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一時大戦中アメリカ陸軍は75mm野砲を採用していますが、その後高射砲に口径76.2mmを採用しています。こえでアメリカ陸軍での75mm口径クラスは76.2mmに統一されるのかと思えば戦車砲・榴弾砲にはまだ75mm口径が使用され続けられています。一方では対戦車砲には76.2mmを採用しています。いかなる事情でこのようになったのか教えてください。 my |
- アメリカが世界大戦に参戦して連合国と自国軍向けの兵器生産を大規模に開始した際に、フランス製の飛行機や航空発動機と一緒にフランス陸軍の標準野砲が生産され、それまで3インチ砲を装備していたアメリカ軍の火砲体系に異質なM1897 75mm野砲が加わります。この砲が大戦で大量生産されたことと、砲そのものが優秀な性能を持っていた為にその後も改良が続けられてこの火砲の系統が長く残った、ということです。
BUN
- アメリカ軍の75mm口径は野砲からじゃなくて、1911年導入の英国ヴィッカースの2.95インチ山砲からです(これが何故75mmなのかはわかりませんが、英軍向けではなく輸出用だったので、そこらに理由があるのかもしれません)ちなみにこの時点での米野砲は1902年式の3インチ砲で英15ポンド砲と同型でした。
そして1912年に新型野砲の開発に着手し、これが何故か75mmでした。ヴィッカース山砲と共通化させるつもりだったのか、フランス野砲と同じ弾を使うつもりでもあったのかは判りませんが、WW1前に米野砲は75mmへの移行が始まってたんですね。
で、まあこの新型野砲の開発中にWW1になってしまい、フランスから1897年式を大量導入しますが、12年着手の野砲の開発も引き続き行われておりM1916として制式化されます。ただし開脚砲架で高仰角だったのが災いして完成度が低く、フランスのシュナイダー社とサンシャモン社から技術導入をして改良され、WW1末期にやっと実用レベルになり、戦後アメリカ軍の主力砲として長く使われました(フランス砲ももちろん有効活用してますが)
またWW1ではアメリカ大陸で製造された火砲はフランス軍向けだけではなく、英軍向けもありまして、この英軍主力野砲18ポンド砲もアメリカ軍は導入してます。ただし弾丸を共通化させるために75mm砲身にし75mmM1917として相当数が使われてます。
そして高射砲は取り敢えず必要が認識された時、まだ新世代75mm野砲は揃ってませんから、そこそこ高初速の海軍砲(沿岸砲)をベースに高射砲架にしたので76.2mmでスタートしちゃったんっです。
SUDO
- 2.95インチ山砲は仰る通りの輸入砲で、野砲ではなく山砲で、しかも大量使用されていません。
そして、野戦砲の主力は「1899年12門、1904年に120門購入された2.95インチ山砲」の後から導入されたM1902 3インチ野砲です。
ですから「山砲から75mm化が始まった」という認識は運用状況からも時系列からも間違いです。
そして3インチ口径のM1902は、フランス製のM1987に置き換わっています。
第一次大戦参戦に伴う連合国兵器の生産はそれまでの装備など問題にならない程に大規模ですから、3インチ野砲から75mm野砲へのシフトはまさに1918年に発生しているのです。
山砲の75mm口径は変化の兆しではなく、あくまでも古い例外です。
そして、一番大切なことは、大砲の弾丸の口径が75mmであろうと76.2mmであろうと、大した問題ではないことです。弾種が異なれば外形、構造も変わり、薬莢も変わります。高射砲と野砲の口径を揃える意味はそれほど無いのです。
だからM1987を平気で大量採用出来る訳で、むしろ当時のアメリカ陸軍としては75mm口径野砲採用の方に合理性がありました。
ですからM1987がもっと早く採用されていたとしても、野砲は野砲ですから、それを理由に高射砲の口径が75mmにはならない、ということです。
BUN
- >3
山砲がM1911とナンバリングされてるので後からだと思ってました。3インチのほうが後だったんですね。
んで、1912年に開発着手し、アメリカ参戦時には一応形となっていた75mm野砲M1916の存在はどういうことなのでしょうか。
M1897の供給開始以前からこの砲はアメリカ軍には存在してたわけです。
またアメリカ軍は新規開発の本格的高射砲の登場を待つことなく、応急的にM1897等に高射可能な台座をつけて高射砲にし、更には新規開発した3インチM1916高射砲の砲身を75mm化して製造しようとしてます(戦争には事実上間に合わなかったようですが)なんで75mmに変更したのかは判りませんが(フランス軍から弾貰うつもりだったのか、M1897の対空用弾丸を流用するつもりだったのか、たぶん何かと弾薬を一部分でも共通化したかったのかもしれません)
SUDO
- アメリカ軍の装備は1917年と1918年の間に飛躍的な軍備拡大に伴う、大きな断絶がある、という点が大切なのだと思います。小さな規模の合理性を越えた論理が生まれているということと、更に史実よりもより大規模な1919年度の軍備計画が存在していたことも念頭に置く必要があると思います。
BUN
- 書きそびれましたが、M1916はもともとは3インチで、それを後から75mm化したのは75mm M1987と同じく仏軍との弾薬共通化が理由です。年式から「M1897による75mm化以前に75mm化の動きがあった」ように思えるんですが、両者とも同じ時期の同じ課題に取り組んだ結果です。
BUN
- なるほど、じゃあ1897導入で各種火砲の口径がシッチャカメッチャカになってしまったということなんですね
SUDO
- 大砲でも飛行機でも同じことなんですが、1917年4月の参戦時点ではアメリカには大戦の需要を賄う程の兵器産業が存在しません。従って遠征軍は連合国の装備、なかでも最大の兵器生産国だったフランスからの供給を受けなければならない状況です。
連合国の兵器庫として機能するはずの大国アメリカは最初の一年間、供給を受ける側に立っていたので、フランス式にならざるを得ないのです。
欧州の工業製品である既存の兵器をアメリカで生産することは、図面から引き直す大作業ですから、時間の余裕さえあれば野砲も3インチ口径を維持することなど容易く、フランス軍の装備まで3インチにできたことでしょう。
けれども、75mmクラスの野砲という陸戦の主力兵器を空前の規模で量産する以上、それが75mでも3インチでも大した問題にはなっていません。
あまりにも小規模だったアメリカ軍の装備を合わせた方が最短最速に近かったということだけです。
BUN