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第二次大戦時のソ連戦闘機と言えばYakシリーズ、Laシリーズが双璧ですが その中でYak3の位置付けが今一つ分かりません。高性能な戦闘機と言うのは分かりますが、yak9から置き換えようという風にも見えません。更にyak9PやLa-9、La-11のような大戦後の機体もありません。ある意味その場しのぎの高性能機ということでしょうか? まさのり |
- BUN氏がいろいろクドい話で書いてますhttp://stanza-citta.com/bun/?p=90
にも@コピペ。
- にも@コピペさん回答ありがとうございます。
yak3はタナボタ傑作機。
木金混合製機は耐久性に難があり当局としては全金属製機を欲してた。
という感じでしょうか。
となると英国は、モスキートの後継機にホーネットを作ったのは
耐久性に自信があったのかそれともジェット機までの繋ぎだから短期間使えれば
という考えがあったのでしょうかね。
まさのり
- 大戦中は高性能なドイツ機と戦うため航続距離よりも空戦能力を重視しましたが、戦争が優勢になっていくと爆撃機の援護ができる長距離戦闘機が望まれるようになりました。
Yak-3は軽量化のため燃料搭載量を減らしたので航続距離が短くなっています。翼面積も縮小したので再び燃料搭載量を増やすのは限度があるように見えます。
Yak-3に適用した空力的洗練はYak-9にも(翼面積以外は)フィードバックしているので、相対的にYak-3の価値は低下したと思います。
Yak-3のVK-107装備型は胴体外板もジュラルミン化されていて戦後も1946年半ばまで生産されてますが、1948年まで続いたYak-9より終了が早いです。
やはり航続距離がネックだったと思います。
超音速
- 超音速さん確かにそうですね。戦局が不利な場合は迎撃が主ですから航続性能よりは空戦性能。優勢になれば相手側に侵攻していくので航続性能も必要になってきますもんね。
まさのり
- https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/YAK.html
上記の記事を信じるなら、俊敏なyakは襲撃機・爆撃機に密着しそれらを上空からの経空攻撃から直接援護、
重いが突っ込みの効くlagg~laは上空の経空目標への「自由な狩り」、
言及されてませんが無線が良く連絡の取りやすい西側貸与機は親衛部隊として大事な局面に集中投入、
という使い分けが為されていた様です。
基本平坦な陸地のヨーロッパ正面での戦いは、前線に近いところから離着陸して出撃すればよいので
航続力距離が無いことが必ずしも致命では在りません、
開発・兵站にそれほど負担がかからないのであれば空戦性能に全振りしたものと航続力を顧慮したものを同時に運用してもよいと考えたのでしょう。
で、ジェット時代になるとこの前線近くからの離発着が困難になりますよね。
モスキートは高速爆撃機で、戦闘機であるホーネットとはカテゴリーが違います。形が同じでも大きさが違うのはそういう意味です。
寧ろデ・ハビランドが、レシプロ戦闘機ホーネットとジェット戦闘機バンパイヤをほぼ並行して開発した意味を考えましょう。
にも@追加。
- デ・ハヴィランドは1949年初飛行のヴェノムまで木製構造を使いましたね。
同社の一連の木製機は基本的に後継機が出るまでの短期間を想定して作られています。
結果としてヴァンパイアはスイスで1990年まで使われましたが。
超音速
- http://www.warbirds.sakura.ne.jp/ansqn/logs/A005/A0001307.html
モスキートの木製構造の耐久性について過去ログがありました。
ご参考になれば幸いです。
超音速
- 超音速さん重ね重ねありがとうございます。
まさのり