手より30km/h優速ならば優位を維持できるとされていたそうですが、本当にそうなのでしょうか?また、そのような数字はどのような根拠があったのでしょうか?
1697 中島の四式戦疾風において、それまで同社の隼、鐘馗、天山等で採用されてきた蝶型フラップの円弧状の部分(蝶型の由来)が省略され、直線状になったのはなぜでしょうか(ファウラーフラップなのは同じ)?

過去ログで「蝶型フラップ」を見ると円弧上であることのメリットは縷々述べられているのですが、戦訓等によってこれらのメリットより生産簡易化の方が優先されたのでしょうか?
1698  飛行艇が雷撃を行ったのは、ヘロンに対する東港航空隊の97式によるものと、ミッドウェー海戦時のあかつき丸を撃破したカタリナのものしか知らないのですが、他にありましたでしょうか。
 
1699 サマール沖海戦に関する読み物を観ると
FM-2が機銃、汎用爆弾、HVARで対艦攻撃を行った
とありました。
HVARは対艦攻撃に関しては、どのくらい有効だったのでしょうか?
1700 戦前の朝日新聞社で通信連絡用として使用された中島AF-1 とAF-2 は6試艦上複座戦闘機の改造でしょうか、それとも8試艦上複座戦闘機の改造でしょうか?

日本語の出版物:日本航空機総集、J-BIRD、日本航空機大図鑑、日本陸海軍試作/計画機では朝日の機体は6試の改造で、8試は下翼が逆ガルとなっていますが、英語の出版物:Putnamu のJapanese Aircraft 1910-1941、ARAWASHI No. 12 では朝日の機体は8試、逆ガルが6試と書いてあります。

日本航空機総集 中島編の181頁に掲載の8試三面図
http://warbirds.sakura.ne.jp/BBS/gazo2/img/4720.jpg
全く同じ三面図ですが6試と表示されているのをネット上で見つけましたが、この図を記載している書籍はあるのでしょうか?

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