31 |
WW2ドイツ戦車についての質問です。 ドイツはどうして新戦車にパワーパック方式を採用しなかったのでしょうか? ドライブシャフトの為に豹、虎系列はかなり車高が高く、尚且つ重くなってしまいました。 戦後の戦車もパワーバック方式が主流ですし、なぜ採用しなかったのかが分かりません。 何が技術的な問題でもあったのでしょうか? 霧影 |
- 変速機を操縦席の傍に置く関係からでしょう。
当時の変速機は基本的に人力でギア(ないしはシンクロ)を叩き込むものですから、操縦席に隣接したところに変速機があることが操縦性に大きな影響をもたらします(自動車と異なり、戦車は操向にも変速を行いますから、機敏で確実な変速操作ができないと、向きを変えることすら苦労します)
車体後部に変速機を置いたT-34では、変速するのにハンマーでギアレバーを叩き込まないといけなかった等の逸話があるように、操縦席から遠く離れた場所にある変速機をリンク等で遠隔的に操作するのはかなりの面倒があるわけです。これは例えば運転席からワイヤーリンクで繋いでいるFFの乗用車の変速機でも理解できると思います(重くは無いけど、どのギアに入ってるか、うまく入ったのか運転手が把握し難いものも珍しくなかったりします。最近はずいぶん改善してますが)
SUDO
- >1の指摘の他に
パワーパック方式はエンジンとトランスミッションが一方(車体前または後方)に集中するため、砲塔が反対側に偏らせて配置せざるを得なくなります。
このため、砲塔の向きを変えると車体の重心が変わってしまい、車体の姿勢まで変わってしまう等の弊害が生じることがあります。
エンジンとトランスミッションを別々に置いた場合、砲塔を車体中央に配置できるため全体の重量バランスが安定し、砲塔の向きを変えたり射撃したりする際にも安定しやすくなります。
おうる
- 皆様、回答ありがとうございます。
>SUDO氏
ソ連製戦車のギア操作の固さは聞き及んでいますが、シンクロメッシュ式変速機の導入でかなり改善されたと言われています。
また、ソ連ほど大雑把ではいられない米戦車もM26以降ずっとあの方式ですので、補助装置で十分対応できるのでは?
なんでも、米戦車は変速機に空気圧式の倍力機構が付いていたとか。
>おうる氏
バランスに関しては、戦後の戦車を見るにさほど問題が内容に思うのですが。
特に、ドイツが戦後開発したレオパルドなど外見はRR方式のパンターに105mm砲を乗っけたような物ですし。
戦後の戦車で砲塔を中央に配置しようとこだわった物など殆ど存在していないので、程度問題では?
霧影
- >3
M26はトルクコンバータ付なんです。つまり変速操作を殆どしなくて良いのです。700馬力と50〜60tに対応したトルクコンバータがドイツに合ったのでしょうか?
ちなみにポルシェ・ティーガーの電気式も、ある種のトルクコンバータですから、ドイツとてやれるならやりたかったのは明らかですが、残念ながら史実では十分な実用性能を得られなかったということです。
SUDO
- >3
熱害や冷却等の問題もあってエンジンルームはそれなりの容積(隙間というか空間的余裕)が必要で、無理にパワーパック化するとT-34等のように横から見ると砲塔が随分と偏った配置にならざるをえません。
戦後のパワーパック化されたエンジン&トランスミッションは戦前・戦中のものに比して小型化も軽量化も進んでいます。パワーパック化して一方に集中しても、重心を極端に偏らせてしまう弊害が小さくなっています。
砲塔をなるべく車体中心に持ってくる努力自体は現在も続いていますし、パワーパックの無い方…本来なら何もいらないはずの部分…がそれなりに張り出している点も注目してみてください。
おうる
- >5
これも、実際にポルシェ・ティーガーが前に大きく偏った位置に砲塔を置いてますので、前に置かざるを得なくなるのは事実ですが、ポルシェ・ティーガーは一応アレで実用化するつもり満々だったのですから、重心が偏るからといって、そんなにシビアに考えなくてもよろしいかと。
何しろ重量は戦後MBTと同じぐらいとはいえ、主砲口径は小さく、馬力重量比も見劣りし、走行間射撃も事実上考慮しなくて良いのですから、砲塔位置が多少理想的ではなくても、そう深刻な影響は無いはずです。
SUDO
- >4
トルクコンバーターですか…それは知らなかったです。
しかし、「700馬力と50〜60tに対応したトルクコンバータがドイツに合ったのでしょうか?」
との言葉は、遠巻きにそういう物が無い、という事を仰りたいのであると把握いたしますが、
逆を言うなら、VK3002(DB)のような、40t以下なら可能という事なのでしょうか。
>5
先にも言ったとおり、戦後の戦車で現に主流となっている、という事、
また、戦後の進化と言っても、氏が示されたT-34が重心問題で致命的欠陥を露呈しておりません。
また、同じく戦時中の戦車であるM26も重心問題で致命的とされてはいません。
むしろ、後の進化でエンジンが大型化した結果、砲がM26より前寄りになっています。
特段の問題は見られませんが?
更に、本来なら何もいらないはずの部分に注目と言われても、別にあのスペースが余っているわけではありません。
運転席と砲弾が入っており、バランス取りで張り出しているわけではないですよ。
霧影
- >7
フルードカップリング自体は船舶等でおなじみですし、ドイツにはDB601エンジンで使ったフルカンの技術もありますし、戦後すぐにディーゼル機関車でトルクコンバータを使ってますから、作ろうと努力したら全く不可能ということはなかっただろうとは想像します。
しかし、戦車を作ろうとしたときに、それに見合った性能のトルクコンバータがあったのか、はたまた戦車の開発に間に合う程度のタイミングで作り出すことができたのか、この点について私は答えを持っていません。
私が知ってるのはポルシェ・ティーガーでは電気式に走ったということだけです。このときに何故トルクコンバータにしなかったのかは分かりません。また電気式で完成していれば、それは形態的にパワーパック方式にかなり近いものになりえたであろうと想像しますが、単なる後輪駆動であってパワーパックといえるほどではないかもしれません(T-34等がパワーパックではないように)
また、同時におかしくなるとは言い切れないエンジンとミッションを、同時にセットで交換というのは、補給や金銭の面では厳しい負担を強いるわけで、整備性や交換性を保ちつつ、より小さい単位のアッセンブリー交換が可能なレイアウト的な工夫をドイツならやってくるのではないだろうかとも想像します。
もちろんパワーパック方式は画期的な仕組みの一つではありますが、ドイツの場合メカニズム的な制限以上に、ある種の発想的飛躍を偶々行えなかったというだけなのかもしれません。
SUDO
- 古い戦車ファンには、戦後の戦車開発史でアメリカ以外の国がトルコンを嫌ってきたのは馴染みの話だと思いますよ。
特にドイツなんかは有名で、>7とか、4号戦車で試作もしていますが、米国と共同開発のMTB-70がポシャったのも、一因はトルコン採用の是非だったみたいです。
嫌われたのは、トルコンは当時の技術では(今でもそうですが)始動時の流体損失が大きかったせいで、当時は3割くらいもあったとかとか。特に戦車は0からの加速が多いし、当時は加速で砲火を防ぐという思想もありました。その辺が常にかなり回している航空機の変速機や、トルクが回転数にかかわらず一定で変速機を簡素化できるモーター(ドイツ語だとエンジンですが、ここでは電気‐のこと)とは大きく違います。日本の七四式とか、迷って結局ギヤを採用しましたよね、ショックすごいですけど。
それと、パワーパック方式ですが、これは一部には前線で修理するよりとっ換えちゃえ、という考えが入っていますから、整備はしにくくなるし、補給に自信のある米軍以外ではやっぱり躊躇があったようです。
そうした技術的問題点をクリアできたのは20世紀も末のころだし、戦車が「エンジン運搬車」などと悪口を言われて大出力化しても重量増で性能がアップしないといった事態に対応するためでした。
それでもM-1の採用したガスタービン(0加速のトルクが最高!)を他国が使わないのは、その分燃費がべらぼうに高いからで、補給の不安のせいだと言われています。
他にもM16ライフルとかA-10攻撃機とか、アメリカだからなんとかなった金満兵器というのは多いし、パワーパック方式というのも、近年まではそうした装備だったのです。
えりっひ
- なるほど…
皆様のご意見を鑑みると、
当時の技術では操作性と瞬発力を維持しつつ後輪駆動形式は難しい、と推察しました。
多くの人から非常にハイレベルなご回答をいただきました。
ありがとうございました。
霧影
- 霧影さま
>当時の技術では操作性と瞬発力を維持しつつ後輪駆動形式は難しい、と推察しました。
納得されているところを申し訳有りませんが、皆様のお答えからは後輪駆動形式の否定を
示唆される部分は無いとおもわれます(>2では一方と表現)、また「操作性と瞬発力を
維持しつつ」はトルコンにかかる文でしょうからパワーパックとは少し次元が異なる
話でしょう。
すみません、お礼のお言葉にツッコミを入れるなんて失礼な奴ですがどうしてそのような
理解に至ったかがわからないもので....
tune
- >10-11
パワーパック=後輪駆動=操作性の低下、という理解をされたということでしょうか。
私としてはもっと単純に、エンジンと変速機を一体化したパワーパック方式は当時の技術では不可能だった、と理解すればいいと思いますよ。
理由は整備性と補給の問題です。何せパワーパックは現在の前線整備兵でも修理できません。ドイツ戦車の活躍は前線整備兵に負うところ大だったんです。
すると、エンジンと変速機は別になります。当時の常識ではエンジンは後ろです(今もメルカバくらいか?)。じゃあ、変速機はどこへ、となると、皆さんの説明のように前に置くのがどう考えてもドイツ人の趣味でしょう。
ドイツ人は人に優しい人間工学が大好きなのです。レオパルドIで、歪や歪みを恐れずレンジファインダーをひん曲げて車長の操作性を重視しているのは、ドイツ人趣味の明確な現われだと思います。
えりっひ
- >>11
>皆様のお答えからは後輪駆動形式の否定を示唆される部分は無いとおもわれます
それは分かります。だからこそ、"操作性と瞬発力を維持しつつ"後輪駆動形式は難しい、
と書いたまでです。
この辺は特にSUDO氏、えりっひ氏によるトルコンの詳細な解説を元に出した結論です。
>>2については、自ら>>3で反論した内容にあるように、問題足りえないと判断しました。
実の所、後輪駆動形式とパワーパックの差を理解しないまま質問をしてしまいました。
本当に聞きたかったのはとにかく独戦車から推進軸取っ払えなかったのか?
つまり後輪駆動形式について聞きたかったのですが…
質問の出し方に誤りがあり、皆様を混乱させてしまいました。申し訳ない。
霧影
- パワーパック方式は車高を下げるために効果的なんです。
とくにトーションバーサスペンションとの組み合わせの場合には。
トルクコンバータからの馬力損失を嫌ってパワーパックを避け、前方に変速機を置いた61式がドライブシャフトとトーションバーが床下にもぐっているせいで車高が高くなってしまったのがいい例です。
パンターが、T−34やM26に比べれば車高がやや高くなってしまっているのもそのためです。
(ちなみに61式の車高については審査段階でそうとう問題にされましたが、結局技術的に解決困難ということで押し切られています)
居眠り将軍