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こんばんは。 戦中の戦車と比べると戦後の戦車は総じて転輪幅が広くなっているように見受けられます。 これは履帯への車重の分散のためだと理解できるのですが(間違っていたらご指摘ください)。 なぜ戦中の戦車は転輪幅を広くしなかった(出来なかった)のでしょうか? 素人考えでは幅の広い転輪を作ることなら当時の技術でも十分に出来るような気がするのですが。 相変わらずの愚問ですが、よろしくお願いします。 トゥルビーネ |
- 転輪幅とは、各転輪間の幅の意味ですか?
ソ連のBT戦車など、クリスティ・サスペンション方式の戦車は大型転輪を用い、各転輪間の幅も割と広くなっておりますが。
トーションバー方式が主流となった戦後のMBTに比べ、戦中の戦車では、サスペンションについて多様な方式が用いられていたことも考える必要があるでしょう。
アリエフ
- アリエフ様
すみません、私の書きようが悪かったですね。書き直します。
各転輪の間隔ではなく転輪そのものの幅です。
転輪を断面で見た時に履帯と接している幅です。
大戦中の戦車はケーニヒスティーガーなどのように円盤状の転輪が多いのに対し、レオパルドIIなど現代のものは車のホイールに近い形状をしているのが大半を占めているように見受けられます。
転輪幅を広げることは、履帯への車重の分散のために有益であると思われるのに、なぜ大戦中の戦車は幅の狭い転輪がメインだったのでしょうか?
そこには何らかの技術的な障害があったのでしょうか?
トゥルビーネ
- 大戦中の戦車でもあるM-26パーシングと、それ以降の戦車で、顕著な差は見受けられませんし、T-34なんかも特に幅が無いとは感じられません。
履帯幅が戦車の重量増加に応じて広がった結果として、いわゆるダブルタイヤ型になって幅広転輪を備えるようになったというだけのことです。
SUDO
- SUDO様
なるほど・・・よく分かりました。
ありがとうございました。
トゥルビーネ