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日本陸軍の戦闘機飛行戦隊について質問します。 日本陸軍の戦闘機戦隊には、使用機材が大きく分けて中島系(97式戦→一式戦又は二式単戦→四式戦)と川崎系(95式戦→三式戦→五式戦)の2つの系統があると思います。 さて、それぞれの戦隊に所属するパイロットの転属・再編などを行うにあたって、特に戦時においては機材の慣熟期間を短縮する等のため、過去の搭乗履歴の系統を配慮して部隊配属を行っていたのでしょうか? 私の知る限り系統違いの例は戦隊では飛行244戦隊(97式戦→三式戦:ただし 三桁の特設飛行戦隊)、個人では檜与平少佐(一式戦→五式戦:ただし戦争末期で人事組織運営はもうメチャメチャ)ぐらいしか寡聞にして知りません。 パイロットの人事考査の際、「こいつは一式で中島に慣れてるから四式部隊へ配属」「こいつは三式で川崎製に乗ってたから五式部隊に優先的に配属(まあ、操縦系統はほとんど共通)」などということが行われていたのでしょうか? それとも戦時における機種転換というものは、機材の系統が違ってもパイロットはみんな新型高性能機が欲しいわけですから、私が思うよりも案外スムースに受け入れられ、現場からは文句なく行われていたのでしょうか? 備後ピート |
- そうした配慮はありません。
そもそも戦後のファンが思いつくような中島製、川崎製といった飛行機の系統がある、とは全く考えていないのです。
陸軍戦闘機隊は初期には全てニューポール設計の甲式四型ですし、支那事変勃発当時、主力部隊は川崎製の九五戦装備です。昭和十三年から十七年頃までは殆どが中島製の一式戦です。経験した機種ではなく、その製造会社が人事の、しかも考査に関係するはずもありません。操縦者としての評価は技量甲、乙、丙で区分されるだけです。
装備する飛行機によって補充する操縦者を選んだ事例としては開戦直後の独立飛行第四十七中隊の二式戦に特別に優秀な者を充てることが求められていますが、これは二式戦が中島製であるかどうか、ではなく二式戦の戦闘機としての飛行特性に欠陥があり通常の技量の操縦者では事故の危険があったためです。
製造会社によって飛行機に一定の癖があるという漠然とした根拠の無い考え方よりも、現実の陸軍戦闘機はその飛行機ごとに深刻な欠陥があり、それらを克服する飛行技術が総合的に求められていたのです。技量「甲」とは「夜間出撃可能な者」という定義のほかに、そうした技術を持つ者という意味もあります。だから九九式襲撃機装備の戦隊を戦闘機隊に改変したり、単発機の戦隊を複戦隊に改変するのです。
BUN
- 蛇足ながら、
>パイロットはみんな新型高性能機が欲しいわけですから
戦闘機パイロット中には自分が慣れ親しんだ機種と異なる仕様や特性を持つ
新型機を好まない人もいたようです。戦闘機パイロットの感想として、
「オープンコクピットの九六戦では顔に当たる風で機体の横滑りの有無を
知ることができたが、密閉コクピットの零戦ではそれができないから嫌だ」
「戦闘機の照準器は光像式よりも眼鏡式の方が目の位置が固定されるので
良い」
という記述を読んだ記憶があります。
Ham
- 私の浅い考察でした。BUN様、Ham様、ご教授ありがとうございました。
備後ピート
- 訂正 「昭和十三年から十七年頃までは殆どが中島製の一式戦です」は九七戦の間違いです。
BUN