88 明治28年製機関銃の謎がわかりました。有難うございます。。その話をした方は太源城攻略戦に参加しましたが、何が大変だったかの話になると、他のいくさを通じて、弾不足が一番だった、と何度も言っていました。
重機の発射速度を止まる寸前迄落とし、撃つ。節約、節約、又節約と、です。
一体どの位まで落とせるのか?聞くのを忘れました。この時期の重機としか分りません。食料は3日も我慢出来るが弾は撃たない訳にいかないと常に話していました。補弾板?保弾板に塗った油は塗ると言うより油に弾を浸した状態で、実用にならなかったそうです。

擲弾兵

  1. 話が漠然過ぎますので、確実なことは言えませんが、「太源城攻略戦」というのは昭和12年の北支戦線における太原攻略戦で、話をした方の所属は5D、20D、109Dもしくは関東軍でしょうか。弾不足というのでしたら5Dかもしれません。装備は7.7ミリ九二式重機関銃と推察されますが、滷獲兵器でしたらそれこそ見当もつきません。

    yama


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