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日本海軍が零戦以降、烈風まで艦戦を試作しなかった理由は何でしょうか。 条約制限下で空母改装を前提にした覆面軍艦や商船を熱心に用意していたのに比べると、不思議です。 米海軍はレシプロだけでもXF5F、F6F、F7F、F8F、F4U、XF5U、F2G、XF8B、XF14C、XFL……、英海軍もシーフルマー、ファイアフライ、ハリケーン、シーファイア、シーファング、シーフューリーと開発を進めています。 陸戦・局戦は後の月光、雷電、紫電、十七試陸戦、陣風、閃電、天雷、震電……と多数計画されており、あえて基地航空隊を重視していたようにも見えます。 ヘイミー |
- 烈風の開発計画自体は1940年にはスタートしてます。零戦の不具合対応やモデルチェンジ、そして雷電の開発で開発陣が手一杯だったことと、烈風が積むべき小型高出力エンジンの開発の目途が立っていないことから一旦中止になっています。
実際のところ、海軍やメーカーの開発陣は間断なく仕事を続けていたような状態だと思います。ギャップがあるように感じられるのは初飛行以後の状況しかご存じないからではありませんか?
おうる
- http://www.warbirds.sakura.ne.jp/ansqn/logs/A004/A0000808.html
過去ログ
超音速
- ありがとうございます。
適切な発動機がなく十七試艦戦になったとして、その間十四試局戦、十五試水戦があり、その後も十七試局戦十八試局戦と艦上戦闘機以外の試作が続いています。
開発が途切れなく進んでいるのは理解しましたが、艦上機ではなく局戦や水戦が多いのが不思議なのです。
ヘイミー
- >1 昭和十五年に烈風の開発がスタートしたとは言えません。実用機試製計画に十六試艦戦の試作スケジュールが記載されただけです。
海軍の単発戦闘機は艦戦を陸上基地で使用したように、局地戦闘機も適切な性能の機体があれば艦戦として使用する動きがあります。例えば十四試局戦は火星装備に決定して計画要求がまとまる昭和十五年以前の構想段階では艦戦としての使用も視野に入れた研究が行われています。その後も烈風の初飛行を待たずに紫電改の艦戦化研究が進むように、艦戦と陸上用単座戦闘機は互いをカバーし合う余地があると考えられていた点も見ておくと十二試と十七試の間が単純に空白だったわけでもないことがわかります。
BUN
- BUN様ありがとうございます。
スッキリしました。
漠然と海軍だから艦上機を優先するはず、と思っていました。
それにしても、こうしてみると日本海軍航空隊は空軍のようですね。
ヘイミー
- 第五次計画以降の海軍軍備は確かに空軍化を目指していますね。
BUN
- スピットファイアやMe109が性能向上型に切り替えて使い続けられたように、零戦も早々に性能向上が行われるはずでしたし、実際にはそこがうまくいかなかった部分でもあるのですが、狙い通り適切な性能向上が行われていれば、それが烈風までのつなぎとなるべきものだったのです。
そしてまた、実際には、零戦以降の主力戦闘機の位置には、失敗した十四試局戦に代わって紫電改が入っています。紫電改は艦上戦闘機化も計画され、さらなる性能向上も行われることにもなっていました。
このように、開発計画は、零戦−烈風のように単純な直列ではなく、複数のものが並行して進められていたのです。
片