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始めて質問させていただきます。 馬賊撃ちとモーゼル拳銃についてです。 馬賊撃ちについて調べてみると、「強い反動を逆手にとり、フルオートで水平撃ち(横撃ち)することで、掃射するように撃つ」とのように書かれた記述を時々見ます。 しかし、当時中国に入っていたと思われるC96や、17式などのコピー品はセミオートの拳銃で、フルオート仕様のM713&712は、登場が1931年以降、しかもアメリカ輸出がメインの機種だったように思います。 それを考えると、馬賊が活躍した時期の中国国内でフルオート式のモーゼル拳銃が流通した可能性は低く、「馬賊撃ち=フルオートで水平掃射」という認識は、誤ったものではないかと思うのですが、いかがでしょうか? しかもただでさえ、反動が強い上にブルームハンドルでホールディングの悪いモーゼルC96ですから、セミオートでも馬上から片手で撃つのに水平撃ちすることは考えられます。時期的な問題を抜きにしても、さすがにフルオートを片手で撃つのは無理があるように思えます。馬賊撃ちそのものはあったのだと思いますが、それがフルオートでというのは、後世のフィクションの中から作り上げられた伝説のようなものではないでしょうか? PAN |
- スペインのアストラ社M901は本家モーゼルに先行してフルオートを搭載しており、中国にも大量に入ってきていたらしいです。
フルオートの馬賊撃ちは、制圧目的の為まともに当てる気は持たずストックとスリングをうまく使えば可能?みたいに思いますが、実銃を撃ったことも馬に乗ったこともないのでわかりません。
超音速複葉機
- 早速のご回答、ありがとうございます。
中国大陸にも、フルオート型のモーゼル拳銃は、ある程度入っていたのですね。
実は僕の亡くなった祖父が、満州で鹵獲したモーゼル拳銃を使っていたと生前話してくれ、反動が強くとても片手では撃てないと話していました。
(ただ、話を聞いたのが30年ぐらい前の話なので、記憶も多少あやしいのですが)
細かいタイプまではわかりませんが、セミオートで、ホルスターの木製ストックを付けて使っていたそうです。
それを思い出し、果たして馬に乗りながら片手でフルオート射撃ができるのか?と思ったのが、馬賊撃ちを疑ったきっかけです。
いろいろと情報を集めてみましたが、馬賊撃ちについては、フルオートで水平掃射との記述が見つかる一方で、その真偽には懐疑的に書かれていることも多く、もしかしたら片手で横撃ちのスタイルはあったが、フルオートはフィクションでは?と疑うようになりました。
そのあたりの真偽をご存じの方がいればとは思い、質問したしだいです。
ところで、質問文読み返してみたら、1文字目でいきなり誤字ですね。
×始→○初です。お恥ずかしいかぎりです。
PAN
- 馬賊が馬上でモーゼルを片手撃ちする際には「投げ撃ち」をします。
腕を振り下ろしながらタイミングをあわせ撃つのですが、これは
横撃ちではありません。
ちなみに下馬状態でも癖で投げ撃ちをすることが多かったようです。
この投げ撃ちに関しては馬賊関係の古い本などにも多く出てきます。
一方で水平フルオートの「馬賊撃ち」は、この説がネットで流布した
以後のものを除き、根拠となるような本は私は見たことがないです。
ただかなり昔のGUN誌で「こうすれば使えるかもね」みたいに書かれていたのは記憶にあります。
はっきりした証言などが出てこない限り、懐疑的な態度でいるのが賢明かもですね。
ajor
- 兵器評論家の故小橋良夫氏が自著にて、元馬賊 小日向白郎氏と会談した時の会話を記述しております。
“世界のピストル2”(秋田書店 昭和52年)より
(モーゼルM712フルオート射撃の項に続いて)
“もし片手で射撃を行うとき、相手が多数であるときには、銃をま横に倒し、
反動の跳ね上がりを水平方向にして連射をつづけ、その欠点を逆に利用する機関銃式の射撃法があり、
中国軍はこの撃ち方をよく利用したと伝えられる。
中略
筆者が『日本人馬賊王』といわれた小日向白郎氏に、モーゼルの撃ち方をたずねたところ、
同氏も馬上ではふつうに撃ったが、地上におりたときは『水平流し撃ち』がよいといっておられた。”
小日向白郎氏は、日本人でありながら馬賊の頭目となり満州地方で蛮勇を轟かせ、
戦後も昭和50年代まで存命しておりました。
昭和32年頃ご本人によって書かれた自伝的な本が、上記『日本人馬賊王』という名の本です。
水平撃ちの話が日本に広まったのも、この本からではないでしょうか。
軌跡の発動機?誉
- 興味深いお話、ありがとうございます。
確かに 馬賊撃ち=乗馬中の片手横撃ち、とイメージで考えていましたが、
下馬中での射撃方法であれば、モーゼルでもフルオートの横撃ちは可能かもしれませんね。
その場合、片手撃ちではなく、左手は弾倉部に添えての両手打ちと考えるのが自然かもしれません。
そうであれば、小日向氏が言うように「水平流し打ち」は有効な手段と納得できます。
「乗馬中に投げ撃ち」という話と、下馬での「フルオート水平撃ち」が重なって、馬賊撃ちのイメージが出来上がってきたのでしょう。
いずれにしても、よくドラマなどで見る「拳銃の横撃ち」とは、似て非なるものと言えそうですね。
ところで追加質問ですが、当時、大陸で使われていたフルオートタイプのモーゼル拳銃は、超音速複葉機様が書かれていた、アストラM901/902が多かったのでしょうか? それとも1932年以降になると、モーゼルM712も相当数入っていたのでしょうか?7
PAN
- >5.へ回答。
日本や中国におけるモーゼルミリタリー・シュネルファイヤーやアストラM900系については、
過去ANSQ.86 や ANSQ.158 で話題となり回答しております。
ANSQ.158: http://ansqn.warbirds.jp/logs-prev/D001/D0000158.html
ANSQ.86はデーター消滅でしょうか? 見る事ができませんね。
小生の記憶では、 ANSQ.86は以下の様なコメントをしたかと思います。
1.モーゼル製はドイツ顧問団派遣と絡んで相当大量に中国へ輸出されており、
MauserWerkeAG社は中国に現地法人を起し1920年代後半には、数万丁/年の割合で中国へ輸入した。
(日中戦争時点で合計40万丁も輸入されていたと言われおります。)
その輸出は日独伊三国同盟締結で終焉となり、突然輸出停止の中国向け余剰品は
ドイツ空軍兵向けに配られた事。(よってそれらには”独國”の刻印が見られる物がある。)
2.アストラM900系総生産数内訳
・M900 セミオートのみ・・・・・概略21000丁。
・M901〜MODEL Fまで 各々マシンピストルタイプ合計・・・・・概略14000丁。
ASTRA 社もMauserWerkeAGより出遅れたが、1927〜28年頃より日本商社経由で
ASTRA Model 900 Pistolet Rifle の商品名で売込みを始めている。(ほぼ全数ストック付)
これは当時 中国の権益(特に満州)は日本が強姿勢であり事実上中国向けの武器の販売は
日本を通さなければならなかったもの。(いつの世も闇ルートはあるもんですが!)
その後アストラ社は1931年には上海に現地商AstraChinaCompany.Ltd を起こし、
結局アストラM900系 セミオートタイプ、フルオートタイプ両者とも その生産数の7〜8割は
チャイナ向け輸出と言われている事。
という内容でありました。 長文失礼しました。
〜?誉
- 過去ログにありましたか!
(過去ログは最初「馬賊撃ち モーゼル」で検索していたので、引っかからなかったようです)
軌跡の発動機?誉様、ご面倒かけて申し訳ありません。
アストラM900系も本家も、しこたま大陸には入っていたのですね。
てっきり弾倉型のM712は、欧州&アメリカ向け中心だと思い込んでいました。
またANSQ.158にあった日本製の刻印の話など、
興味深い話も知ることができました。
だいぶ、自分の中のモヤモヤした部分が晴れた思いです。
ありがとうございました。
PAN