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四式中戦車と五式中戦車が立て続けに制式化されたのは何故ですか。 四式中戦車が本命の戦車で、五式中戦車はいわば戦車駆逐車的な存在であろうかとも考えたのですが、それにしては同一の砲を搭載している点が疑問です。 同じような戦車をほぼ同時期に採用する理由とは、どのようなものだったのでしょうか。また、両者を一本化する計画はなかったのでしょうか。 ゆきのん |
- 昭和18年に兵器研究方針が改正された際に「重戦車火力戦」という概念の下で主力戦車として計画されたのがホリ車(いわゆる五式砲戦車)とチリ車(いわゆる五式中戦車)です。
ソ連重戦車の正面装甲を貫徹する戦車砲としては105mm砲が必要とされ、対戦車戦の主力を105mm砲搭載のホリ車に置き、長砲身75mm砲搭載のチリは補助戦力と位置づけられています。
この計画が進む中で、旧計画の中戦車であるチト車も既に試作が進んでいたこともあり、補助戦車として審査を続行することが決まります。もともとのチト車は長砲身57mm砲装備でしたが、19年4月には長砲身75mmへの換装が決定しています。
おっしゃる通り、戦車砲が同一ならばチト車でも問題はなく、チト車の審査はほぼ順調に進んでいましたが、最終的にはチト車の砲塔を三式中戦車(チヌ車 これは制式兵器です)に搭載する形で統一されてしまいます。
BUN
- BUN様、早速のお答えありがとうございます。
対になるのはチトとチリではなく、チリとホリだったのですね。さらに、最終的にチト・チリとも新砲塔チヌともいうべき存在へ一本化されたとのお言葉に、まさに目から鱗が落ちる思いです。
「五式中戦車」は事実上、日本軍の切り札たる最終兵器というわけではなかったのですね。
重ねての質問になってしまい恐縮ですが、チトもチリも、実際には制式採用されていなかったということですか。いろいろな書籍に当然のように「四式中戦車」「五式中戦車」書かれているので、てっきり制式兵器と思っていました。
さらに、旧計画とのことですがチトにも対となる戦車駆逐車的存在は構想されていたのでしょうか?
よろしければご教示ください。
ゆきのん
- 対重戦車火力戦、すなわちソ連軍重戦車との戦いで長砲身75mm砲では威力不十分で、かといって十加を改造する予定の105mm砲を搭載すると旋回砲塔式では重量がかさむ、という理由での二本立て構想です。
兵器研究方針改正前にはそうした構想はありません。
四式中戦車、五式中戦車という名称は非公式のもので、戦時中の文書ではほとんど見られません。殆んど呼ばれることは無かったのではないかと思います。
逆にこれらより新しい存在である三式中戦車には「仮制式制定されたので試製三式中戦車という呼称は今後使わない」という文書が残っています。
BUN
- BUN様、重ねてのお答え、大変ありがとうございます。
三式、四式、五式と順に並べられると気付きませんが、チト、チリ、チヌと並べれば、三式中戦車の方が新しいことが判りますね。ご教示を受けるまで、不覚にも意識していませんでした…。
三式中戦車は、本土決戦のために一式中戦車を取り敢えず強化してみた、という様なあいまいな存在ではなく、「重戦車火力戦」という新しい考えを踏まえた上で生まれた、ソ連軍と戦うために計画された新型戦車だったと理解して良いのですね。
では、チヌに新砲塔を搭載することが決定した時点で、次世代戦車はホリとチヌとなり、チトやチリの研究は放棄されてしまったのでしょうか。
度々恐れ入りますが、お答えいただけましたら幸いです。
ゆきのん
- この辺りの経緯は学習研究社の太平洋戦史シリーズ「戦車と砲戦車」にまとまって掲載されていますので、それをお探しください。開発状況を系統立てて示してあります。
BUN
- 早速探してみます。ありがとうございました。
ゆきのん