323  日本の甲冑について質問します。よく戦国時代を舞台にした時代劇等で見ますが、同様な外観をしたもの(この外観の印象は、あくまでテレビの時代劇等で得たものです)は既に平安後期の(源平の争乱ぐらい?)からあったようです。
 そして、いつ頃まで使われたかというと、幕末までのようです。ということは随分と長い間、外観が変わらないままで使われたことになります。
 しかし、甲冑は防具ですので、その防御力が重要になると思いますが、その防御力は外観同様あまり変わらなかったのでしょうか、それとも何らかの技術革新があったのでしょうか。

二一斎

  1. 源平時代の鎧は騎射戦に向いた大鎧、徒歩戦に向いた胴丸、下級武士が主に用いた腹巻などがあります。
    戦国期には大鎧などは既に廃れており、一部武将が好んだ例(大内義隆など)はありますが、一般的とは言い難い状態になっています。
    当世具足は「今様の新しい鎧」という意味で、集団戦や鉄砲戦に合わせたものとなっており、胴丸から発展したものではありますがその防御力は鉄砲に対しても有効なレベルに達していた鎧も存在します(ただし胴体正面のみ)。

    構造としては大鎧や胴丸が小札(こざね)と呼ばれる革や金属製の小さな板を紐で縦横に綴じていたのに対し、当世具足では横一列を一枚板として強度や生産性を向上させているなどの違いがあります(桶側胴)。
    他にも仏胴、南蛮胴など様々な種類の鎧があり、それらは源平時代の鎧とは外見は似ていたとしても中身はかなり違っています。

    また大鎧は非常に華美である事から江戸時代に入ってからも当世具足の代わりに絵画に描かれています。
    実戦用の鎧としては室町時代後期に完全に廃れているにも関わらず江戸時代には復古調の鎧として新造されていますが、それらは当世具足の技術を取り入れたもので本来の大鎧とは別物となっています。
    薩摩

  2.  薩摩様、早速の御回答有難う御座います。やはり、外観は似ていても時代による変遷はあったのですね。勉強になりました。
     特に、「その防御力は鉄砲に対しても有効なレベルに達していた鎧も存在します(ただし胴体正面のみ)。」というのには驚きました、そこまで行っていたとは。
     そこで、追加質問で恐縮なのですが、そのような鉄砲に対しても有効な鎧とは、どのような技術により可能になったのでしょうか。

    二一斎

  3.  鉄板を厚くしたり、継ぎ目の少ない無い胴を作っただけです。製造技術の革新がなされたわけではなく、既存の技術で十分可能なレベルです。大量生産と、意匠の多様化に対する対応がなされています。

     なお、源平時代と戦国時代の甲冑は外観でも大きく異なっているますので、書籍の図版を見て頂いた方が話が早いと思います。甲冑を構成する要素はあまり変わっていないのですが、形状は時代とともに変わっています。
    昔不沈艦

  4. >1〜3
    静岡県久能山東照宮博物館には弾痕(実戦ではなく、具足製作時耐弾性を証明する為の試撃ちした跡)がある
    3代将軍 徳川家光の具足が所蔵されています。

     ttp://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/109047216?size=450

    しかしながら、“火縄銃とはいえ 現代の38口径拳銃弾なみの威力を持つ弾丸に抗するだけの
    まともなスチール(炭素鋼)製造技術を持たない徳川初期の時代においては少々怪しい物である。
    おそらく発射薬量を抑えて撃った、やらせ芝居なものではないか。” と言う銃砲研究者もおります。
     
    軌跡の発動機?誉

  5. >4

    火縄銃の実射で2ミリ厚の鉄板を完全には撃ちぬけなかった、という事例もありますけど。
    一部の仏胴や南蛮胴は今で言う避弾経始の為に上から見ると(極端な言い方ですが)前<後という構造になってますし、全てにおいて対抗不能という訳でもないと思いますが。
    鎧じゃないですが、最上義光が愛用した三十八間総覆輪筋兜のように銃弾を受けても貫通していない実例もありますし、兜で一定の防御力を見せているわけですから、鎧も相応の防御力があったと考えるのは不自然ではないかと。

    ※なお、距離によっては恐らく当時の鎧は殆どが銃弾に貫通されるであろう事は否定しません。
    逆に言えば距離によっては充分な防御力を持っていたのではないか、とも言えます(少なくとも私はそう考えています)。
    薩摩

  6.  昔不沈艦様、軌跡の発動機?誉様、そして薩摩様、御回答有難う御座います。「既存の技術で十分可能なレベルです」ということで、それだけの技術が既にあったのですね。
     また、甲冑の製作者は防御力と重量の間で苦心したのだと思います。私は甲冑については全く素人なのですが、本当に懇切なご教授、有難う御座いました。

    二一斎


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