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大東亜戦争時、「九七式艦上攻撃機」の航空魚雷投下方法について教えてください。 九七艦攻の場合、発射は投下梃を引いて行われたのですが、その際、「抱締索」(だきしめさく)はどのように解除または開放されるのでしょうか?魚雷下面の結節部(?)が解除され左右に開放されるような感じなのでしょうか? 航空魚雷投下にお詳しい方、ぜひご教授くださいませ。よろしくお願いいたします。 osa |
- 私のホームページ「蒼空の果てに」に「雷撃の理論と訓練」に
詳しく説明しています。是非ご一読ください。
老兵
- > 老兵様
要領を得ない質問で大変失礼いたしました。ご案内ありがとうございます。
実は今回質問の目的は、九七式三号艦攻が九一式改三航空魚雷を発射した瞬間のイラスト(個人的趣味です)を描くための情報集めの一環でございまして、魚雷投下直後における投下器の状態が知りたかったのですが・・・質問の仕方が悪かったと反省いたしております。
情報収集の段階で、実は老兵さまのサイトはすでに読ませていただきました。その他、兵頭二十八氏の「パールハーバーの真実」、「世界の傑作機 97式艦上攻撃機」、「海軍魂」「空母雷撃隊」「奇跡の雷撃隊」(いずれも光人社刊)などで投下器の情報を探しましたが、私の理解力が低い(?)のか、どうも具体的イメージが湧きません。そこで今回「WarBirds」にて質問させていただいたという次第でございます。
飛龍雷撃隊電信員として布哇作戦に参加した金沢秀利氏による「空母雷撃隊」には、帰投中の描写として、魚雷緊締索のワイヤーが機体から垂れ下がっている様子が書かれています。また魚雷発射直後をイラスト化した「世界の傑作機 97式艦上攻撃機」表紙絵では、胴体下部より「魚雷導子抑」(?)と思われる棒状の金具が斜め後方へ突き出ており、その先端から4本のワイヤーが棚引いている様子が描かれております。
以上少ない情報から個人的に「想像」いたしますに、魚雷投下直後の投下器の状態は以下の様になりますが・・・
@「魚雷導子抑」が斜め後方へ露出
A 解除された「抱締索」(ワイヤー4本)がその先端から垂れ下がる
何分にわか勉強のうえ、いまひとつ投下システムを理解できていないところもありますので、まったく確信がありません。
間違いや問題点などご指摘いただければ幸いでございます。
※噛合部解除の際、魚雷発射とともに落下廃棄された部品のようなものもあったのでしょうか?
osa
- 私は九七式一号艦攻しか経験はありませんが、魚雷緊締索は魚雷投下と
同時に投下器から落下するはずです。
金沢氏の記述はなんらかの事情で索が引っかかった可能性があります。
老兵
- > 老兵様
実体験に基づく貴重な情報をいただき、感謝しております。
ご指摘を受け、金沢氏の本を読み直してみました( 内容は以下の通り ※ 光人社「空母雷撃隊」71頁より引用 )
『 いつの間にか、戦闘機隊も、艦爆隊もいっしょになっている。
演習を終わって、基地に戻る編隊のような姿であった。
雷撃隊の魚雷緊締索のワイヤーが、風圧で斜めに下がっているのが目ざわりになるだけである。体から、力が抜けてゆくような感じであった 』
この記述は、落ちるはずのものが落ちていないことへの“違和感”(=目ざわり)を書かれていたのかもしれませんね。
また、「世界の傑作機」表紙絵(佐竹画伯のイラスト)をよ〜く見てみますと、機体下部から斜め下方に突き出た金属アームのような物体の先端から確かに4本のワイヤーが出ているのですが、アーム先端部には「穴」のようなものが見られます。同イラストは「投下直後」を描いていますので、これらのワイヤーはその後抜け落ちてゆくと考えれば、問題はないように思います。
お蔭さまで少し分かった?ような気がします。本当にありがとうございました(謝)
osa
- 九七艦攻の魚雷投下器は機体の真下でなく右下です。
私のホームページに写真を添付しています。
老兵
- > 老兵様
ありがとうございます。
これは確か、爆撃照準器の視界を妨げないためですよね?
osa
- 九七艦攻や天山の取扱説明書を読む限りのことですが、抱締索は2本で、使い捨ての消耗品ではないようです。
九七艦攻の取説は雑誌丸編集部編「図解軍用機シリーズ14 九七艦攻/天山」でも一部が引用されています。
BUN
- 抱締索を引きずって帰投した場合、陸上基地ならよいとして
母艦の場合を考えると問題があります。
私は爆撃が専門でしたが、雷撃体験の同期生に確かめてみます。
老兵
- 同期生に確かめましたところ、抱締索は魚雷投下器が開いた時点で
投下され、持ち帰ることはなかったと申しています。
老兵
- > 老兵さま > BUNさま
とても勉強になるご意見、ありがとうございます。
九七艦攻のマニュアルに掲載されいる写真(老兵さまのサイトでも見られます)をよく見ますと、抱締索の後部にもう1本ワイヤーが見えます。
兵頭二十八氏・著『 パールハーバーの真実 』によれば、これは機体付属の「手動巻き上げワイヤー」という装置だそうです。
魚雷持ち上げの際、運搬車のジャッキを使うのが一般的だったそうですが、同装置によって吊り上げる方法もあったとのこと。
そこでふと思うのですが、金沢氏の著作にみられる“魚雷緊締索のワイヤー”はこの「主導巻き上げワイヤー」の一部であったという可能性はあるのでしょうか?
無知丸出しの疑問でばかり呈し、恐縮しております。
osa
- 「九一式魚雷Wikipedia」をヤフーで検索してみてください。
魚雷発射の際「拘束ワイャーバンドは自由落下する」と記されています。
老兵
- > 老兵さま
元雷撃隊員の方にわざわざご確認いただくなど、要領を得ない質問に真摯にご対応いただき、本当に感謝いたしております!
ただ、ここに質問を呈するに当りまして、当然ながら「Wikipedia」は確認済みでございます。
前述いたしました通り、雷撃隊員の方の著作や有名な佐竹画伯のイラストなどに「Wikipedia」情報と相反するような要素が見つかりましたので、当サイトへお尋ねしたわけでございます。また、「Wikipedia」情報がすべて正しいという保証はありません。決して「適当に」質問をしている訳ではございませんので、その点は何卒ご理解くださいませ。
osa
- 五十番以上の爆弾と魚雷の懸吊方式は同じです。爆弾も魚雷と同じように直径7mmの金具付ワイヤーである抱締索で胴体下に抱えクランクを回して締め上げます。取扱説明書の文面でも両者は同じであると説明されています。
そして天山一一型取扱説明書には「装備金具として下記部品を常備す」として
種別 導子受 名称 魚雷導子受金具 九一式 員数 1
弾抑 魚雷前部抑へ 員数 1
魚雷後部抑へ 員数 1
爆発尖抑へ 魚雷発火尖抑へ 員数 1
起動棹 起動棹引抜装置 員数 1
投下器 大型爆弾抱締鉤 員数 1
抱締索 魚雷抱締索 員数 2
となっています。
消耗品ではないようだ、と申し上げた理由はここで員数が定められているからです。 ただ九七式にせよ天山にせよ(まだその二つしか見ていません)取扱説明書は懸吊方法は詳しいのですが、投下については大変あっさりしていますので何とも言えません。
BUN
- > BUNさま
情報ありがとうございます。「九七艦攻」「天山」の『 取扱説明書 』ということは・・・
これらは防衛研究所に行かなければ見れないものではないでしょうか?
何か大変なご迷惑をおかけしているのかも知れません。恐縮でございます。
員数の規定が戦闘現場でも遵守されていたとすれば、使い捨てでは無かった可能性はあるように思われますが・・・
う〜〜ん、ますます分からなくなってきてしまいました。正直、困惑しております。
> 老兵さま、BUNさま
当質問の目的は、私的なイラスト制作のためという誠に身勝手なものですので、
これ以上皆様にご迷惑?はかけられません。
老兵さま、BUNさま、貴重な情報ほんとうにありがとうございました。あとは自力で判断させていただきます m(_ _)m
osa
- 次の写真をみると、BUNさんの説が正しいように思います。
http://senri.warbirds.jp/05hiyakuri/kunren.html
老兵
- 昨夜の戦友会で雷撃体験者の話を聞きました。
魚雷抱締索は下部が開いて投下するので、抱締索は機体に付いたまま
とのことでした。BUN様の説が正解でした。
老兵