質問コーナー(AnsQ)分類

2.艦船関係 801 - 900


No.
内容
801 ワシントン海軍軍縮条約において、日本海軍は当初「陸奥までは議論の余地無く存続。加賀型2隻の存続が主題。天城以後は議論の余地無く廃棄」との見方だったようですが、米英海軍に対してはどの程度の主力艦の存続を認めるつもりだったのでしょうか?
史実+2隻の新戦艦の存続を主張する以上、最低でもそれぞれに史実+2隻以上の新戦艦存続を認めないとバランスが取れないと思いますが。
802 デ・モイン級重巡洋艦の機関部の重量ってどれぐらいなんですか?
803 模型誌に長波は最終時、2号2型電探を2基装備していたとありました
1基は前檣上だとして、もう1基はどこにあったのでしょうか
804 八八艦隊って戦艦八隻、巡洋戦艦八隻の計画というのはよく知られていますが補助艦はどういうのを計画してたんでしょう?
5500t級等が含まれるのは知ってますがそれ以外はあまり知らないのでよければ教えて下さい。
805 またもや質問すいません。
島風の五連装魚雷発射管の重量は何tなのですか?
806 よく書籍において「日本海軍は対潜においてソナーが役に立たず、目視に頼った」という文章を見ます。

しかし、アメリカ海軍の潜水艦喪失数が54隻、そのうち日本海軍によるものが42隻
イギリス海軍の潜水艦喪失数が3隻、このうち日本海軍によるものが3隻
ロシア海軍の潜水艦喪失数が2隻、このうち日本海軍によるものが2隻
合計47隻の潜水艦が航空機や水上艦艇、機雷により撃沈されたことを考えると
目視のみでこの数値はとても厳しいのではないかと私は思います。

さらに日本海軍は127隻の潜水艦が亡失していますが、このうち戦闘を原因とするものは78隻(うろ覚え)だったと思います。
最新のソナーを使用した米海軍と目視のみに頼ったと言われている日本海軍の対潜戦果の差が少ないことを考えると実際は日本海軍も目視のみではなく、ソナーを用いて対潜活動をしていたのではないでしょうか?
807 第二次世界大戦時、ブロック工法を利用した艦隊型の艦艇は存在したのでしょうか?もしくは、造船可能でしょうか?
それと、第百一号型輸送艦にもブロック工法が使われたそうですが、ビーチングの時に不具合はあったのでしょうか?
808 航空母艦の艦橋の丸窓の直径を教えてください。トイレなどの小窓ではなく一般的な丸窓ですので、宜しくお願いします。
809 日本海軍の航空母艦のエレベーターの操作は、どこでおこなっていたのでしょうか。どうもエレベーター上には操作装置は見えないようです。エレベーターの準備ができたら、手信号などで舷側など他の場所にいる係に伝え、そこから伝声管または信号機(?)で昇降操作室のような部署に伝えて動かしていたのかなあ、と想像しているのですが。
810 日本海軍の発着艦装置について質問です
日本海軍は空母用カタパルトの開発に失敗したと聞きますが、巡洋艦など水上機用のカタパルトを流用することはできなかったのでしょうか?
また、日本海軍が用いたロケット推進装置の性能について教えていただけますでしょうか。
811 軍艦の蒸気機関について質問いたします。

同型艦として建造された複数の艦にはボイラーやタービンのサプライヤーが異なる例が散見されますが、こうなる(または、こうする)理由を教示いただきたく存じます。
浅学ながらで考察しました当初は軍用機開発と同様にリスクヘッジが思い当たりましたが、すでに完成している製品をチョイスするわけですのでリスクは低く、むしろ単一サプライヤーへ同一製品を複数台発注すればコスト面のメリットが出るはずです。
また、軍需産業各社への配慮やバランス取りかとも考えています。

以上よろしくお願いします。

追記。この質問はウェスティングハウスが過去関わった軍艦を調べていて思い当たりました。
812 我が海軍の航空母艦の飛行甲板の後部両側についている四角い鋼鉄製の板のようなものは何なのですか?
用途と名前を教えてください
長文失礼しました
813 先日駆逐艦の図面資料についてお尋ねした者です。再度質問させていただきます。

駆逐艦やコルベットといった対潜艦艇はおおむね艦尾付近に爆雷庫があるようなのですが…。これって、上甲板に引き出す際はどのようにしてひっぱりだしていたのでしょうか?
具体的には『倉庫から上甲板までの運搬は手動だったのか』『運搬に際してはどのような経路で運んでいたのか』という二点が気になっております。たとえば旧海軍の海防艦では爆雷用のエレベーターを設けていますが、それ以外の艦艇では具体的な運搬方法についての記述が資料にありませんでした。お分かりになる方がいらっしゃいましたら是非おしえてください。
よろしくお願いいたします。
814 大改装後の「扶桑」・「山城」および「龍驤」について、その姿を語っている軍内部や当時の記事などがあれば教えて下さい。
815 何度も失礼します。
自作の小説用に対潜戦闘に関する艦艇や装備を調べているのですが、調べれば調べるほど疑問が湧いてきてわけが分からなくなっています。以下の2点について、ご存知のかたがいましたら教えてください。

@英米(というかイギリス)の水上艦は水中聴音機を使ってなかったの?
たとえば日本の松型駆逐艦では探信儀と水中聴音器をセットで載せてたようですが、調べた限りだと英米の水上艦は探信儀しか搭載していなかったようです。両国海軍が探信儀による正確な位置特定を重視していたというのは以前から知っていたのですが、だからといって探信儀のみに頼るというのはちと極端な気がします。これは本当のことなのでしょうか?

A探信儀で聴音機の真似事はできるの?
つまり聴音機の代わりに探信儀で水中の音を聞き取る作業が可能か否か、あるいは実際にそういう運用がなされた事例はあるのかということです。今まで潜水艦の捜索は『聴音機で敵の存在や大まかな位置を探知』→『目標に接近して探信儀でより正確な座標を測定』という流れだと思っていたのですが、上記のとおりだとすると自分のイメージは正確なものではないということになります。
もし仮に代用できないのならば、英米における対潜警戒は遠距離においてレーダーに依存していたと考えていいのでしょうか?

816 wikiの大和型戦艦の全長が263.4mになってるんですが263mじゃありませんでしたっけ?
新しい考証とかでたんですか?
817 1・スキージャンプ方式の空母は英国のアイデアと聞いております。その後各国海軍でこれを真似るようになったわけですが、英国への特許料の支払いとかはどうなっているのですか?

2・スキージャンプ方式とカタパルト方式を併用した空母がないのは何故ですか?
併用すれば大量の爆弾や補助タンクを装備したまま発艦できると思うのですが?
以上、よろしくお願いいたします。
818 日本海軍の空母で艦橋構造物がある艦は飛行甲板に面した場所に
うち合わせ用の黒板があるのですが艦橋構造物の無い艦では
米海軍のように飛行甲板にチョークで地図を書いたりして打ち合わせをしていたのでしょうか?
819 日本海軍は機関に艦本式ロ号缶を使用していた艦が多いわけですが大和や翔鶴、島風で微妙な差異があると聞きます。
では区別するため名称に「改」等がつくことはなかったのでしょうか?
820 ソ連海軍の戦艦「ガングート」ですが、日本の資料ではほぼ「1942(43)年にオクチャブルスカヤ・レヴォルチャから旧名に復した」とあります。
ロシア語の資料では再改名が明記された資料がなく、戦後の記念切手等にも「オクチャブルスカヤ・レヴォルチャ」となっています。
この「ガングートが旧名に復した」という話は日本のみで見られるものなのか、或いは冷戦期の西側で広く信じられていた話なのでしょうか?(現役時期のジェーン年鑑等に記載がある?)

ご存じの方が居られましたら教えて頂けますと幸いです。
821 wikiには改利根型という艦が記載されてますがどういう艦なのですか?
普通の利根型とどう違うのですか?
822 艦船か車輌か迷いましたが、艦船について質問させていただきます。
自衛隊では離島奪還作戦で水陸機動団を海上自衛隊のドック型輸送揚陸艦よりLCACやAAV7、ボートを発進させ上陸、他にヘリボーンで上陸させ橋頭堡を確保するそうですが、LCACの場合10式や90式を1輌しか搭載できず、大規模な揚陸ができませんよね?
そこで自衛隊は有事の際、どうやって離島へ戦車を揚陸する構想なんですか?LCACによるピストン輸送ですか?ビーチングですか?それともAAV7や機動戦闘車、軽装甲機動車などを装備し、先行上陸部隊に港湾を奪還させ、そこから戦車を揚陸するんですか?
823 昭和16年当時の戦艦榛名の状態が知りたいので質問します。

・防空指揮所の形状
・第一煙突両脇の短艇甲板(?)

の形状が具体的には知りたい箇所です。

防空指揮所は終戦時の榛名の写真では大きく艦首側へ張り出していますが、これは開戦時からこの形状だったのか?
模型等で上から見ると第一煙突両脇の短艇甲板は、左右非対称で部分部分が楕円形の様な形状をしていますが、これも開戦当時からこの形状だったのか?

ご存知の方や、これらが分かる資料をご存知の方、お教え願えますでしょうか?
824 日本海軍は伊勢、日向に搭載された一式2号11型や、大淀に一時搭載された二式1号10型は性能的に空母カタパルトに使えると思うのですが、実際に日本海軍は空母用カタパルトに転用する計画はありましたか?
825 もう一つ質問です。
いずも型の任務は対潜任務が挙げられ、対水上任務には否定的に見られがちですが、搭載するSH-60Kには対水上艦任務に補助的に用いられるので、いずも型も補助的にながら対水上艦への戦闘に参加できるのではないでしょうか?
826 潜水艦の代表的な五状態:
全没
露頂
浸洗
浮上
沈座
http://www.ships-net.co.jp/detl/201209z/
の、英語訳を教えてください。 英語で海外にポストしたいのですが、訳せません。

たぶん
全没状態:Diving
露頂状態:Periscope depth
浸洗状態:Deck Awash
浮上状態:Surfacing
沈座状態:Bottoming
だと思うのですが、Deck Awashでは、昔の潜水艦の水上航行中になってしまうとおもいます。現代の潜水艦の、静かな海でセイルの半ばまで水面下に潜めて停泊しながら、音響測定や磁気測定をしている浸洗状態とは、Deck Awashは異なるとおもいます。

何卒よろしくお願い申し上げます。

浸洗状態の潜水艦の写真などを、世界の艦船誌などでよくみかけるのですが、いざ探すとなると、ネットからは見つかりませんでした。
827 潜水艦のハッチについてなのですが、海自の潜水艦はテレビ番組ではモザイクがかけられ停泊中にはカバーがかけられてと、ハッチの厚みから最大潜航深度が分からないように気遣っているのが見られます。一方でたまに海外の戦略原潜がミサイルハッチを開けている写真を見ることがあるのですが、これは何故なのでしょう?海自が過剰なのか、戦略原潜あるいはミサイルハッチは特別なのか
828 レイテ沖海戦終了後、矢矧側は8cm高角砲片舷1基計2基を10cm連装高角砲片舷2基計4基(大淀と同数)に換装するよう要望したが、実行されなかった…という記述を見たのですが、矢矧というか阿賀野型ってそこまで設計に余裕があったのでしょうか?
続いて計画されていた改阿賀野型が8cm高角砲片舷2基計4基というスペックが予定されていたのなら、この換装によってトップヘビーを引き起こしたりしないのか?と思ったものでして質問させて頂きました。
829 艦影図についての疑問

海戦の映画などで敵艦の艦影図が貼られているのをたまに見かけます。
実際でもそうした図が使用されたと思いますが、
なぜ敵国の艦影図が入手できたのでしょうか?
やはりスパイ活動の成果なのでしょうか?

素朴な疑問ですが、よろしくお願いいたします。
830 ストロジェヴォイ級駆逐艦が灰色の艦底色だった事はありますか?
831  現在では、大戦時の潜水艦に比べ随分と潜航持続時間が伸びているように聞きます。ドイツの209型潜水艦が低速で89時間、AIP潜水艦では2週間といいます。お聞きしたいのは呼吸できる持続時間の伸びについてです(航続距離ではなく)。
 どのような方法により改善されているのでしょうか。以前に、艦内容積(一人当たり)に左右されるとも聞きましたが、現代がそれほど劇的に変わるものとも思えません。酸素の供給と二酸化炭素等の吸着方法の改善に伴うものなのかとも思いますがいかがでしょう。酸素放出による気圧増大も圧縮機によって処理しているのでしょうか。よろしくお願いします。
832 久々に質問させていただきます。
例によって例のごとく、小説を書いていて疑問がまた噴き出してまいりました。どなたか力をお貸しください。

お聞きしたいのは戦闘時における戦闘艦の人員配置についてです。戦闘に際して各部署に配置されていた、あるいは規定として定められていた兵員数を記した資料をどなたかお持ちでないでしょうか。色々と本を読んである程度のイメージはついたのですが、確定的なものをまだ見ていないのでどうも落ち着きません。ご存知のかたがおりませんでしょうか。
時代は第二次大戦期、艦種は駆逐艦です。出来ればイギリス海軍のそれが理想ですが、日本のものでも構いませんので是非ともお願いいたします。
833 アメリカ海軍のイージス艦がコンテナ船と衝突し、軍鑑であるイージス艦の方は、右舷中央付近が大きく破損したそうです。
軍艦が破損したことに、驚きました。
その理由は何でしょうか?
(私は、次のことを考えましたが、合っているでしょうか?
1.軍鑑といえども、当り所が悪いと、破損する
2.イージス艦は、直接の戦闘を想定していない。従って、防御設備(被弾などに対する)は特に考慮されていない)

834 Mk.56 GFCSは艦内のMk.42というコンピュータで計算すると聞きましたが艦内のどこら辺に置いてるんですか?
835 偕成社―伝記:世界を変えた人々―第11巻「ピーター・スコット」を読んでいてスコットが乗組んでいた英国駆逐艦ブロークについて興味を持ちました。
私の手元にある海人社「イギリス駆逐艦史」によると、第一次大戦中に計画されたソニークロフト級駆逐艦の5番艦で1925年4月15日竣工、第二次大戦中の1942年10月10日戦没となっています。この艦の戦歴等についてどなたか詳しくご存じの方がおられましたら、どうか教えてください。
836 CICについてです。
米軍の1940年代の艦には既に初歩的なCICがあると聞きました。
しかし、現代のCICとは違いプロッティングボードにペンで書き込む様なものだったと聞いてます。

そこで疑問なのですが当時のCICにはどういうような人が配置されていたのですか?
幹部クラスの艦長や砲術長、高射長等はここにいるのですか?
ペンで書き込むならそれ専門の人がいるでしょうし、レーダー員もいると思いますがそちらも詳しく知りたいです。
艦種ごとに違うのなら戦艦のものが知りたいです。

また、レーダー室は別で存在したとも聞いた事があるんですがCICにもレーダー員がいてそこでレーダーの様子を確認できたと聞いてます。
レーダー室とCICが別れている理由はなんなのでしょうか?
837 木造船の銅板被覆についての質問です。

1.戦列艦等の船体を覆っていた銅板の厚さはどれくらいですか?(幅と長さは数値を見つけることが出来ましたが、厚さは見つけられませんでした)
2.銅板を固定していた釘のサイズと本数(または間隔)は?
3.銅板の寿命はどれくらいだったのですか?
4.銅板被覆でカキ等は付着しなくなっても海藻は付着するので定期的にドック入りして除去しなければならない点は変わらなかった・・・と聞きましたが、ドック入りの間隔(年に〇回とか)やドック入りした際の期間に変化はどの程度軽減したのでしょうか?
838 世界の艦船増刊「第2次大戦の日本軍艦」を見ていて疑問に思ったのですが、大鷹型の説明に「艦隊戦闘時に第一線空母への航空機補給任務の補助空母とする考え」という文言がありました。
大鷹型は計画段階では通常の艦隊戦闘に使用する空母として計画されていたと思うのですが、上記内容(第一線空母への航空機補給任務)を示す一次資料は存在するのでしょうか?

また、大鳳の説明に「アウトレンジ戦法に基づき(中略)中継基地を務める艦であった」とも書かれています。
しかし当初計画で検討された事は知っていますが、戦争がなければ重防御の装甲空母を標準化するのが日本海軍の計画(改大鳳型)であったとする説と大きく矛盾しています(上記大鳳の説明には装甲空母標準化への記述なし)。

大鷹型、大鳳共に同一人物による解説ですが、これらの解説を示す資料はあるのでしょうか?
ご存知の方が居られましたら教えて頂けますと幸いです。
839 初めまして。主に第二次世界大戦時の番艦順に関する質問です。

アメリカ海軍では艦種記号とともにハルナンバーが軍艦名の前に付けられているため、それを元に◯番艦と数えていたり、
また日本海軍でも建造番号等が判明している為、それを元に◯番艦と数えていることがあります。
ですが、英伊の場合どのような基準で番艦順をカウントしているのか分かりません。

例えばイギリス海軍のカウンティ級サブクラスであるケント級は進水・竣工日が1番目ではありませんが、何を基準としてネームシップとなっているのでしょうか。
イタリア海軍のナヴィガトーリ・ソルダティ級駆逐艦は識別コード順で数えていけば良いのでしょうか。

そもそも上記の例は番艦順を考慮していないのかもしれませんが、
ご存知であれば教えて頂けると幸いです。よろしくお願いします。
840 何度も質問してすいません。
アイオワ級戦艦の各種兵装は何発ずつ砲弾を積んでるんですか?
また、以前見た映像でアイオワ級の主砲用銃把が三つあったように記憶してるのですがどういう風に使い分けてるのですか?
最後は全然違いますがSM-24-ZIFという対空火器はどうやって装填してるんですか?
841 BB-57サウス・ダコタは艦隊旗艦設備を搭載した関係で兵装の一部を搭載できなくなったとの事ですが、これはサウス・ダコタ級の船体が小さかった故でしょうか?
モンタナ級戦艦3番艦BB-69メインにも艦隊旗艦設備を載せる予定だったということですが、此方は船体が大きいからか特には兵装の削減といった話も聞かれなかったものですので…(尤もモンタナ級自体が起工もされていないというのもありますが…)
メインに設置予定だった艦隊旗艦設備というのもサウス・ダコタに設置されたものと同系統の物という認識でいいのでしょうか?
842  日本帝国海軍艦艇の凌波性について質問です。

 第四艦隊事件を受けて艦艇に求められる凌波性や船体強度(想定する波浪)が強化されていますが、魚雷艇等の小型の舟艇については第四艦隊事件以降どの程度の凌波性(あるいは対応すべき波浪の規模)が求められるようになったのか教えてください。
843 戦艦大和の詳細な建造日程はどうなっていたのでしょうか?
主砲塔が五月下旬に積み込み完了したとかは聞いたことが有るのですが他はよく知りません。
ネットを当たっても書いてるのは進水日や竣工日くらいだけなので詳細な物が知りたいです。
844 WWII当時の日本海軍潜水艦が、砲撃をする際の質問です。数年前にTVの終戦記念特集で、潜水艦の乗員だった方の話を紹介していました(番組名等は忘失)。
浮上すると、砲術長の「番号」の号令に、「しゃく」「せん」「しゃ」「1」「2」「3」・・・と答える、と言うような内容でした。これは、「尺」「旋」「射」で、それぞれ「測距」担当、「方位や迎角」担当、「射撃(トリガー)担当」であり、1・2・3・・は砲弾を運ぶ担当、と解釈しましたが、これで良いでしょうか。
読みにくい文章ですが、よろしく 御願いします。
845 「日本海軍における”高速戦艦”」とは一体どんな軍艦を指しているのでしょうか

定義付けがされていたり、何ノット以上みたいな基準があったのでしょうか
また任務や役割の違いだとしたら、”戦艦”と”高速戦艦”と”巡洋戦艦(類別上廃止されましたが)”ではどのような違いがあったのでしょうか

出来れば、第一次世界大戦〜八八艦隊より、戦間期〜第二次世界大戦の話でお願いします
846 STOBAR は、そもそもカタパルト発進アレスティングワイヤ着艦がコンベンショナルで、それに対するイレギュラーな形態であるから、「でもさ、こっちではさ」というニュアンスで BUT が入っているのは分かるのですが、CATOBAR はどうして BUT が入っているのでしょうか?
STOBAR が先にあって単にそれを使い回した表現だからでしょうか。
(英語版ウィキペディアでは、B が BARRIER の意味であることも紹介されていますが、数年前までは BUT のみ見かけていたので質問です)
847 訂正です。
×カタパルト発進アレスティングワイヤ着艦
○STOL発進垂直着艦
848 大和の砲撃訓練の際、陸奥が標的を曳航していったというのを本で読みました。
この標的とはどういう物だったのでしょうか?
読んだ本には大きさな構造など全く書かれていなかったので知りたいです。
また、同時期の世界の海軍はどういう物を使用していたのですか?
849 フォレスタル級航空母艦は装甲を持っているのでしょうか?
持っているとすればどの部分にどのくらいの範囲で厚さは何mmなのですか?
850 伊勢、日向の噴進砲の射撃指揮装置の装備された場所はどこですか?
まさか最初から砲が各個で動いてはいませんよね?
851 航空母艦「神鷹」はドイツ客貨船「シャルンホルスト」を買収・改造した艦ですが、条件は

・無償譲渡
・ただし終戦後船価の2倍をドイツに支払う
・日本側の好きなように改造してかまわない

だったと聞いております。

では、この対価は終戦後ドイツに支払われたのでしょうか?
それともうやむやの内に踏み倒されてしまったのでしょうか?

宜しくお願いいたします。
852 駆逐艦の天津風なのですが、タービンに蒸気を供給するのにどの様にして温度と圧力を合わせていたのでしょう?以前、蒸気線図を見ていたときに単純に圧力を下げただけては温度は合わなかったと記憶していますどの様にしていたのでしょう?
853 戦艦大和の司令塔はどこからはいるのでしょうか?

また、一つ目とは関係ないですが拝艦というのがあると聞きました。
どこまで見せていたのでしょうか?
854 ペンサコーラ級や金剛代艦平賀案などの船は、連装砲2基と3連装砲2基の計4基の砲塔を持っていますが、これらの船はなぜ3連装3基として設計しなかったのでしょうか?

砲塔が多いほうが砲の残存性が上がるからという理由も考えられたのですが、主砲を1門多くするために砲塔が一基増えるというのは割に合うものなのでしょうか?
855 イタリア海軍のカイオ・ドゥイリオ級戦艦はなぜ連装砲と3連装砲の混載になったのでしょうか?

同じ主砲配置である前級のコンテ・ディ・カブール級戦艦については、オーストリア=ハンガリー帝国海軍のテゲトフ級戦艦より多い主砲を搭載しようとしたが、トップヘビーになりそうなので2番・4番砲塔を縮小したのであのような配置になった、ということらしいので納得できます。

しかし、その改良型であるカイオ・ドゥイリオ級戦艦でも同じ主砲配置であるというのは疑問に思います。なぜ船体を大型にして主砲5基ををすべて3連装法にするということをしなかったのでしょうか?

予算の関係で出来なかったとしても、中部砲塔を廃止してテゲトフ級戦艦と同じような3連装4基の主砲配置にすれば、主砲は1門減りますが、砲塔も1基減らすことが出来て重量削減になりますし、主砲の射界が改善されるので、1門程度の火力減少も問題にならないと思うのですが、なぜそうしなかったのでしょうか?
856 母艦龍驤の模型を製作中なのですが、13mm四連装機銃を全て25mm機銃に換装した作例を考えております。
アリューシャン出撃前とミッドウェー作戦終了後に呉で入渠整備しているようなのですが、
その辺りの時期に25mmを新しく搭載するとしたら、連装と三連装のどちらが適当に思えるでしょうか?

また、九六式25mmはかなり重量があるようなのですが、13mm機銃の搭載部にそのまま機銃だけ乗せ換えることは
流石に無理でしょうか?自分でも推定しようとは思ったのですが、どこを調べても九三式13mmは単装・連装の
データしか見当たらず、四連装機銃の重量が不明でお手上げです。
857 潜水艦の排水量(予備浮力?)について教えてください。
先日進水したしょうりゅうなど、最近の通常動力型潜水艦は浮上時の排水量が潜航時の7割くらいと公表されています。
原潜であるシーウルフ級でも8割、つまり水上に2割位持ち上げられます。

ところがUボートVIICは9割近くで、予備浮力(?)が1割そこそこしかありません。
Uボートは、甲板上に砲や機銃、見張り員のための広いセール、モノによっては予備魚雷まで積んでいる訳で、これらを除くと艦体を持ち上げている割合はもっと小さくなるでしょう。
水上航行・水上戦の為には現代の潜水艦より艦体を持ち上げる必要があるのではないでしょうか。

逆にそうりゅう型は出航したら帰投まで浮上航行する必要は無いし、浮上しての戦闘は考えられていません。 極端に言えば水上ではハッチが水面上に出れば良い程度に思えます。

潜水艦の予備浮力など注水でどの様にもなるでしょうが、なぜ新しい艦の方が水上でより艦体を持ち上げる設計なのでしょうか?
858 イタリアの未成超弩級戦艦フランチェスコ・カラッチョロ級ですが、1番主砲塔と2番主砲塔、3番主砲塔と4番主砲塔の間が妙に開いているのですが、何故なのでしょうか?
3番主砲塔と4番主砲塔の間には機関が収まっているのかと思いきや、3番主砲塔の両脇に外舷機関が並列配置されているようですし、もっと間隔を詰めて配置することも出来るように思うのですが。
主砲塔の間隔を詰めて完全な背負い配置とする場合、同時期の英戦艦では爆風問題で上段主砲塔の首尾線方向への発砲が制限されていたはずですので、あえて間隔を広く取ってその問題を回避しようとしたのでしょうか?
859  WW2を生き延びたUボート艦長の自伝に、大戦末期信用できる艦長仲間と乗組員数人だけ集めてUボートで南米に亡命を計画したことが書いてあります。
敵から身を隠し大西洋を横断するだけなら数人で可能だったようです。

 また現代の巨大タンカーなどは10人前後で地球を半周します。
WW2当時の戦艦や空母は現代のタンカーのように移動するだけなら何人くらい必要なのでしょうか
860 世界の艦船の2017年9月号増刊米戦艦「アイオワ」級で米海軍最後の戦艦であるアイオワ級は20%過負荷出力で設計されたという記述を見ました。
なら、米海軍最後の重巡であるデ・モイン級はどれぐらいの過負荷出力で設計されていたのでしょうか?
861 島風の沈没原因は本当に機関部のオーバーヒートによる爆発でしょうか。
よく定説として語られていますが、なにか根拠のある話でしょうか。
爆発は爆雷や弾薬の誘爆が原因である可能性もあると思うのですが・・・
862 いつもご教授頂きまして有り難うございます。

第三十二号哨戒艇(旧:駆逐艦「葵」)第三十三号哨戒艇(旧:駆逐艦「萩」)は'41.12/23にウェーク島に擱座・放棄されていますが、現在も残骸は残っているのでしょうか?

宜しくお願いいたします。
863 戦前のノルウェーにあった豪華客船ステラポラリス号(M/S Stella Polaris)について質問です。
1940年にドイツ軍に接収され、以降はノルウェーのナルヴィク港にてUボートのホテルシップとして使用されたと聞きます。
この船の戦中の様子について記された本や映像などの資料を探しています。洋書・和書・ビデオ等をご存知の方がおられましたら、そのタイトルをお教えくださいませんでしょうか?
よろしくお願い申し上げます。
864 ドイツ戦艦ビスマルクに関して疑問があります。
同艦最後の戦いにおいて「1、2番主砲の間に命中した砲弾により両主砲が作動不能に陥った」という話があります。
しかしビスマルク擁護派(こういう言い方はあまり好きじゃないのですが)の人達はこれに対し「主砲射撃指揮装置が直後に破壊されたから砲撃出来なくなっただけで主砲は損害を受けていない」と主張されます。
個人的には射撃指揮装置(あるいはその関連設備)が破壊されたのであれば、特に近距離砲戦であれば2番主砲は主砲測距儀を用いて砲側照準で戦闘を継続出来たと思います。

このビスマルクの1、2番主砲の沈黙について、砲塔の破損と測距儀の破損、どちらがより重大な影響を与えたのか教えて頂けますと幸いです。
865 戦艦大和の艦型案は海軍高等技術会議で審議されたと聞いていますが、一つの案に対し、この時点で何枚の図面が作成されていたのですか?
A-140の断面図は本に載せられていた物があるのであることは分かっているのですが他には何があったのでしょうか?
866 戦艦オッシュの魚雷発射管は五基あるそうですが、
「オッシュの進水」から舷に二基の魚雷発射管があり、両舷の計四基は分かったのですが、残りに一基はどこにあるのですか?
867 あたご型護衛艦で、艦橋上部の中央についている板状の装置は何でしょうか?

Yahoo知恵袋で質問させていただいたのですが、回答がつきませんでしたので、こちらで質問させてください。

あたご型護衛艦では、艦橋トップに、
パラボラアンテナ状のSPG-62射撃指揮装置とMk46OSS光学照準装置がついていると思いますが、
その土台部分の前方(艦首)側に、横に6個、縦に5個の長方形の板が、1枚板状に並んでいますが、これは何なのでしょうか?
拡大写真を見ると、その板の上に、ペンキ塗装禁止と書かれているみたいですので、何かの装置だと思うのですが、
あたご型護衛艦を紹介している本やWEB等を見て回りましたが、この部分だけ説明が見つけられません。
(こんごう型護衛艦にはありませんよね?
その場所にFCS2がついているから付ける場所はないと思いますが)

一体この装置は何なのか、ご存知の方は是非お教え願えないでしょうか?
868 アイオワ級戦艦の前檣楼内部の各甲板には何があるのですか?
大和は第一艦橋や作戦室がありますが、アイオワ級は司令塔や航海艦橋、方位盤等以外良く分からなかったので。

それと戦闘時に艦長は何処に居るのですか?
現在のイージス艦の様にCICにいるのでしょうか?
それとも航海艦橋などの別の場所に居るのでしょうか?
869  蒸気機関が登場する前の船舶というと船底に溜まった水を人力で掻き出す必要がありました。

 日本の安宅船の場合、トップヘビーになってしまうため船底にバラストとして砂利を敷き詰めていたそうですが、排水作業はどのようにやっていたのですか?
870 今、武器関連で質問している魚雷に関連しての質問なのですが、
ソ連の大戦から冷戦の間あたりで、艦の塗装の変更の命令や報告などはあったでしょうか?
昔の潜水艦では、緑の艦底が有りましたが、今では見ないように感じます。
その切り替わった年が分かれば、魚雷の色が変わった年も分かるのではと思った次第です。
871 コアリツィアSVの連装砲が艦載化される計画があったようです。
ここで質問ですが。
1)今まで(18/02/12)において艦載用の垂直式連装砲は存在もしくは計画研究されていたか。
2)日帝時代に1つの砲架に垂直連装を2つ並べたような4門の砲を載せる砲塔を研究していたとのことですがその後どうなったのか。(コイツの下の方↓
http://kancolle-news.com/wp-content/uploads/images/livedoor.blogimg.jp/lovelive2015-kantai/imgs/a/d/ad471cd2.jpg)
にわかミリオタでくだららないことを聞いているかもしれませんが、回答またはそれに関する文献、過去の質問ナンバーを教えて頂けるとありがたいです。
長文失礼しました。
872 日本軍の駆逐艦や軽巡に搭載された砲弾なんですが、50口径12.7cm砲の通常弾は榴弾、軽巡の14cm砲以上に搭載に搭載された被帽通常弾は半徹甲弾という認識でよろしいのでしょうか?
また、12.7cm砲弾は弾量の割に炸薬量が低い(でも105mm榴弾砲に匹敵する炸薬はある)と思うのですが、これは単純に弾殻を厚くすることで貫通力や破片効果の増加を狙ったと考えてよろしいのでしょうか?
873 ドイツ海軍の魚雷に使われていたヘキサナイトとはどのような爆薬なのですか?
874 大和型戦艦は46cm砲弾を艦内に搬入する際、どういう経路、手段を用いるのでしょうか?
875 木俣滋郎さんの日本空母戦史を読むと、「鳳翔は九六式艦攻六機を搭載した。なお一説には開戦時九六式艦戦十一機を搭載した旨の表がある。」との記述があるのですが、鳳翔の前部格納庫に九六艦戦を格納するのはサイズ的に不可能と思われ、表が事実を表わしているとすれば前述の二機種のうちいずれかを後部格納庫に搭載したということであって、戦闘機と艦上攻撃機を両方同時に搭載したことはないということでしょうか?
876 ビスマルク級やヒッパー級が敢えて同じ艦影になるよう作られたのは有名だと思いますが、艦影を他の艦に似せるよう設計した例って他にもあるんでしょうか?
877 空母フォーミダブルの日本語Wikipediaを読むと、就役日は1940年10月31日とあり、出典には「The Illustrious & Implacable Classes of Aircraft Carrier 1940-1969, p.48」と書かれていますが、英語版や世界の艦船 No.649を見ると就役(竣工)は1940年11月24日とあります。世界の艦船 No.327でも11月就役と記述がありますし、正しい日付はいつなのでしょうか。ちなみに日本語wikiでも昔は11月24日と記載していたようです。
878 米空母の搭載機数についての質問です。
カタログスペックの数は露天繫止を含むのは格納庫のサイズからも分かるのですが、実際に各級何機が格納庫で何機が露天という一応の定数はあるのでしょうか?
例えばエセックス級は初期なら91機(指揮官1+VF36+VB36+VT18)という一例がありますが、この内何機が格納庫なのかがよく分かりません。半数近くは露天なのでしょうが・・・
また、吊り下げ機(日本でいう補用機?)もこの中に含んでいるのでしょうか?
実際には予備機(吊り下げ機のことか?)含めて129機?搭載実績とかなので、91機+吊り下げ機という構成だったのか・・・
879 戦艦大和が当初予定していた建造日程には「昭和17年5月上旬 第一期工事終了 6月上旬第二期工事終了」とありますがこの第一期、第二期工事とは何のことですか?
880 よく重巡洋艦に批判的な意見の中にコスト面での問題を挙げたものを見ます。巡洋艦とは本来低廉で数が揃えやすいため護衛や哨戒といった雑用任務に投入しやすいところに強みがあった艦種だと聞きます。しかしワシントン条約以後に生まれた重巡洋艦は船体サイズの急激な肥大化のために建造費・運用コストが嵩み、巡洋艦本来の雑用に投入しずらくなったという意見です。しかしその点に限ればロンドン条約時代に生まれた最上型やブルックリン級のような大型軽巡洋艦も同じコスト面の肥大化問題を抱えていそうに思えてなりません。そこで疑問なのですが同規模の排水量で比べた場合に6インチ巡洋艦と8インチ巡洋艦とではどちらの方が建造費や運用コストがかかったのでしょうか?
881 ダンケルク級戦艦やリシュリュー級戦艦の4連装砲塔は連装砲機構の並列配置との事ですが、これらのクラスの射撃方法について質問です。
交互射撃を実施する場合は、どのような手順を踏んだのでしょうか?
四連装砲塔の各連装の片方ずつ…主砲塔二基で合わせて4門が射撃を行う?
それとも四連装砲塔一基につき1門しか射撃を実施しない?
後者だと効率が悪いように感じますが、これらのクラスは実際はどの様に射撃を行っていたのか気になりましたので質問させて頂いた次第です。
宜しくお願いします。
882 イージス艦の写真を見ていて、気になったことがありましす。
ファイズドアレイレーダーが、艦橋構造物などの周囲4面にバッチが張り付くように設置されています。
そして、その形状が8角形です。
8角形は、(丸でもなく、4角でもなく、3角でもなく)、何か意味があるのですか?、
883 帆走戦列艦の火薬庫の湿気対策はどのようにしていたのですか?

静電気対策で庫内の壁を銅板で覆い、出入り口をカーテンで仕切って外気を遮断するようにしていたのは知っているのですが、何らかの方法で除湿等は行っていたのでしょうか?
884  太平洋戦争中の日本側の戦果報告にやたらと防空巡洋艦撃沈とかありますが、これは何と誤認しているんでしょうか?
886 潜特型が通商破壊作戦をするために米東海岸に進出する際のルートですが、本土から直接南米回りでしょうか?
それともトラックあたりで一端補給した後に南米回りですすむつもりだったのでしょうか?
まさかアフリカ回りではないと思いますが。
よろしくお願いいたします。
887 金剛型戦艦について質問なのですが
金剛型は改装時に速力低下と帝国海軍での「巡洋戦艦」と言う呼称の廃止に伴い書類上「戦艦」と分類されましたが
海外から見た金剛型の分類は「巡洋戦艦」のままだったのでしょうか?
888 はじめてお訊ねします。
三段飛行甲板時代の赤城と加賀についてですが、中段飛行甲板が使われないことになり、格納庫から搭載機を引き出す開口部が閉鎖され、そこに艦橋が作られたわけですが、当初の予定どおり中段甲板が艦戦の発艦に使われていたとしたら、どこに艦橋を設置するつもりだったのでしょうか?
あれだけの大艦ですから“艦橋なし”というわけにはいかないと思うのです。
もしかしたら、過去ログにあるのかもしれませんが、発見できませんでしたので、お訊ねします。
889 アイオワ級が近代化改装で砲塔にベンチレーターを追加した理由はなんですか?
890 12.7cmクラスの榴弾について質問です。日本の三年式は炸薬が下瀬火薬でおよそ1.8kgあります。ではアメリカのMk12 5インチやイギリスの4.7 inch QF、ソ連のB13 130mm砲、ドイツの12.7 cm SK Cの榴弾炸薬量はどのくらいなのでしょうか?
891 アイオワ級戦艦が600隻艦隊構想で復帰する際、様々な案があったことは有名だと思います。
ですが、模型が残されている航空戦艦化等を除き、イージスシステム搭載などの他の案は細かいところがどうなってたのか知られていない気がします。
これら他の案についてご存じの方はおられませんでしょうか?
もし、おられるのなら、御教えください
892 デモイン級重巡洋艦が日本に寄港したことはありますか?
893 関東大震災で廃艦になった天城ですが、完成していたら
加賀のように誘導煙突になっていたのでしょうか?

894 日本の駆逐艦の艦名に旧暦の師走が使われなかったのはわかりますが、神無月もないのは縁起が悪いと思われたからでしょうか?
895 いつもお教え頂きまして有り難うございます。

捷号作戦時の「大和」「武蔵」が甲板を黒く塗装していたのは有名ですが、栗田艦隊の他の戦艦−「長門」「金剛」「榛名」「扶桑」「山城」−は甲板の黒塗装をしていなかったんでしょうか?
(「大和」では戦闘詳報に「甲板を黒く塗った」との記録があると聞きましたが、他艦にはそのような記録はないのでしょうか?)

また、リノリウム張りの巡洋艦や駆逐艦は「黒塗装」の必要はないものなのでしょうか?

よろしくお願い致します。
896 今月号(2018年7月号)の丸に記載されていた記事について教えて頂きたく書き込ませていただきます。

日本海軍の潜水艦が空調不備で活躍できなかった、という趣旨の記事があったのですが、二酸化炭素吸着と気温・湿度調節機能の不十分が米水上戦闘艦に敗北した最大の理由、という結論でした。
実際問題として日本海軍の潜水艦(伊号潜水艦に限定したとして)が持つ上記の能力は他国の潜水艦に比してそれほど劣るものだったのでしょうか?
艦内容積という観点から見た場合、呂号潜水艦に近い独VII型Uボート等もこれらの問題が大きく影響しそうな気がするのですが……。
897 自沈処分に限って質問です。どれも軍事上必要な有益性があったのでしょうか。開戦直後ならまだしも、軍事秘密などがあまり重要でなくなった場合など、わざわざ自沈する必要あるのでしょうか。旧日本海軍に限っていえば、現代から見て客観的に、どれも本当に自沈する必要があったのでしょうか。
898 大和型戦艦の防御要領なんですが、司令塔やバーベットの側面は自艦の主砲に対し20000mで耐える、中甲板装甲等は30000mで耐えるとなっていたと思います。
ですが、司令塔の前面は側面より60mm薄く、バーベットの前・後面等も薄いです。
このような部位の厚さはどのように決定されたのでしょうか?
899 艦橋では方位や距離の数字を読み上げたりすると思いますが、その時の数字の読み方について教えて下さい。
方位は一桁ずつ読み上げると思いますが、100未満の場合、例えば方位10度ならば2桁だけ読んで「ヒトマル」度でしょうか。それとも000〜360度の扱いで「マルヒトマル(010)」度でしょうか?また、100以上でキリの良い100・200・300の場合は一桁ずつ読んで「ヒトマルマル」でしょうか、それとも「ヒトヒャク」でしょうか?
距離の場合は千や万の単位まで行きますが、例えば距離10000なら「ヒトマン」、12000なら「ヒトマンフタセン」といったところで合っているでしょうか?

900 長門型の謎パーツについての質問です。
1番砲塔の天蓋、後端の中央、2番であれば測距儀があるあたりに突き出ている……
枠と言うか、凸状と言うか、3本フレームというか、表現に困るのですが、
あの謎パーツは何でしょうか。
砲塔 天蓋 上 後部 突起 等の組み合わせではかすりもせず調べられずに降ります。

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