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模型誌に長波は最終時、2号2型電探を2基装備していたとありました 1基は前檣上だとして、もう1基はどこにあったのでしょうか しなの |
- そもそもその記事が間違っているのでは?
過去にも某模型誌において「夕雲型の2番主砲が撤去され機銃が増備された」などという記事が掲載された事もありますし(実際には夕雲型で2番砲を撤去した艦がない)。
朝霜や長波の最後を捉えた写真でも見当たりませんし、下手すりゃ記事を書いたライターが電磁ラッパ2個一組の22号電探を見て「2基装備」と勘違いした可能性すら考えられます。
薩摩
- 「福井静夫著作集−日本駆逐艦物語」(光人社)に掲載されている「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」に以下の通り記述されています。
長波:二号二型電探2、一号三型電探1
二号ニ型電探の装備場所:前檣に2基
(「各艦機銃、電探、哨信儀等現状調査表」(福井静夫氏作成)より)
利根型重巡のように、前檣上部の両舷に1基づつ搭載されていたようです。
Ranchan
- ありがとうございました
駆逐艦のような数の多い同型艦でも仕様は共通ではなく、
改装に際して電探の数のような大きな差異があるものなんですね
しなの
- >>2
それは装備状況を示した公式図面、或いは写真等による裏付けがとれているものなのでしょうか?
正直なところ福井氏は海軍の公式図面に「陽炎型秋雲」とあるのに秋雲を夕雲型へ分類した事もありますし、裏付けが取れていない場合はそれが正しいとは言い切れないと思います。
他の夕雲型駆逐艦、事に最後に撃沈された朝霜や長波と同時期に撃沈された浜波の写真を見ても2基装備とは思えません。
他の2号2型電探装備の艦隊型駆逐艦が松型に至るまで1基装備なのに長波のみが2基装備とは考え難いのですが……。
薩摩
- >>4
氏の遺された「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」では確かに「長波」のみ「二号ニ型電探:2基装備」となっており、他の駆逐艦は1基装備です。
誤記などの誤りがある可能性は否定しませんが、実艦に関わられ調査された福井静夫氏の「長波」2基装備説を否定するだけの根拠や資料・写真などは私にはありません。
Ranchan
- >駆逐艦のような数の多い同型艦でも仕様は共通ではなく、
戦地派遣により改装が計画通りに行われなかったり、現地改造で急きょ実施したりということが頻発しますから戦時じゃ当たり前のこと。同型艦でまったく同一な仕様を維持するというのは無理ですよ。
のけ