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世界の艦船増刊「第2次大戦の日本軍艦」を見ていて疑問に思ったのですが、大鷹型の説明に「艦隊戦闘時に第一線空母への航空機補給任務の補助空母とする考え」という文言がありました。 大鷹型は計画段階では通常の艦隊戦闘に使用する空母として計画されていたと思うのですが、上記内容(第一線空母への航空機補給任務)を示す一次資料は存在するのでしょうか? また、大鳳の説明に「アウトレンジ戦法に基づき(中略)中継基地を務める艦であった」とも書かれています。 しかし当初計画で検討された事は知っていますが、戦争がなければ重防御の装甲空母を標準化するのが日本海軍の計画(改大鳳型)であったとする説と大きく矛盾しています(上記大鳳の説明には装甲空母標準化への記述なし)。 大鷹型、大鳳共に同一人物による解説ですが、これらの解説を示す資料はあるのでしょうか? ご存知の方が居られましたら教えて頂けますと幸いです。 薩摩 |
- うーんと遡った大正13年の時点では、赤城加賀クラスのものを「航空母艦」とするのに対し、10000トン級のものは「航空補給艦」と呼ばれていたりもしましたが、すぐに「補助航空母艦」に変わります。この補助航空母艦は防空用の防御兵器です。
昭和10年代の優秀船から改装される特空母については、本来は第一艦隊の対潜哨戒、防御を専務としていたと考えてよいと思います。
片
- 片様
回答ありがとうございます。
しかし第一艦隊の対潜哨戒や防御を専務とした場合、航空魚雷36本や800kg爆弾72個という兵装搭載量と矛盾すると思うのです。
質問に出した「艦隊戦闘時に第一線空母への航空機補給任務の補助空母とする考え」も兵装搭載量とは矛盾する運用方法だと思います。
航空機補給の為であれば搭載機を全機雷装にして2回出せるだけの魚雷を積む必要性はありませんし、対潜哨戒・防御を専務としていたのならば800kg爆弾や魚雷の必要性はやはり薄いのではないでしょうか?
薩摩
- 「本来は」と書いたことにご留意いただければ。
目的や想定される用法は時期によって変わっていきますので、固定的に考えない方がよいかと思います。
そもそも1.で挙げた「航空補給艦」や「補助航空母艦」は民間船改造の特空母などではなく、専用の艦として構想されていた時期のものです。
計画される中身はどんどん移り変わってゆくのです。
片
- 航空魚雷36本などの搭載量の指定は16年初頭のD計画概案によるものと思われ、この時点では優秀船改造特空母は将来的に夜戦航空部隊に配置され対主力艦攻撃任務に就くことが想定されていたからですが、これが実際の改装開始時期に比較的近かったものだったため形として残っていったのだと思います。ただし、その時点では艦攻36機搭載が想定されていました。
片