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記憶モードですが旧日本陸軍航空隊において、地上攻撃機の分類は、前方固定武装が主、爆装が従なのが「襲撃機」、その反対が「(軽)爆撃機」だという記事を読んだことがあります。 さて、このことから類推して第二次大戦中の米陸軍航空隊の双発機をざっと見渡したところ、ミッチェル、マローダー、ベンチュア、ボストン、メリーランドなどいずれもグラスノーズあり、ソリッドノーズあり、武装も前方固定砲、固定機銃あり、爆装ありでAコード(攻撃機)、Bコード(爆撃機)を明確に分類する基準がわかりませんでした。中にはインベーダーのようにA→Bに機種コードが変更になったものもあり、実戦では機種コード区別の意味があまりないように思えます。 AないしBの機種コードは当初設計計画もしくは整備予算上の区別であって、両方とも実戦では戦術爆撃機として、混在あるいは併用されていたのでしょうか(あくまでも第二次大戦時の話として)? 例によって過去ログは調べたつもりですが、ぴったりくる内容のものがありませんでした。調査漏れで既出だったらどうもすいません。 備後ピート |
- 日本陸軍に関しては銃撃が主だとか、爆撃が主だとかで機種を分類したことはありません。米陸軍航空隊の攻撃機(A番号)は第一次世界大戦以来の歩兵直協機のことで前線上空で歩兵部隊の先頭に直接介入する機種です。そのために銃撃も重視されますが、基本的な性能は単発軽爆撃機と同様です。後に本来は輸出用の機体だったA-20などの双発機が便宜的にA番号に組み入れられ、軽快な双発機が攻撃機としても望ましいとの評価となりますが、それは第二次大戦開戦後のことです。また戦後になっても使い続けられたA-26の名称変更は戦術思想が変化したのではなく、機種区分上の問題で整理されたに過ぎません。
B番号の爆撃機は航空部隊が地上部隊とは関係なく独自の作戦を実施するための機種で、搭載能力の大きい多発機が中心です。前線上空での敵地上部隊攻撃が要求されていたのがA番号の攻撃機、阻止爆撃、要地爆撃、航空撃滅戦などを主たる任務としていたのがB番号の爆撃機です。
BUN
- 備後ピート様はいろいろクドい話を読まれた事はあるのでしょうか。古峰文三氏が商業出版した記事は削除されましたが当該は残ってます。
http://stanza-citta.com/bun/?p=84、http://stanza-citta.com/bun/?p=85。要旨を述べると、WW2に備える米陸軍航空隊→同航空軍には
「Aナンバー(攻撃機)は地上軍の作戦に従って敵前線の戦力を攻撃する機種だ」という、陸軍本体から要請される公式のドクトリンに対し
「Aナンバー(攻撃機)も地上軍の作戦とは独立に敵軍前線の後ろ(兵站線など)を攻撃する機種にすべきだ」という、空軍内部における非公式のドクトリンが生まれ
この相反するそれぞれのドクトリンに基づいた機種が混在している事が米陸軍航空のAナンバー(攻撃機)が判らない理由だ、です。
で、より根本的に考えると、WW2のかなり早い段階(それこそ米参戦以前)で米空軍は
「Aナンバー(攻撃機)という区分け自体が不要・有害、空軍兵備の効率的な整備を妨げる」と、判断したと考えます。
陸軍本体が要求する近接支援はそれ専任の機体を整備するのではなく追撃機にさせた方が効率的だと判断したのです。
しかし空軍がAナンバー(攻撃機)という区分を廃するには、当時未だ上部組織であった陸軍そして文民の支持を得なければならず、次善の策として
上部組織たる陸軍の公式ドクトリンそのままでなく空軍自身の非公式な利害で「Aナンバー(攻撃機)」の具体的な機材を選抜しました。
ダグラスDB-7の様な、近接支援でなく阻止攻撃に適したシュネルボマー(高速爆撃機)を「Bナンバー(爆撃機)」で無く
「Aナンバー(攻撃機)」の区分に属するA-20、A-26、として発注したり(つまり陸軍の公式ドクトリンと相反する)、
ノースアメリカンNA-73の様に追撃機として優れているが、追撃機の予算を使い切ったため本来のP-51Aとして十分発注出来ず
同機の生産を維持する策として(陸軍の公式ドクトリンに基づく意味での)「Aナンバー(攻撃機)」たる、A-36として発注したり。
WW2の戦線で「Aナンバー(攻撃機)という機種区分は近接航空支援という陸軍の公式ドクトリンに照らしても不要、資源の無駄遣いだ」という実績を積み重ねた米陸軍航空軍は
戦後晴れて完全独立した空軍となり、「Aナンバー(攻撃機)」と「Pナンバー(追撃機)」を統合する「Fナンバー(戦闘機)」という機種区分を定め、遂に攻撃機を廃止します。
http://www.warbirds.jp/BBS/c-board/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=4789;id=、http://www.warbirds.jp/BBS/c-board/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=4802;id=。
にも@返信。
- >2
私はそのような事を書いた覚えはありません。
特に後半はまったく無関係です。
BUN
- AナンバーBナンバーPナンバーと云った当時の米軍政上の区分を払って察た場合、シュネルボマー(高速爆撃機)が米軍には手薄(ダグラスDB-7(A-20)、同A-26位)で、
双発多座戦闘機に至っては直接該当する機体が在りません(P-38もP-61もペイロードを乗せる中央胴体が狭い)。他国特に大陸諸国では主力なのに。
http://military.sakura.ne.jp/world/w_a18.htm
米陸軍航空隊はカーチスCW-76、CW-76A、という日本が模倣したと行っていい先駆的な双発複座機をAナンバーつまり攻撃機のカテゴリーで採用し対地攻撃の戦技を研究しましたが、
その後継機は胴体内爆弾倉そして爆撃手の乗る透明機首を装備、つまり近接支援より阻止攻撃に適した本格的なシュネルボマーであるダグラスDB-7です。
カーチスY1A-18で研究されたという対地攻撃の戦技も、WW2の実戦で実際に行ったのは専らAナンバー(攻撃機)ではなくPナンバー(追撃機)でせう。
米陸軍航空軍の「Aナンバー(攻撃機)」と「Bナンバー(爆撃機)」を分ける区分として
「乗員がコクピットに座ったままなのがAナンバー、乗員がキャビンで歩き回れるのがBナンバー」という事が挙げられたりしますが、
ダグラスのシュネルボマーを見る限りこじつけです。当機をBナンバーではなくAナンバーで採用した空軍当局の真意は前に述べた通りと推察します。
にも@追伸。
- シュネルボマーとはドイツのJu88のコンセプトで、それに近いものをアメリカ爆撃機に探すとしたらまず挙げるべきは300マイル以上の速度と2000マイル以上の航続距離要求「Circular Proposal No.39-640(1939年11月)」から生まれたマーチンB-26です。輸出用のDB-7を攻撃機に引き当てたA-20ではありません。
BUN
- またA-36はP-51の生産を維持するために造られたのではなく、逆に援英機だけを専門に生産できない法的規制によって製造されるものの余剰となるマスタングの米陸軍向け機を急降下爆撃機に改造したものです。
それからPナンバーの戦闘機をわざわざ「追撃機」と訳す必要は無いと思いますよ。
BUN
- それからA番号の攻撃機が消えた理由は主に技術的な問題で、単発機、双発機ともに大馬力となって搭載量が増加したためです。
ドクトリン上でもField Manual FM-100-20にある通り、航空作戦は (1)航空優勢の達成 (2)敵部隊の移動と補給に対する阻止攻撃 (3)戦場での友軍部隊に対する臨機応変の近接航空支援 の三本柱は堅持され、特に近接航空支援に関する管制システムや機材の開発は戦中から戦後にかけて大きく進歩しています。A番号の攻撃機がFM100-20に対立する存在であったことは一度もありません。
BUN
- シュネルボマーというコンセプトを実際の機体に落とし込んだ場合にも、少ない搭乗員がコクピットに座りぱなしで防御機銃の少ないものと、多い搭乗員がキャビンで歩き回れ防御機銃が多いものがあります。
日本陸軍に於ける99双軽と100式重爆・4式重爆の違いで、ヨーロッパでは軽シュネルボマーが中心ですが、アメリカは重シュネルボマーを中心にしました。
米陸軍航空軍に近いシュネルボマーの選択をしたのが日本海軍で、シュネルボマーの性格を持った一式陸攻と、空母から運用できる豆シュネルボマー彗星を先ず装備し、はっきりシュネルボマーの陸爆銀河はその後でした。
米陸軍航空軍もコンセプトとしてのシュネルボマーは取り入れていますがそれは先ずBナンバーの中爆に対してであり、双発多座戦闘機から軽シュネルボマーのクラスは手薄で、それをAナンバーにしたのは前に述べた通りです。
Field Manual FM-100-20にA番号の攻撃機は「対立」はしていないかもしれませんが、その効率を妨げる存在だと認識はされ得ます。実際陸軍航空軍はそう認識していたと考えます。
(1)航空優勢の達成 (2)敵部隊の移動と補給に対する阻止攻撃 (3)戦場での友軍部隊に対する臨機応変の近接航空支援
この3つのうち.1の制空と.2の阻止攻撃については専用に設計された機種の必要が認識されていましたが、.3の近接支援に対しては1の制空機を転用すれば良い。
であるなら、Aナンバーを.3近接支援だけにしか使えない機材では無く、.2航空阻止や.1制空の機材を導入する枠として使ったほうがFM-100-20の大枠に照らして合理的。
具体的にはBナンバーの枠は戦略爆撃機や重シュネルボマーで使い、軽シュネルボマーはAナンバーに押し込む。
にも@参伸。
- ご自身のシュネルボマー論は別の場所でお願いします。
戦闘機が単発攻撃機の任務を兼用できるようになったのは大戦中に登場した新鋭機の爆弾搭載量が増加したためで、P-40やP-39の系列ではそのような運用はできません。
A-36のようにダイブブレーキを備えた急降下爆撃機に改造するしかないのですが、急降下爆撃はイタリア戦線での深刻な損害で、中止されてしまいます。A番号の単発攻撃機が衰退した理由の一つには急降下爆撃戦法の放棄で、特別な機体が必要ではなくなったことも挙げられます。
A番号の双発軽爆もA-20のように発動機換装で速度と爆弾搭載量が増加すると双発爆撃機との区別が曖昧になってしまいますが、戦争後半に登場したA-26は、かつてのに、DB-7/A-20がそうだったように夜間戦闘機や偵察機、爆撃機を兼用する小型双発爆撃機として開発され、長く生き残っています。A番号の双発軽爆のコンセプトは開戦前から受け継がれて、それを体現した機体も消滅しなかったということです。
A番号の攻撃機の盛衰はドクトリン的な問題ではないのです。
BUN
- Wikipediaの「Schnellbomber」の項にはDo17やデ・ハビランドモスキートと並び96中攻の写真が挙げられています。コンセプトとしてのシュネルボマーを具体的な機体への落とし込みから「重」「軽」「豆」と分類したのですが、具体的に「シュネルボマー(高速爆撃機)」と想起されるのはJu88やモスキートの様な少ない乗員がコクピットに座り放しで防御機銃の少ない機体であり、マーチンB-26の様な多い乗員がキャビンに乗り多数強力な防御機銃を持つ機体も亦シュネルボマー・コンセプトに基づいているのはその通りですが(書き落としました)、マーチンB-26はシュネルボマー「である」がダグラスDB-7/A-20・同A-26はシュネルボマー「では無い」、は明らかに間違いでしょう。亦ダグラスA-26は強力な防御機銃を装備してますがそれとバランスを取るため発動機を前に突き出し故に側面の視界がプロペラ面で遮られる事が不評とされ、亦機種を交換可能にすることで装備を転換可能にしてますが朝鮮戦争では銃砲を積んだソリッドノーズでは無く爆撃照準手を載せるグラスノーズが不足しました。ダグラスB-26はこの時点で猶 (2)敵部隊の移動と補給に対する阻止攻撃 を行うシュネルボマーだったのです。
(3)戦場での友軍部隊に対する臨機応変の近接航空支援 に必要なのは、支援を受けたい前線の部隊が戦場のどの目標を攻撃して欲しいのか攻撃機と確実迅速に連絡が付くことです。それに操縦員とは別の乗員が必須であるなら複座以上の機体が近接支援に必須ですが、米軍は操縦員一人の機体にそれらの連絡が付くようにしました。近接支援の要である通信・連絡機能が、P-40やP-39の様な単座機とバルティーベンジャンスやカーチスヘルダイバーの様な複座機とで変わらないのであれば、(1)航空優勢の達成 任務に対しては現時点で多かれ少なかれ陳腐化し余っているが、戦局の流動で航空劣位に立った局面では制空・防空に再び使い得る追撃機(Pナンバー)を近接支援に投入する事が、Aナンバーを増備するより効率的な兵備の整備だ、そう米陸軍航空軍がField Manual FM-100-20を解釈したのは間違っていない筈です。
にも@肆伸。
- 「Pナンバー(追撃機)」のち「Fナンバー(戦闘機)」であるならセンチュリーシリーズの頃まで、戦闘用航空機は複数のラインを走らせて三分の一歩づつ半歩づつ最新の技術を取り入れました。常に陳腐化しない為ですが、開発。調達費が高騰し過ぎた為マクナマラが整備しました。
(1)航空優勢の達成 を実現するためには常に陳腐化していない制空機を可能な限り最大限の数揃えねばならず、必然的に大量に発生する三分の一歩半歩陳腐化した制空機の扱いは常に考えられなければならない。Field Manual FM-100-20の大宗に沿うならば.3近接支援 は.1制空 任務で陳腐化した機体の再活用先でなければならず近接支援の為「だけ」に専用の機材を導入する事に資源を割くのは間違い、それを整備した分 .1制空 .2航空阻止 に割く資源が減るから。と米陸軍航空軍は判断した、と考えます。
にも@伍伸。
- それはご自身独自の推論によるご自身の爆撃機論ですね。
だいたいFM100-20なんて読んでいませんよね。
そしてもはや質問内容ともかけ離れています。
BUN
- 順を追って説明します。戦間期に米陸軍は公式のドクトリンで麾下の航空隊の任務を 1.制空、2.阻止攻撃、3.近接支援、とし
制空を行う機体を「Pナンバー(追撃機)」、阻止攻撃機を「Bナンバー(爆撃機)」、近接支援機を「Aナンバー(攻撃機)」、と定めました。
近接支援機としては当初ノースロップ・ガンマの様な単発複座機が採用されていましたが
(日本がキ45、キ46で参照したであろう)カーチスCW-76・CW-76A双発複座機を少数発注しそのY1A-18で戦技訓練を行いました。
しかし本格的な量産機には爆弾倉そして機種に水平爆撃照準手を載せるドームが要求されており近接支援よりも阻止攻撃に適した戦技を志向、
その要求仕様に基づきダグラスDB-7、ノースアメリカンNA-40が開発されました。
http://stanza-citta.com/bun/?p=84
http://stanza-citta.com/bun/?p=85
http://military.sakura.ne.jp/world/w_a18.htm
双発複座戦闘機CW-76の後継機をシュネルボマーとしたのは米空軍(陸軍航空隊→航空軍)の(未だ独立出来てないので非公式の)ドクトリンです。
米空軍は近接支援は損害多くして戦果少ない、阻止攻撃は戦果多くて損害少ない、故に空軍は阻止攻撃にこそ注力すべきだと判断しました、
そして制空を維持するには、制空に携わる追撃機が常に陳腐化していない最新の技術が適用されたものでなければならず
最新の技術を第一線機に適用させ続ける為には世代交代のラインを複数走らせて半歩ずつ三分の一歩ずつ最新の技術を適用しなければならない。
必然的に三分の一歩、半歩、三分の二歩、陳腐化した機体が発生するのです。それを放おって置いて近接支援にしか使えない機材を調達するのが合理的か。
WW2参戦前から陸軍航空隊→航空軍内部ではAナンバー(近接支援専従)は廃されるべきであり近接支援は陳腐化した追撃機を以て行うべしとの意見で纏まったでしょう。
しかし陸軍や上部組織である陸軍や文民を説得するのは難しく、幸い大拡張の為Aナンバーの枠で近接支援より阻止攻撃に向いた機体を採用する策が採れました、
schnellbomberであっても乗員がコクピットを離れキャビンを歩き回れるものはBナンバー、乗員がコクピットに座りきりになるのがAナンバーというのが一応の区分ですが
ノースアメリカンB-25で副操縦士を廃したり、ダグラスA-26で爆撃手が機種と操縦士の横とを移動できるサイドバイサイドにしたことを考えると、便宜です。
タンデムで単操縦装置だから攻撃機、というのは、DB-7が採用されNA-40が次点の仕様書がそうだった、という事なのです。
にも@纏。
- ヨーロッパでschnellbomberとされる機体はおしなべて速度性能に振った防御武装は僅かか全く無い機体で、マーチンB-26の様な重防御兵装の機体をシュネルボマーとするのには違和感があります。
日本陸軍での「重爆」「双発軽爆」の区分を念頭に、私はschnellbomberをそのコンセプトの受容のされ方から「重」「軽」「豆」と分類しましたが、
重防御兵装を備えるのがアメリカ空軍の求めるシュネルボマーだというのは理解しても、ダグラスDB-7の様な機体がシュネルボマー「では無い」というのは端的におかしいです。ヨーロッパの機体は皆同様なのですから。
にも@漆伸。
- 冷戦下の大量報復戦略以降、
米空軍は主力とする「戦闘機」に空戦能力よりも対地攻撃それも核など戦場の敵前線よりも敵後方への攻撃に適した爆撃能力を優先して与えています。
初学者にはAナンバーやBナンバーこそが相応しいかに思えるそれらの機体をこそFナンバーの主力にし続けているのです。
マクナマラによる統一名称導入で空軍にも「攻撃機」が再導入されましたがそれらはおしなべて継子扱いされ、
空軍自身が求める攻撃用途の機体にはどんなに空戦能力を欠いても必ず「戦闘機」とされAナンバーでもBナンバーでも無くFナンバーが振られる。
それが何故か、の回答が前掲のいろいろクドい話の記事です。
米空軍の「戦闘機」とは「空戦を行う(だけの)機体」という意味では、無い。
陸軍航空軍に於いて、制空の為に空戦を行う「追撃機」と、対地攻撃を行う「攻撃機」とを、統合したのが米空軍に於ける「戦闘機」なのです。
そしてその対地攻撃も、陸軍本体が航空軍に求めているのは近接支援であるのに対し
航空軍は自身の非公式ドクトリン(組織利害)で、近接支援は複数ラインを走らせている追撃機(Pナンバー)のうちで陳腐化した機種に任せ、
Aナンバーとして採用されるべき機体は近接支援専任では無く、Bナンバー(の一部)を補って同様に阻止攻撃を遂行し得る機体でなければならない、
その考えが独立空軍と同時に制定された「戦闘機」に流れ込みました。そう米空軍の主力の戦闘機は大量報復戦略以降一貫してschnellbomberなのです!
>q1673,.5
繰り返しますが、例えばグレン・L・マーティン・カンパニーはWW2期に
ヨーロッパ諸国で主力であったような軽防御兵装のモデル167メリーランド/187ボルチモアと
米陸軍航空隊が求めた重防御兵装のモデル179マローダー、軽重二種類のシュネルボマーを並行して開発・生産しました。
尾輪前輪の違いはありますが、マーチン・モデル167/187とノースアメリカンNA-40そしてダグラスDB-7は概ね同規模の機体で、
独立未だの米空軍が前述の理由から「攻撃機(Aナンバー)」の枠で調達する機体から近接支援専任機を斥け
「爆撃機(Bナンバー)」中の重シュネルボマーを補完する軽シュネルボマーを調達する枠としてAナンバーを使おうとした、
この軽重二種のシュネルボマーを集大成したのがダグラスA-26であり、
開発段階で既に敵戦闘機を振り切る高速が求められなかったという意味ではschnellbomberでは無いのでせうが、
真意は「大戦前中期にschnellbomberと呼ばれた機体群の集大成」という意味です。
にも@捌伸。