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戦艦・巡洋艦の艦載水偵についてです。 イギリスの単発飛行艇、シーガル、ウォーラス、最後はシーオターになるシリーズは本来は艦載水偵だそうですが、疑問はなぜいわゆるゲタばき機ではなく飛行艇の形式を選んだかという点です。 ゲタばき機がなかったわけではないみたいだし、性能的にはあまり変わらない。日米海軍はゲタばき機を使っています。 イギリス海軍独特の考え方があって、それが飛行艇形式の採用となって表れたのでしょうか。 同じ疑問を日本海軍の九六式・九八式夜偵にも感じています。 夜偵の任務は結局九四水偵に置き換わってますが、なぜ最初に飛行艇形式で開発が進んだのでしょう。 酔来亭天福 |
- 自分なりに理由を考えてみました。
性能に現れない利点、たとえば使い勝手ではないかと思うのです。おもに外観から次の点を思いつきました。
・エンジンと艇体が別なのでその分機内が広くて仕事がしやすい。
・コクピットと水面が近いので着水しやすい。
・水陸両用が要求に入っていた。
日本海軍の夜偵の要求仕様は、より長い滞空時間とのことでしたので、なら翼面積を拡大した九四水偵でいいんじゃね?と思っていましたが、
・日本海軍は輸入したシーガルを使ってみてゲタばき機との使い勝手の違いに気づいた。
このような背景があったのではと想像します。
酔来亭天福
- 飛行艇形態が選ばれた理由は「視界の確保や水上での安定性が夜間使用に適する」と考えられたからですが、突き詰めて言えばサボイアS62の模倣です。
BUN
- 日本海軍が夜間触接専門機を試作したのはロンドン条約で補助艦の制限を受けて昼間水上戦闘での劣勢が確定したことから、八八艦隊時代の名残で唯一優勢だった軽巡以下の兵力を我が海軍の唯一の特徴と軍令部が改めて認識して水雷戦隊の夜戦を決戦時の切り札に押し上げたためです。
夜偵に込められた理想はどこか華奢な九六式水偵や九八式水偵より、最初に計画された六試夜偵を見ると飛行艇形態にどんな理想を見出したかが解ると思います。
六試夜偵の性能が要求に達しなかったことで、もっと軽快な機体を求めてその後の試作が進むのですが、飛行艇形態、推進式といった指定は機体メーカーの工夫ではなく海軍航空本部からの計画要求で定められているので川西試作機も愛知試作機もそれを単葉で設計するか、複葉で設計するか、といった選択肢しかなく、S62を模倣した愛知試作機が採用されます。
けれども、九六式水偵も満足な性能ではなく、九八式水偵へとどんどん簡素な機体へと変わって行きます。
そして九八式水偵の実用実験報告では、こんな事を言われてしまいます。
「高速ヲ使用スレバ殊ニ燃料満載時、発動機回転ヲ大トスレバ直チニ燃料消費大トナリ航続時間短縮スルニ至ル(中略)巡航速力小ナル飛行機ハ行動力小ナリ 従来夜間触接ニハ低速ナラザレバ困難ナルガ如キ思想アルモ気速一〇〇節(ノット)ノ触接ハ容易ナリ 将来ノ触接機ハ少ナクトモ巡航一〇〇節以上ナルヲ要ス」
この形態の低速触接機は根本的に駄目だ、という評価です。
それでも海軍の計画要求を満たした九八式水偵を不採用とする理由はありません。
さらに年度の演習で、低速の夜偵は探照灯に照射されるだけでなく敵艦隊の変針にも追従できず、事実上、夜間触接能力が無いことが実証されるようになると、常識的な形態の三座水偵がその代用を務める方向へと修正が掛かります。奇妙な夜偵が水雷戦隊旗艦を務める軽巡にだけ搭載されているのは、こうした計画の名残りと軽巡の搭載設備の貧弱さが理由です。
夜偵という機種はロンドン条約後の軍令部が抱いた危機感から生まれた観念的な存在だったということでしょう。
BUN
- BUN様、詳しい説明をありがとうございます。
飛行艇形式の理由は視界と水上安定性でしたか。
参考にしたのはイギリス機ではなくイタリア機というのは意外でした。
夜偵が結局九四水偵に置き換わる試行錯誤の過程がよくわかりました。
速度が必要だとわかったんですね。
酔来亭天福