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義烈空挺隊の装備に関する質問です。 当時のニュース映像『日本ニュース252号』を見ていると隊員の方の中に二式弾帯とは異なった弾帯を装備している方々がいました。 それはなんなのでしょうか? 義烈空挺隊の装備表をみると 九四式拳銃の欄に、「同、弾帯」との記述がありました。 おそらくこれのことではないかと推測しましたが、それ以上の事は分かりませんでした。 形状としては九四式拳銃嚢とスナップボタンが付いた弾嚢?入れが五つ(その内中央の物は装着者の右手側から開閉するように横倒しになっている)が一体となっている弾帯です。 前述の装備表には各員弾倉を三個、実包を四十五個装備とありますが、弾嚢?の中にそれぞれ何を入れたのかも分かりませんでした。 他にも、義烈隊の施した簡易迷彩の詳細や、百式機関短銃の弾倉嚢 (ネット上では四連のフラップ無しの物をベルトの左右に装着して計八個を携行するとありましたが、映像を見る限りフラップ無しの五連の物を一つだけ装備しているように私には見えました。装備表には各自十個携行とあるので弾倉二個を重ねて五連に納めたのかなと推測しました。) など、義烈隊の装備について詳細な情報を御存じの方がいらしたら、ご教授してくださると助かります。 名無し二等兵 |
- 拳銃帯に関して詳しいことはわかりません。
百式機関短銃の制式な弾倉嚢がなかったことは以前にもこちらのコーナーで一度取り上げられたことがあったと思います。その際にも書きましたが弾倉十本はすべて雑嚢にいれていました。奥山隊に関しては一日だけ女子挺身隊が軍服に加工を施していますが、弾倉嚢など複雑なものは時間的にも手を出さなかったはずです。ビルマ戦線で英軍の装備を入手し手を入れたか、半年近くの待機中に隊員たち自身が自作したものと思われます。
fujikura001
- 質問させていただいたものです。
お答えいただきありがとうございます。
百式短機関銃に専用の弾倉嚢は制定されて無かったのですね。
ということは私が映像の中で見たものはfujikura001さんがおっしゃるとおり、鹵獲品か、隊製作の装備ということなのでしょうか。ひょっとしらトンプソン用マガジンポーチ20連用のフラップを切り取った物かもしれません。
ただ、日本軍の場合、やはり非正規の装備を堂々と使用するのはやはり推奨されるべき事ではないので、使用する場合はわざと記録や写真に残さないようにしたとの話もあるので、まさに真相は闇の中の感があります。(笑)
九四式拳銃弾帯(もしくはそれに準ずる弾帯)に関しては比較的詳細な映像があり、装備表の中にも二式弾帯と分けて表記されていることから、私の中で存在を確信しているのですが、
百式短機関銃に関しては装備されている隊員さんがそもそも少ないこともあり、詳細な映像を発見出来ずにいます。
一応、隊員さんが搭乗機に乗り込む際に機内から撮影したシーンで、革帯の前に百式の弾倉と弾倉嚢らしきものを挟んでいる方がいるので、もし興味を持たれた方がいらしたら↑上記のNHK のサイトで見れますので見てみてください。
名無し二等兵
- 少し気になったので手持ちの写真を見たところ、奥山隊の写真の中で百式の弾倉が映っていたものが二枚ありました。
この二枚は毎日新聞の「一億人の昭和史」のものです。
一枚は健軍飛行場で百十戦隊の先行発進を見送る奥山隊の一人が手を振っているもので、百式の弾倉下部が映っておりバナナ弾倉らしいカーブが不鮮明ながら四本写っています。
もう一枚は「非理法権天」の幟が映っているもので、こちらは二人目の人の胸部に百式の弾倉上部が映っています。
「名無し二等兵」さんが最後に書かれている「搭乗機に乗り込む際に機内から撮影したシーン」をNHK のサイトでみてみたところ、革帯の前(上)に百式の弾倉がゆるゆるサイズの弾嚢なのか動きに併せて滑らかに上下するのがはっきりと映っていました。うーん、知らなかった。
「名無し二等兵」さん、いままで気づかなかった点をお教え頂きまして本当にありがとうございました。
fujikura001
- すみません。二枚目の写真の幟は「非理法権天」ではなく「義烈空挺隊」の幟の間違いでした。
fujikura001
- こちらこそ、お役に立てて良かったです。
名無し二等兵
- 「名無し二等兵」さまへ
わたしが見かけた三人以外にも百式の弾倉嚢らしきものが映っている写真やニュース映画のシーンご存じでしたらお教えくださいませ。
どうやら最初に書き込みました「ビルマ戦線で英軍の装備を入手し手を入れたか、半年近くの待機中に隊員たち自身が自作したもの」ではないようです。
fujikura001
- 私が知っている範囲では、同じくNHK の『日本ニュース252』の中で、隊員の方が列をなして機体に向かって歩いているシーンに百式を装備し、弾倉嚢らしきものを腰に巻き、その上からさらに前述の「九四式拳銃弾帯?」を巻き付けて装備している方が写ってます。
(五分14秒辺りの左に写ってる方です)
鹵獲品では無いとするとでは正体はなんなのでしょうね…
(;A´▽`A
参考になりそうなのとしては、
ネットにアメリカのガンショーで、手にいれたという謎の日本軍の手榴弾嚢を紹介しているサイトがありまして、その方はパラシュート用の生地等を流用した義烈隊調達装備と結論付けていました。
http://www.japaneseweapons.com/gunyojyu/hakken/11/
私も同じように、「九四式拳銃弾帯」等、幾つかの義烈隊調達装備が有って、その中に百式の弾倉嚢が有ったのかなと想像しています。
名無し二等兵
- さっきの映像ですが、5分12秒のほうが見やすいかもわかりません。
名無し二等兵
- 「百式の弾倉嚢らしいもの」について
百式の弾倉嚢の画像についての情報ありがとうございます。NHKの『日本ニュース252』の中で小さな画像でみたのですが、たしかにありますね。「名無し二等兵」さまの観察力には驚きました。
これで四シーン四人が「百式の弾倉嚢らしいもの」を身につけていたことがわかりました。
勝手にわかりやすくするために四人をそれぞれABCDさんとしてみます。
NHKの『日本ニュース252』の中で機内に乗り込むシーンで百式の弾倉嚢らしいものを装備した人をAさんとします。
『日本ニュース252』の中で、隊員の方が列をなして機体に向かって歩いているシーン5分12秒の人をBさんとします。
毎日新聞の「一億人の昭和史」で百十戦隊の先行発進を見送る奥山隊の一人をCさんととします。
もう一枚は「義烈空挺隊」の幟が映っているページのものでこの人をDさんとします。
○ 四人の撮影上の重複はありません。
○ AさんとDさんの階級は少尉です。Bさん軍刀おとし差しで百式装備は
古参の曹長、准尉、将校の可能性有りです。Cさん軍刀なし百式のみ。
○ AさんとCさんは同じ三独飛の同じ飛行機に乗るグループに所属。
もう少し時間ください。いろいろと調べてみます。
「義烈の手榴弾嚢?」
以前にこれが「軍装研究」で写真紹介された際に、奥山隊の生存者の方へ手紙で問い合わせたことがありました。全員「しらない」との答えだったのでそれっきりにしておきましたが、考え直す必要があるようですね。所有者の方もその後、詳しく素材などを調べたようでネット上の書き込みはなるほどと頷けました。ただし、奥山隊では携帯個数を増すため持っていった手投げ弾はすべて九九式なので、本物だとするとこの手榴弾嚢にはいっていたとされる手投げ弾は入れ替えられたものと思われます。サイズかな?
「謎の拳銃帯」について
尊敬する中西立太先生の「日本の軍装」の中には、布製二式弾帯と記されているようですが、これは締め切りに追われたうっかりですよね。
現在、名無し二等兵さまと私フジクラ001とのチャット状態ですが、できましたら、読まれた皆さんからのお話し、情報お願いします。
fujikura001
- 私は「拳銃帯」と二式弾帯は別のものだと思います。
映像を見ていると二式弾帯と拳銃弾帯を両方装備している方もいますし、革製の一式弾帯(でよろしいのでしょうか)等も混在して運用されていたようですが、いずれも明らかに「拳銃帯」とは形状が異なっています。
あと、Fujikura001さまは義烈隊の生存者の方と手紙のやり取りをなさったことがあるのですか…
率直に、凄いです!!
個人的に軍装、中でも義烈隊に興味を持ってから色々と調べていましたが、高校生にはせいぜいインターネットを活用したり、映像をしらみ潰しに見ることが精一杯だったので、ここに質問させていただきました。
Fujikura001さまのような方とお話しできて、とても良かったです。
是非とも、解明よろしくお願いします。私も大変微力ながらできる限りおてつだいしますので。m(__)m
名無し二等兵
- 弾帯に関してですが、九四式と言う文言に惑わされているのではないでしょうか?装備の写真からすると指揮官級の方は拳銃嚢を二つ装備しているように思うのですが。
ならば、一つは九四式=自衛用でもう一つは十年式信号拳銃=指揮連絡用で、この場合質問されている弾帯は後期のキャンバス製信号拳銃用収容嚢(大型の信号拳銃用弾薬入れ付属)ではないかと思うのですが。
ふたつ拳銃嚢を装備している画像からひとつは信号拳銃と判断し十年式信号拳銃嚢で検索すると須川先輩のこの記述に行き当たりました。
「信号弾は18発入り箱形収容嚢と2発入り革帯に装着する収容嚢が存在したと言う。」という記述があります。
http://www.日本の武器兵器.jp/archives/114
あくまで推測の範疇ですが。
退役老少佐
- 退役老少佐さま、ありがとうございます。
fujikura001
- ご回答ありがとうございます。
そうですか、十年式信号拳銃は確かに盲点だったかもしれません。
ただ、映像(NHK のサイトで『日本ニュース252号』が見れます)を見ていると数多くの方がこの前述の謎の弾帯を装備しているように見えます。
隊員の多くが下士官、将校から構成されているとはいえ、さすがにこれだけの数の方が全員信号拳銃を装備していたとは考えにくいと思います。逆に一人の方が持つ革製の拳銃嚢の中に十年式信号拳銃が入っていて、他の多くの方が装備している弾帯(帯状になっている)の中に九四式が入っていると考えるほうがしっくりくるのではないでしょうか?装備表を見ても信号拳銃は各隊長しか装備していないのに対し九四式は隊長も含め全員が携行していることからも上記のことが裏付けられると思います。
ただ、ネットで調べても十年式信号拳銃の帆布製拳銃嚢の画像が見つからず、それを見るまでは完全に確信できる訳ではないのですが…
名無し二等兵
- 御両名早速のご返信ありがとうございます。
九四式拳銃嚢は革製、布帛製共に挺身作戦で全員拳銃を装備して実用の武器として使う前提で作られていないと思います。
基本的に拳銃の携帯と保護の用具だと思います。
銃は抜き出しにくく弾倉も早いチエンジには向きません。
また、十年式信号拳銃のほうが大きいので革製拳銃嚢に信号拳銃は入らないと思います。
よって、十年式信号拳銃嚢ならば大きさに余裕が有り、須川氏記述のような形ならこの作戦での九四式拳銃の使用に適すると考えた次第です。
ただ、このキャンバス製十年式信号拳銃嚢となると私も現物は愚か写真でも見たことがないですね。
一応ひとつの仮説として今後そのような拳銃嚢の存在についてチエックしていかれればいつかは結論にたどり着けると思います。
銃を愛するものとして何かの参考になったのであれば幸いです。
退役老少佐
- 連投ですみませんがアジ歴で探してみました。
教導挺進聯隊兵器増加補給に関する件
【 レファレンスコード 】C01000377600
この史料の3枚目に「試製一式拳銃帯」というものが挺身第二連隊に795個支給されている記録があります。
その横には十年式信号拳銃の支給の数量があります。
兵器調達の件
【 レファレンスコード 】C01000420600
こちらの史料には十年式信号拳銃900丁調達の備考に『弾薬嚢入「除騎兵隊用」トス』の文言があります。
どちらも昭和17年6月の記録で試製一式からすれば研究は昭和16年中に行われ制式は制定されていないものの支給されているのですから現品は製造調達され挺進連隊に支給されていたことになります。
さらに「拳銃嚢」ではなく「拳銃帯」であること、もうひとつの史料は弾薬嚢があり騎兵隊用とは弾薬嚢のつかない革製の従来からの拳銃嚢と考えられるのでそれを除くなら布帛製で弾薬入れ付きのものと考えられないでしょうか。
新型の布帛製十年式信号拳銃用収納用嚢と考えるより、新規の汎用拳銃弾帯(各種拳銃と弾薬が一本で収容できる弾帯)が存在したという記録だと思います。
このようなレアなものをネット検索で画像が云々といってもしょうがない話ですので。
義烈空挺隊の写真や映像に残っているものがこの「試製一式拳銃帯」と考えられるように思います。
退役老少佐
- ありがとうございます。
試製の汎用拳銃弾帯ですか、
恐らく装備一覧表の九四式の欄に「同、弾帯」と表記されていたのは、これのことなのかもしれません。
この拳銃帯は信号拳銃も収納出来たのですか。
だとすると、例の革製拳銃嚢と拳銃帯を両方装備した将校は
拳銃帯の中に信号拳銃、
拳銃嚢中に九四式を収納していたのかもしれませんね。
名無し二等兵
- 皆様のおかげで、未だに明らかになっていなかった義烈隊の装備の詳細が明らかに成りつつあるのを、ひしひしと感じます!!
ありがとうございます。
間違いなく、この一連の書き込みは全インターネット中の数多ある情報の中で、限りなく真相に近づいていると私は思っています!!
名無し二等兵
- 「退役老少佐」さま、ありがとうございます。目から鱗で今晩からよく眠れそうです。出典が判明し感謝しております。
わたしは銃器に関してはあまり詳しくないのですが、奥山隊で使用した「九四式拳銃」と「十年式信号銃」を収めた嚢はそれぞれの専用拳銃嚢です。
一部の将校は私物の革製の九四式拳銃嚢に九四式拳銃を入れ、その下の「試製一式拳銃帯」の拳銃嚢には部隊支給の九四式拳銃を入れていた。つまり、二丁拳銃ですね。
「名無し二等兵」さまの記述にある「装備表を見ても信号拳銃は各隊長しか装備していない」は誤りで「十年式信号銃」は奥山隊に一丁のみの装備のため奥山さんが、斜革付き麻引きゴム製の信号銃嚢に入れていました。そして、沖縄へ持っていく信号弾は十発。赤吊り星は「隊長現在位置」青吊り星は「引き揚げ」の明示に使用しました。
fujikura001
- 百式の弾倉嚢らしきものについてお時間をいただいておりましたが、結局、正確なことはわかりませんでした。すみません。しかし、本当に実在していたんですね。以前にこの版で質問されていた方にはもうしわけありません。再度、初めに否定した英軍装備捕獲品とも、考えてみましたが、四人の百式の弾倉嚢所持者のうち二人はビルマ帰還後に配属ですので・・・。
うーん、ごめんなさい。
他のホームページを見ていたら「唐瀬原 陸軍落下傘部隊史 帝国の犬達 第三分室」を拝見していましたら、5月23日の軍容検査の際に一人の奥山隊隊員が布製の手提げバスケット風の不思議な入れ物に二本のガラスびんを入れて、整列している写真があり、「火炎瓶でしょうか」というコメントがついておりました。義烈空挺隊は本当に興味深いですね。
fujikura001
- ついつい焦って送信してしまい、すみません。
ホームページ「唐瀬原 陸軍落下傘部隊史 帝国の犬達 第三分室」を拝見していましたら、5月23日の軍容検査の際に一人の奥山隊隊員が布製の手提げバスケット風の不思議な入れ物に二本のガラスびんを入れて、整列している写真があり、「火炎瓶でしょうか」というコメントがついておりました。義烈空挺隊は本当に興味深いですね。
fujikura001