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紫電一一型はなぜ20mm銃をガンポッドで装備したのでしょうか。 強風からの改造なので主翼はスペースがありそうですし、実際一一乙型ではすべて翼内装備になっています。 ヘイミー |
- まず平面図を見てください。紫電は主脚収容のため、機銃の装備位置は強風と比べて外翼側に移っています。つまり主翼のテーパーのぶんスペースが狭くなっています。
翼内に4挺収めるのはベルト給弾の九九式二号四型でないと無理です。
試製紫電は強風と同じ武装で完成し、昭和17年末初飛行。
武装強化の要求があってガンポッド(翼下面機銃)が追加されますが、この時点では4挺とも100発ドラム弾倉の一号三型銃。これが一一型となります。一一甲型はそのまま二号三型銃に換装されますがドラム弾倉は変わらず。
ベルト給弾の四型銃は昭和18年10月に生産開始なので間に合っていないということです。
超音速
- 一一甲型までの弾倉の収め方は、翼下面機銃の真上のスペースに2挺ぶんのドラム弾倉が前後に並ぶ形です。
仮に翼内に4挺収めようとすると、4つのドラム弾倉の一部がかならず翼下面に突き出します。これの空気抵抗はおそらくガンポッド式と大して変わらないでしょう。
超音速
- 強風を陸戦化する計画と共に二十粍機銃を四挺装備とする案が検討され、最初から外側銃を90度傾けたポッド式の四銃装備で進んでいます。このまとめ方が当時としては最良と考えられたので、一号局戦(紫電)だけでなく十四試局戦もこの様式を検討しています。これは17年初頭の曽根嘉年技師のノートにも書かれていることです。
一号局戦はその後に油圧装填の二号銃三型装備を試みますが、エリコン機銃の油圧装填は装填方式の問題から実用化できずに二号三型は装備できずに終わります。
ベルト給弾による四銃の完全翼内装備は紫電の低翼化と同時に検討され、兵装強化計画の一段階として採用され、これが紫電改となり、その後に生産計画が未消化のまま生産継続されている紫電にも導入され、それが紫電一一乙型となります。紫電一一乙型は紫電改の後に生まれているのです。
BUN
- 超音速さまBUNさまありがとうございます。
当初から翼下+翼内の四挺装備が想定されていたため、
一一型(7.7mm・20mm混載)で翼下装備
一一甲型(20mmx4)で翼下+翼内
紫電改と一一乙型でベルト給弾化
と進んだのですね。
大型のドラム弾倉を収めるのは大変ですね。
ヘイミー
- 紫電のガンポッド式機銃搭載は何とも不格好で飛行性能にも悪影響があったのですが、もともとはベルト給弾式の四型銃は昭和十八年前半には実用化する予定でしたので本当に短期間のみガンポッド式でしのごうと考えていたのです。
そうすると、ベルト給弾式になった紫電と紫電改との間の飛行性能の差が縮まりますが、紫電改への改設計が何を第一の目的としていたかも暗示しています。
BUN
- BUNさまありがとうございます。
子供のころにプラモを見て「ちょっと待って翼内装備にすれば一度で済んだのに」と思っていましたが、当時の限られた時間の中でできうる最善をつくしていたのですね。
ヘイミー