306 日本海軍の航空魚雷について質問します。97式艦攻、天山、流星などの単発機の搭載する航空魚雷と、96式、一式陸、銀河などの双発機の搭載する航空魚雷は同じ物だったのでしょうか?それとも走行距離や炸薬量の違う別の種類のものだったのでしょうか?素人考えでは双発機の方が、より大型で強力な物を搭載できると思うのですが…。
備後ピート

  1. 本来の構想では大型攻撃機と、中型攻撃機、艦上攻撃機とは直径の異なる魚雷を搭載するはずでしたが、実用されたのは基本的には同じ九一式航空魚雷です。
    ただし、魚雷本体は同じでも実用頭部には艦攻用、陸攻用がありますし、尾部に取り付ける框板にも両者があります。
    BUN

  2. 帝国海軍の航空魚雷は、実質的に九一式魚雷ですが、本体と実用頭部の組み合わせはwikiにも載っています。

    ご質問の、搭載機による使い分け、と言う点では、丸メカニックの特集「天山」で、改七実用頭部を付けたもの(重量1トンを超える)を運用した体験談があります。最大・最重量のものを艦攻で使用していますから、明確に「この機体はコレはダメ」的なものは無かったのでは、と思います。
    (一般に、攻撃機は離陸重量を燃料搭載量で調整できますから、むしろその作戦・戦術・戦場(例:上記改七では浅海攻撃には向かない)の制約の方が多かったのではないか、と。そのものズバリの『明確に使い分けがあった・なかった』という資料や文献は寡聞にして存じません)

    手元に、九一会編の『航空魚雷ノート』があるので見直してみましたが、機種別に使い分けや制約は確認できませんでした。唯一使い分けが明記されているのは匡板で、

    ・昭和19年頃の匡板
    1)匡板二式箱型 艦攻
    2)匡板二式改一 一式陸攻
    3)四式     銀河
    4)四式二型   (空欄) (以上、上掲書60ページより)

    となっています。

    また、同書238ページに、海軍技術学生だった方の空技廠魚雷部での回想が載っていますが、『艦攻天山が主で、一式陸攻や銀河などもあった。銀河のスマートは弾倉がせまく魚雷を搭載するのに苦労した』とあります(他に晴嵐の記述も)が、機種によって魚雷の本体や弾頭の使い分けをした、という記述は特に見当たりません。

    以上、ご参考までに。

    TOSHI!!

  3. 後期に現れた新しい実用頭部を取り付けた魚雷は重量だけでなく全長が5.47mから5.71mと長くなっています。そのために設計当初、新魚雷を普通に搭載できる機体がありません。

    そこで搭載量に余裕のある一式陸攻に691号機から「改六魚雷用」(組立図面にはこの型式が記入されています。)として爆弾倉前端に半円形の延長部を設けています。一一型は全長6mの爆弾倉を持っていましたが、新魚雷にはそれでも不足だったということです。
    魚雷搭載時の余裕が持てない九七艦攻は重量以前に搭載に向かず、天山はかろうじて搭載できますが、まともに懸吊すれば最大離陸重量を超えてしまいますから燃料を減らして行動半径を縮小するしかありません。
    しかも天山は航空八七揮発油常用で公称以下の運転しかできません(同時期の一式陸上攻撃機も同じです。)からますます余裕がありません。
    もともと母艦上での滑走距離に余裕が無く、雷装時の同時発艦機数が少なく問題となる機体でしたから母艦上で後期の新頭部を装着した魚雷懸吊を強行するならば実験のみで実用にならなかったRATO前提となるでしょう。
    ただ、RATO採用が決まるのは新型頭部用に陸上攻撃機が改造された後の話ですから、新頭部試作時には文字通り「陸上攻撃機用」だったことでしょう。

    陸上基地から「積んで出撃できたから機種別の使い分けはない」なんて単純な話ではありません。
    改七魚雷などの一覧表に「陸上攻撃機」と書かれている理由はそこにあります。

    BUN

  4. 単発、双発ともに同一のものを使用していたのですね。欧州ではHe111
    やSM79が、一式陸攻クラスで魚雷2本搭載しているので、双発機で1本だけ!というのは不合理に思えたからです。離陸重量と燃料の搭載量までは考えが及びませんでした。考えてみれば、統一した方が運用等で合理的ですね。
    大いに参考になりました。
    備後ピート

  5. 手持ち資料の記述のみ、事実として挙げておきます。この記述(座談会)そのものの内容に錯誤があるなら、その場合は天山で改七弾頭は使用されなかった、ということでしょう。

    丸メカニック旧版No30『天山』P69

    前田:『魚雷は重いですからね。真珠湾のときので800kgからある』
    内海:『あとで使ったやつは、四式頭部をつけると1トン以上あったね』
    岡部:『改七魚雷だからね。ありゃあ重かったよ』

    (前田少尉:攻撃第256飛行隊(偵)、内海上飛曹:攻撃第251飛行隊(操)、岡部中尉:攻撃第251飛行隊(操)、とのこと)

    あと、発艦時は予めエンジン全開でテールを上げておいてブレーキをパっと放して加速を稼ぐテクニック(プロペラが飛行甲板を叩きそうで怖かった)とか、ROTOの使用も行った、という記述も併記されています。

    四式頭部、というのが謎ですが、改七、1トン超え、という記述からすると、本体改五+弾頭改七(全重量1080s、全長5.71m)を実際に艦上で運用した例があった、のでは。




    TOSHI!!

  6. >5 私も読んでいますしもちろん否定はいたしません。

    「そのものズバリの『明確に使い分けがあった・なかった』という資料や文献は寡聞にして存じません」と仰るので、そうではないことを説明したまでです。使用機種の区分は航空教範にも記載されています。
    天山に積んだからどうだ、というお話ではありません。
    BUN

  7. >6.
    丁寧な指摘をありがとうございます。

    『(各タイプの)使用機種の区分は航空教範に記載されている。(=明確に使い分けの概念があった)』
    『ただし、天山の搭乗員回顧等を見ると、実戦では例外もあったかもしれない』
    という理解でよろしいでしょうか。
    TOSHI!!

  8. 区分を示す一覧表は「丸」系の出版物にも掲載されていますし、同時に「天山には搭載されていた」という内容も付記されているはずです。
    BUN

  9. >5、7
    攻撃251、攻撃256というと陸上基地部隊です。
    一方、火薬ロケットの使用を語っておられるのは六〇一空におられた方のようです。
    この座談会の記事は、天山を末期に陸上で運用するときに発艦の制約がないものだからより強力な改七魚雷を搭載した、と読むことは出来ますが、それを母艦で運用していたと解するのはどうでしょうか。

    元々、天山と一式陸攻一一型の攻撃過荷重状態での離陸所要距離は同等ですから、陸上から発進する分には天山でも改七を運用するのは可能だったはずです。
    本来、改六、改七と呼ばれているものは「陸上攻撃機」用なのです。


  10. >4

    「考えてみれば、統一した方が運用等で合理的ですね」という理解に至られたようですが、それでは戦時用の四式空雷が二型(艦攻用)、四型(陸攻用)の二本立てになっている部分が説明つかないことになってしまいます。
    結論を急がれすぎない方がよいのではないかと思います。



  11. 片様、親切なご指導いたみいります。どうも結論を急ぎすぎる悪癖が出てしまったようで申し訳ありません。後まで残る物なので恥じ入るばかりでございます。
    備後ピート


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