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戦時中の日本はクロムをどこからどれくらい調達していたのですか。 pile |
- 「どこから」については比島からです。
片
- 片 さん
ありがとうございます。
なんとなく、アジア鉱物資源図DB
http://www.jogmec.go.jp/mric_web/deposit/index.htm
をみていると(この分野の知識はありません)クロムの鉱床がルソン島
ザンバレス州のマシンロックとアコヘ以外には遠くカザフスタンにしか
見当たらないので、現状はすさまじく偏在してるなと。
70年前、輸入ができなかった時代にはどうしていたのかとふと思った
のです。
googleで検索していると、昭和10年の新聞記事を見つけました。
台湾日日新報(新聞) 1935.3.8-1935.3.9(昭和10)「金とクロームの比島
を手放すな」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00501638&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA
・・・良質のクローム鉱山は目下カマリネス州で将に生産に入らんとして
居り、サムバレス州マシンロックにも更に更に埋蔵量の豊富なクローム鉱
山があり、之も開発の途上に在る、是等の鉱山は最も控え目な技師が内輪
に見積もって測量した所が世界有数のクローム鉱山たるは確実であり、米
領に於る最も重要な鉱山である、良質にして生産費低廉なる数百万トンの
是等クローム鉱の軍事的、政治的見地より見たる価値たるや殆ど無限であ
る。 過る欧洲大戦中米国はクローム鉱一トンに二百弗も支払ったが、米国
本土のクロミウムは劣質なる上に生産費高く、平時に於る開発は算盤がとれぬ癖に戦時の開発は亦容易でない上に金を食い不充分でもある・・・
とあり、当時すでに大鉱床として認識されていたようです。ほかにも、
日本工業新聞 1941.10.20-1941.10.22(昭和16)「外南洋の鉱物資源を探る」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00745617&TYPE=HTML_FILE&POS=1
・・・クローム鉄鉱の同島(ルソン)における採掘は近年急速に発展して
来ている、主として蛇紋岩地域に残留鉱床として賦存することは世界共通
であり、ルソン島サンバレス州ラウイス河上流のマシンロックには埋蔵量一、〇〇〇万瓲世界第一と称せられる有望なクローム鉱床が近年発見され
、その他にも同州サンタクルス、南方カマリネス州ラゴネイ海岸、北イロ
コス州ルバン島、バネイ島のアンティケ州、サマール島ミンダナオ島、ス
リカオ州等にも埋蔵量は少ないが相当良質のものが発見され、その一部は
目下着々稼行されている・・・
また、
アジア太平洋戦争とフィリピン
http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/apwar/apwar_docs.html
によると宇都宮直賢氏(比島軍政監部総務部長、1942.9.-1943.10.)の
回想として、
・・・フィリピンの鉱山は大部分アメリカの鉱山会社又はフィリピン財閥
会社が経営していたので、軍がこれを管理して日本の主要会社に委託経営
させる方法をとった。日本内地への還送物資である銅、クローム、マンガ
ンに重点を指向し、戦前盛況を呈していた金鉱業は戦時物資としては緊急
でないので、一時その採鉱を中止した....ザンバレス州「マシンロック」
鉱山(古河鉱業)は世界最大の単一クローム鉱床で、軍は17.3.これを占
領し、その後順調に開発を進め日本の需要に応ずることができた....
とありますので、フィリピン産のクロムが太宗を占めていたとしても
不思議はなさそうですね。(これらに書いてあることが本当かどうか、
私にはわからないんですけども。)
ところで、なんらかの理由でフィリピンからクロムが手に入らない場合
には日本としてはどう手当てするつもりだったんでしょうか。
また、当時クロムは何に使っていたのですか?現在の主用途はステンレ
スとスーパーアロイだそうですが、どちらも当時は存在していなかったと
思うので。クロムモリブデン鋼を砲身に。ニッケルクロム鋼を装甲板に。
そんな認識で良いですか?
たとえば戦闘機を1機。野砲を1門。戦車を1両。巡洋艦を1隻作るの
に必要なクロムはどのくらいですか?
結局の所、当時の日本はどのくらいの量のクロムを必要としていたんで
しょうか。
教えてクンですみません。皆さんもう少し付き合ってください。
pile
- >2
その鉱物資源マップでもわかると思いますが、中国地方に日本最大のクロム鉱脈があります。明治末期〜大正時代から採掘されてますから戦前でも既知の鉱山です。
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1963/06/63_06_03.pdf
1960年ごろですと、世界11位、フィリピンの1/10程度の生産量で、岡山県の資料によると戦時中は年3000トンに達したそうです。フィリピンでの戦時生産量は判りませんが、国産でもそれなりの量は確保できるようです。
SUDO
- 日本の戦時中の鉱物資源生産の動きを見る場合、基本的な文献として
「日本の鉱物資源」連合軍総司令部 経済安定本部資源調査会訳
昭和二十六年十二月二十五日発行 時事通信社
という本があります。
クロムに関しては
日本のクロムの大部分はほとんど、本州の鳥取、岡山両県および北海道南部の日高、胆振の狭い地域から生産されている。残りは北海道北部の砂鉱鉱床および本州、四国に散在する鉱床から採掘された。
クロム鉱業は1903年に始まった。1932年頃までは、少量の需要は主として国内生産で賄われた。当時は、主として輸入鉱石からのフェロクロムおよびクロム化合物への生産で、1941−43年の間のピークに達するまで急激に増加し、クロム鉱の見かけ上の消費量は10万トンとなった。鳥取、岡山および日高、胆振地方で、日本のクロム生産量の90%以上を占める。生産は、1925年以来漸増し、1944年の7万トンのピークに達した。
1939年に、日本はその増加したクロム消費量の大きな部分を輸入に依存し始め、1941年に輸入量が国内生産量と等しくなるまで、その状態は続いた。1925−35年の間、ニュー・カレドニアは主要なクロムの供給地であったが、この輸入はフィリッピンからの鉱石のために続かなくなった。日本がルソン島を占領した当時、アコエ(Acoje)鉱山を操業し、約8万トンを日本に積みだした。
との記述があります。
また、戦時中のフィリピンのクロム鉱生産に関しては
「創業100年史」古河鉱業株式会社
昭和51年3月31日発行
の中で
当社はザンバレス州のクローム鉱山開発に当ったが、昭和17年3月からはリッピナス、アユヘ、ルソン、コンソリデーテッド・ザンパレスクロマイトの4社の鉱山の採掘にも当った。
昭和17年8月、当社は軍よりザンパレス州サンタクルース港の荷役業および倉庫業を受命してクローム鉱石積みだし等の港湾事業をも始めた。
クローム鉱石の採掘は着々と進行し、サンタクルース埠頭からクローム鉱石約10万トンを無事内地に送り届けた。しかし、マシンロック埠頭からのクローム鉱積出しは昭和19年にはいって開始され、3万トンの鉱石を積み出したが、その多くは潜水艦の好餌となった。
との記述があります。
姫
- >2の「アジア太平洋戦争とフィリピン」でも引用されている『南方の軍政』にも、クロムの記述は所々に出てきますが2つほど書くと、
216p(昭和17年1月25日朝日新聞の記事)
(ロ)クローム鉱
サンバレス州サンタクレナス地方には一四万屯に達する埋蔵がある
一九三九年の輸出は一〇九,九〇〇屯でそのうちで五四,〇〇〇屯は米国、一,九〇〇屯は日本向け
238p(昭和17年4月29日週報第290号企画院)
(クロム鉱)
構造用(機械の主要部、砲身、防弾鋼板用素材等)特殊鋼のうち最も重要視されるニッケル、クロム鋼製造のために、近代戦はクロムとニッケルを不可欠とする。南方地域のクロム鉱生産はフィリピンが第一であって、米国はこの戦略的原料の自給のためにフィリピンマンガンの開発に力を入れたのである。一九三八年にその生産が四万瓲であったものが、三九年には一三・二万瓲に飛躍したのをみても、この間の事情が窺われる。そのほかインドとニューカレドニアにも各大体五万瓲程度の産出高がある。なお、最近仏印にも高品位のクロム鉱の発見が報ぜられている。
といったものがあります。
兵器にクロムがどれくらい使われているかですが、シュピールベルガー『パンター戦車』に7.5cmKwK42と8.8cmPak43の必要原材料があり、前者は鉄3,883kgをはじめとしてクロムは33.7kg、後者は鉄4,421kgをはじめとしてクロムは48.4kgいるそうです(ただしどちらとも砲弾込み)。最近では日本語でも第二次大戦中のドイツ戦車の鋼板の組成が知られるようになっているので(例えば『丸』2007年4月号)、車体にどれくらいクロムが使われているか計算すれば分かると思います。
バツ