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大和の砲撃訓練の際、陸奥が標的を曳航していったというのを本で読みました。 この標的とはどういう物だったのでしょうか? 読んだ本には大きさな構造など全く書かれていなかったので知りたいです。 また、同時期の世界の海軍はどういう物を使用していたのですか? Mk.63 GFCS |
- 船上に帆布等で作った標的を載せたものです。
石橋孝夫著「超駆逐艦 標的艦 航空機搭載艦 艦艇学入門講座/軍艦の起源とその発展」(光人社NF文庫)に若干の解説がありますので、こちらを御覧戴くのがよろしいかと思います。
もっとも、陸奥に曳航された標的がこれであるという記述はないのですが、大体のところは掴める思われます。
書架から捜しだせなかったので、昼休みに書店で見てきましたが、出て、あまり日が経っていないので、普通に置いてあると思います。
hush
- 恐らく、標的筏の事だと思われます。
下記のブログに記述が有りますが、
「2016年05月 - 徒然なる戰藻錄 - FC2」
内容は殆ど「軍艦メカ開発物語」深田正雄(光人社)62〜69頁からの引用のようです(この本を未読でしたら、同じ著者の「造艦テクノロジー開発物語」と一緒に、是非読んでみて下さい)。
また、「国立公文書館アジア歴史資料センター」のウェッブページで“標的筏”で検索すれば、色々と発見できるかと思います。
米海軍の写真は、
「NavSource Naval History」
http://www.navsource.org/archives/01/00.htm
等で閲覧できます。
Luna
- すみません、ブログ、徒然なる〜の名前が文字化けしてしまいました。
お手数ですが、“標的筏”でGoogle検索してみて下さい。
Luna
- お二方ともありがとうございます。
やはりただの標的なだけあって簡素な構造なんですね。
「超駆逐艦 標的艦 航空機搭載艦 艦艇学入門講座/軍艦の起源とその発展」も「軍艦メカ開発物語」も持っていないのですぐには読めませんがいずれ購入したいと思います。
もうひとつお聞きしたいのですがこれは電探に映り、電探を使用した射撃の訓練にも使用できるのですか?
Mk.63 GFCS
- レーダーに映るかどうかは存じませんが、もし、レーダー射撃に使用したいのなら、写るように加工すればよいのではと愚考致しております。
昔の知人で、戦時中、熱探知の誘導型爆弾の開発をしていた人がおりまして、筏の上で火を焚いて標的としたと言っておりましたが、それと同じです。もっとも、絶縁体が手に入らなかったので、電線を紙で被覆したものを使用しており、すぐにショートしてしまって、誘導どころではなかったようですが。
hush
- 此方(*)も、どの様な物を曳航したかは書かれていませんが、昭和17年10月28日、伊予灘において戦艦扶桑を標的曳航艦とした砲戦訓練が行われたそうです。そこで、だだ一隻の電探装備艦として参加した戦艦武蔵による電探を利用した射撃(測距儀との同時測距)が行われています。この時に使用したのは、本来このような使用には不向きなメートル波の見張用21号電探を小改造した物でした。
(*)雑誌「丸」別冊「太平洋戦争証言シリーズ 遥かなる戦場 陸海空/戦域総集編III」(潮書房)230〜236頁
Luna
- なるほど、ありがとうございます。
最後なのですが米海軍等もこんな感じのものを使っていたのでしょうか?
Mk.63 GFCS
- >7
2でLuna様が御紹介になられているものではだめなのでしょうか?
hush
- 見逃してました。
すいません。
Mk.63 GFCS
- 「桜と錨の気ままなブログ」さんに、件の標的の事が紹介されておりますので、是非御覧になってみて下さい。
「標的筏」 というような言葉では、検索できないという事でしたので、
国会図書館のウェブページ
http://www.ndl.go.jp/index.html
で「海軍制度沿革 標的」と検索しましたら、
「海軍制度沿革. 巻13」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886738
の艦砲射撃訓練規則(コマ番号24〜111)にブログと同様の図が載っておりました。
一度、「海軍制度沿革 標的筏」、「海軍制度沿革 標的船」と試して、巻8しかヒットしませんでした(*)ので、諦めておりましたが、迂闊でした。
なかなか検索に骨が折れますが、日本海軍で何か分からない事があれば、この「海軍制度沿革」で一度調べてみる事をお勧めします。
(*)巻8でヒットした内容は、明治44年に第三種標的筏を標的船に改称の通達のみです。
Luna