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飛龍の尾部銃座は写真で見ると初期の一式陸攻のようにスリット付きの風防で、敵機を追いづらそうです。 1.一式陸攻は頻繁に改良しているようですが、どうして「四式」の時代に古いタイプを採用したのでしょうか。 2.13ミリ連装になった乙型でもスリット式だったのでしょうか? ヘイミー |
- 一式陸攻も四式重もどちらも高速を最大の防御として設計された爆撃機ですが、一式陸攻は制式採用直後に欧州からの情報でその速度が高速とはとても言えないことが判明した結果、防御火力の強化が計画され、様々な改良が行われます。
四式重はそれより遥かに高速であることから各銃座の火器の取り回しよりも抵抗の低減が重視されています。しかし昭和二十年に入ると一式陸攻一一型の後期生産機と同じように尾部の回転する球形風防を最初から持たない断ち切られた形状の風防へと置き替えられ、さらに尾部が新設計となります。
ホ一〇三の連装砲架は一型改の計画時に設計され一型の三菱第451号機以降の機体の一部に取り付けられたもので、一型のスリット式の風防は採用していません。そして、連装砲架を装備した機体を「乙型」と呼ぶのは間違いで、一型に甲型、乙型の区別はありません。
BUN
- ありがとうございます。
速度重視だったのですね。飛龍はブリスタータイプの銃座だったり半埋め込みの銃塔など、新旧チグハグな感じがして魅了です。大戦末期の正式化だから、発展途上だったのですかね。
乙ではないのは知りませんでした、ありがとうございます。
追加で恐縮ですが、
尾部銃座の連装化は、風防を切り落として実現したということでしょうか?
ヘイミー
- 「発展途上」ではありません。
それがその時点での最適解だったのです。
尾部風防の球形部分を取り除いたことは空力的追及に意味が無くなったという、一つの敗北なのです。
一式陸攻と同じように相対的に低速になったということです。
尾部の断ち切りタイプの風防は形は球形部分を切り落としたように見えますが、
上で書いたように回転式の球形風防を「最初から持たない」のです。
一式陸攻一一型でも昭和十八年頃の生産機はこの形になっています。
どちらも写真が比較的よく残っていますので、確認してみてください。
そう思って眺めると今まで見たことのある機体の尾部に目が行って「ああ、これなのか」と気が付きます。
また四式重の側方銃架と一式陸攻一一型の側方銃架は涙滴型ですが、一式陸攻が後期の一一型で廃止した涙滴型風防を四式重が採用している理由は後下方銃座設置要求への代替案だからです。
その形状と機構はよく似て言いますが、四式重では設置位置が低く、機内の床面ギリギリに側面窓が開口しており、風防は横方向ではなく、下に向けて傾いて取り付けられています。
一式陸攻の側方銃架と四式重の側方銃架は優先すべき機能が違うのです。
四式重の半埋込式の砲塔に気が付いたのはなかなかですが、これも一式陸攻二二型では、敵戦闘機の速度が向上して前方からの反復攻撃を受ける危険が増した、との判断で取り付けられたものです。一式陸攻は前方を射撃するために砲塔(原計画では銃塔)を積んだのです。
これに対して四式重は旋回角が220度しかなく前方に砲を向けられません。
四式重は一式陸攻一一型がそう考えられていたように、高速なので前方に回り込まれる危険は少ないと考えられているのです。
といった訳で、
四式重の装備は「新旧チグハグ」なのではなくて、それがその時点の最新、最適の答だったのです。
BUN
- 書きそびれましたが、四式重の連装銃架は新設計です。
BUN
- ありがとうございます。側方銃座、たしかに低いですね。気が付きませんでした。
一式との写真比べてみます。
ヘイミー