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大戦末期の日本軍の戦車のトラブル発生状況の質問です。 先日、都内の病院の待合室で診察を待っていたら、となりのおじいさん(80歳過ぎ程度)が話好きなようで私に話しかけてきました。 話は戦時中のことになり、三菱の下丸子工場で戦車を作っていた時の話題になりました。 徴用で働いていたこの方、試運転だかで戦車に乗って下丸子から箱根まで行ったそうです。 たっぷり80kmはある距離ですが、特にエンコなどのトラブルがあったとの話はありませんでした。 ここで質問です。 ・日本の戦車のトラブルの発生率はどんなもんだったのでしょうか。 モノの本によると、ドイツのパンターなどはトランスミッションの不具合で50Kmも走れなかったと読んだことがあります。 1944-45年頃で80Km先の箱根に行くまでトラブルなしなら、かなり良い成績だと思うのですが、これは特別な例でしょうか、それともごくごく一般的な成績なのでしょうか。 ご存知の方、いらっしゃったらご教授頂ければ幸いです。 ブドリ2世 |
- 戦車でも新品が使い古しかで随分と、故障率は違ったようです。
お話の戦車は新品ですから、調子はいいでしょうね。
過酷なロシアの前線での使用と、内地の道路(日本の道路は良くないですが、前線よりはマシでしょう)
での運用実績は比較にならないかも。
ふあはん
- 箱根との往復は戦車の竣工時の試験として通常行われていたものです。そこで故障するようなものは不良品ということになります。
戦車の故障率は条件によって異なりますが、陸軍よる統計では会戦間隔の故障率(総数に対する毎日の発生率)は10%、戦闘間での故障率は30%が平均値とされています。実際の故障の詳しいデータは「日本の機甲60年」に載ってますので、図書館などでご覧ください。
Taki
- ふあはんさま、Takiさま
ご回答ありがとうございます。
普通の道路を走る分には、そんなに問題なかったのですね。
今度、その方に病院であったら、もっと詳しく聞いてみます。
ブドリ2世
- いまさらですが…
私が学生時代は、川崎の麻生区とか、鴨志田地区(これは横浜市かな?)に「戦車道」と呼ばれる、当時の試験街道の名残がありました。区画整理が進んでモウ跡形もないかもしれませんが、当時はまっすぐな道の両脇にエンエンと鉄条網の仕切りがあって、街燈もなく、夜は「出る」なんて言われてましたっけ。
そのご老人に再会したら、ネタにでも。もう30年くらい前のことですが…
TOSHI!!