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WWII当時の日本軍による同盟国ドイツの戦車に対する評価はどのようなものがあったのでしょうか? ティーガーやパンターは高く評価されたのでしょうか? 砲身 |
- ティーガーやパンターの情報が雑誌「機甲」に比較的早い時期に紹介されていることからもその注目度が想像できますが、日本陸軍は車種ごとの性能よりも、ドイツ軍の戦車体系自体に興味を抱いていた様子が窺われます。
一式中戦車と二式砲戦車の関係は三号戦車と四号戦車の関係そのものですし、昭和十八年度に改正された研究方針で「重戦車火力戦」に対応する車種として現れたチリ、ホリの関係はパンターとエレファントの反映でしょう。
日本陸軍が追い掛けていたのは車輌の製造技術だけではなく、その運用体系だったとも言えます。
そうした目でチリ車を眺めてみると、車体前面の一枚となった傾斜装甲の製作を諦め、研究中だったトーションバーサスペンションを諦めて、国産でまかなえる技術で和風に解釈されたパンターといった趣きがありますね。
BUN
- BUNさん回答有難うございます。
軍人さんはやはりより専門的な視点でドイツ戦車とその運用を見ていたのですね。
ところで車体前面の一枚の傾斜装甲はそんなに難易度が高いものなのでしょうか?
砲身
- 一枚の厚い装甲板を造ること自体も高い技術が必要ですが、パンターのようにそれを精密に組み合わせてシンプルな車体を構成する技術は当時の陸軍にとって荷が重かったようです。
BUN
- BUNさん、追加回答ありがとうございます。
シンプルに見えるものでも高い技術が要求されるという例だったんですね。
砲身