1665 ウィキペディアの第二次アキャブ作戦における戦闘機の損害は
日本側 65機
イギリス側 3機
とあり、損失機数でかなりの差があります。

何故これほどまで一方的な航空戦になってしまったのでしょうか。
ひょっとして、そもそもこの損失機数は不正確であり、実際は異なる損失機数だったりするのでしょうか。
天ヶ崎

  1. 1944年のビルマ戦線でのイギリス空軍の戦果はきわめて過大に報告されています。特にこの時期に行われた日本側への航空撃滅戦は報告とは裏腹に殆ど戦果を上げていません。日本側が予備の飛行場を利用できたことと、インパール作戦準備のためにこの方面の航空作戦を切り上げたことで幻の大戦果は疑われずに済んでいましたが、こうした戦果の誤認がインパール作戦中の苦戦に繋がっています。
    BUN

  2.  日本語版Wikipediaにはたしかに65対3という記載はありますが、これは英語版の記載をそのまま写したように思えます。これはLouis Allen著Burma:The Longest War,1941-1945という本の記載に基づいていますが1984年に初版が出ている本ですので、日本側の記録をどこまで参照できたかという疑問があります。
     戦史叢書第061巻 ビルマ・蘭印方面 第三航空軍の作戦 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=061# の第3編第3章234コマ以降が該当部分ですが、この期間の損失機数の総数の記載はないようです。ただ、10機程度の損失の記載はあります。日本側の書籍としては、梅本弘著「ビルマ航空戦」あたりが最も詳しいようですが、未見です。
     1で書かれているので、屋上屋を重ねることになりますが、調べましたので、一応、載せておきます。
     
    hush

  3. 回答ありがとうございます。
    つまり、日本戦闘機65機損失という数字はイギリス側の戦果報告としてであり、実際の損失数ではないでしょうか。

    出来れば実際の数字が知りたいのですが、第二次アキャブ作戦中における戦闘機損失数は、
    日本側 10機程度
    イギリス側 3機
    という感じなのでしょうか。
    天ヶ崎

  4. 近年はイギリス側の戦史にも戦果を誤認したので後から苦労した、といった内容が書かれるようになってきています。
    BUN

  5. >3
    >出来れば実際の数字が知りたいのですが
     2で紹介した本や同氏の一連の著作「第二次大戦の隼のエース」、「捨身必殺 飛行第64戦隊と中村三郎大尉」等を参照されればと思います。
     2で申しましたように、私は未見ですが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E9%9A%BC%E6%88%A6%E9%97%98%E9%9A%8A#%E5%BE%8C%E6%9C%9F あたりの記述を見ていますと、かなり調査されているようですので。
     
    hush

  6. 大日本絵画の「第二次大戦の隼のエース」(梅本弘氏著作)の67〜69頁に、
    第二次アキャブ作戦関連の日本陸軍 第50、64、204戦隊の空戦の一端が書かれています。
    全ての空戦を羅網している訳では無いようですが撃墜された(した)パイロット名まででていますので
    少なくとも英空軍(+インド空軍)の損失は3機などという少数では無いようです。
    一例で申し訳ありませんが英軍侵攻開始当日の4日と翌5日のみだけでも上記戦隊の戦果は3機となっていますね。
    内容は飛び飛びですが、18日の出撃まで戦果を挙げ続けています。
    陸奥屋

  7. すみません。
    上記日付は1944年2月のものです。
    陸奥屋

  8. >6
     フォロー多謝。
     ところで、その本は1945年2月11日のイギリス駆逐艦パスファインダー攻撃についての記述はありますか。
     陸軍航空隊が艦艇を攻撃し、再起不能までにした珍しいケースなので、載っているのなら購入したいなと思っていましたので、よろしければ教えてください。
     
    hush

  9. 何度も申し訳ありません。またまた修正ですが数値修正だけだと何ですのでお詫びがてら内容も・・・

    1944年2月4日の英印軍侵攻当日に204戦隊の五味博中尉がインド空軍第6飛行隊のグラシアス少尉機(ハリケーン)を撃墜、
    翌5日には64戦隊が英空軍第136飛行隊のカーロン曹長機(スピットファイア)、11飛行隊のブライト中尉機と
    コーベット軍曹機(双方ともハリケーン)を損失無しで撃墜しています。
    修正は4日と5日の合計で撃墜4機でした。無論、これは2日分の戦果で書籍には2頁に渡って18日までの空戦の模様が描かれています。
    陸奥屋

  10. >hushさん
    11日、64戦隊はラムリー島沖の英海軍艦艇の攻撃を命じられた。池沢軍曹は戦隊長の僚機小隊にいたが、戦隊長に付いていくと対空砲火が激しいので、
    また勝手に編隊を離れた。今度は僚機の池田軍曹機を連れている。そして目標を発見。相次いで急降下爆撃を敢行した。この時、艦尾に2発の直撃弾を受けた
    2200トンの英駆逐艦「パスファインダー」は本国まで曳航されたが、そこで廃艦になった。

    ↑117頁掲載文章一字一句変えずにそのままです。

    陸奥屋

  11. >10
     ありがとうございます。
     著作権上、文句を言われなければと思うような書き込みで、かなり驚きましたが、とても参考になりました。
     厚く御礼申し上げます。
     
    hush

  12. 陸奥様、hush様ありがとうございます。
    案外少ないとは思っていましたが、イギリス側損失3機すら実際は違っていたんですね。
    教えて頂いた本を読んで少しずつ調べてみます。
    天ヶ崎


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