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1624で大阪空襲にB24が云々という質問が有ったので 思いだしたのですが、私が小学生の時学校の図書室にあった太平洋戦争の本に 日本に来襲した米軍機と言うのがあって その中にB24、P-38と記述されてた記憶があります。 P-38も本土に来襲してたのでしょうか? 来襲してたとしたら沖縄陥落後で偵察機型が主と言うことでしょうか?確か沖縄陥落後は、P-47Nも来襲し343空と交戦してるみたいですし。 まさのり |
- https://ww2aircraft.net/forum/threads/p-38s-and-japan.14516/
機械翻訳で引用
「第5空軍の第8FGは、1945年7月に沖縄/伊江島から運用を開始したと思います。475番目のFGは8月にそこに移動しました。そこに移動した他の第5空軍ユニットはP-51とP-47であり、日本上空で活動しているVII戦闘機司令部の戦闘機も同様でした。少なくとも1機の13番目のAFP-38ユニットも、降伏の前にそこに到着しました。49番目のFGです。P-38ユニットの中で、8日目は沖縄/伊江島からの唯一の空中戦を見たと思います。彼らは8月14日に豊後海峡で第47戦闘連隊タイプ4(「フランク」)と交戦し、1機のP-38を失ったことで4機の「フランク」を主張し、日本軍は2機のタイプ4を失ったことで5機のP-38を主張した。」
世傑(No.30)にもこの件の記述があります。救助機の護衛だったようです。
超音速
- >1
ここ https://ja.wikipedia.org/wiki/P-38_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)#%E6%88%A6%E6%AD%B4 の1945年の項にある豊後水道の空中戦は事実だったのですね。
裏を取ろうとしたのですが、うまく探しきれませんでした。
hush
- 超音速さん回答ありがとうございました。
まさのり
- P-38の偵察型F-5は伊江島から本土上空へやって来て写真偵察を行っています。
原爆投下後の効果評価の写真撮影なども行っています。
片
- 米軍資料に基づき書かれた林博史さんの『沖縄からの本土爆撃 米軍出撃基地の誕生』(吉川弘文館)に1945年8月10日の熊本空襲のこととして、「第5航空軍の第8戦闘機軍団第80戦隊のP38、15機は、熊本に到着した時には町が激しい煙で包まれていたので、町の北東の集落などにナパーム弾15発を投下、熊本の北郊外の倉庫型の建物に機銃掃射をおこなった」とありました。
トッキー
- 片さん、トッキーさん回答ありがとうございます。私、米軍機が本土に爆弾を落としたのは、B29以外ではドーリットル空襲のB25、特攻隊基地攻撃の米海軍艦載機くらいだと思っていました。
まさのり
- こちら https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2 を見ていると、P38は8月12日に鹿児島県阿久根を空襲しています。また、その前日にはA20が加治木を襲っているようです。
御質問は米軍機とありますが、イギリスの空母を発艦したシーファイアーも参加しています。
hush
- hushさん詳しいフォローありがとうございます。当該のwikiにあるP-47はN型ですよね。
まさのり
- >8
そういうのは詳しくないのですが、P47Nは硫黄島に配備されていたそうです。
hush