694 天一号作戦について質問させてください。
もし大和が何らかの理由で損傷し、菊水作戦までに修理が間に合わない、と言う状況なっていたら、水上部隊の出撃しなかったのでしょうか?それとも2水戦のみ、あるいは急遽大和以外の艦艇をくわえて出撃したんでしょうか?

  1. 申し訳ありません。「状況なって〜」→「状況になって〜」 「水上部隊の」→水上部隊は」です。大変失礼しました。


  2. その場合は、内海の残存可動艦(駆逐艦以下)を佐世保、舞鶴に回航することの方が優先されたのではないかと思います。
    巡洋艦以上の艦は大概3月19日空襲で損傷しています。
    矢矧のほかでは作戦行動できるのは酒匂くらいでしょうか。
    しかし、実際の出撃時に酒匂が連れて行かれなかったように、元々燃料不足で実施にい多大な困難が伴う作戦であり、また反対意見もあったわけですから、大和なしで強行されたとはちょっと思えません。




  3. これって、大和が何時の時点でどれ位損傷したかで変わってくるのでは無いでしょうか?
    大和が比島沖で大きなダメージを受けた場合、他の戦艦より時間が掛っても修理するのか修理せずに他の戦艦を残すのか。或いは大和を残すのを決定した後に大和が大きなダメージを受けたのか。
    暇人

  4. 回答ありがとうございます。
    〉暇人様 曖昧な質問ですいません。                  史実通り主力艦では大和のみを出撃可能な状態にしたものの、3月末から4月初めの間に史実にはない敵の攻撃や事故等で大ダメージを負い、軍令部・GF司令部が「急いで修理しても大和を天一号作戦に参加させるのは無理」と判断する、と仮定しております。やはり、主力艦なしでは「戦果が全く見込めない」と判断され、片様のおっしゃるように水上特攻は実施されないのでしょうか。
    t

  5. 米軍は沖縄戦が日本海軍の残存艦艇により妨害されるのを防ぐため、まず20年3月19日空襲で出来る限りの艦艇を撃破することをはかっています。大和が何らかの理由で損傷、修理ということになって呉に居続けていたのなら、3月19日空襲でさらに被弾していた可能性もあり、むしろそちらの方が米軍の本来の意図通りなのであり、この日たまたま大和は呉港内よりもずっと回避運動が可能な柱島にいたため、無傷でこの空襲を乗り切っています。
    次いで米軍は、3月末から4月上旬の「飢餓作戦」により、内海にいる艦艇を航空機雷で封じ込める策をとります。機雷は、呉港内、宮島沖、柱島、音戸、早瀬瀬戸と呉港在泊艦艇の行動を妨げるように撒かれています。内海西部全体が東側から順に機雷原と化していったのです。
    大和と矢矧はその時点ですでに三田尻沖に移動を終えていたため、この罠に落ちないでいます。本来なら大和以下はさらに関門海峡を通って佐世保に移動する手はずになっていましたが、周防灘、関門海峡も機雷原となっていたため、唯一行動できるのは豊後水道だけになっています。三田尻沖に居続けてもさらに行動不能に圧迫されてゆくばかりですから、豊後水道を通って出撃する以外に道がなくなっていたのです。この場合、豊後水道から九州南端を通って北上し、佐世保に逃げ込むという案も考えられています。この局面で「水上特攻」が提案されたのは特に必然性あってのことではなかったはずであり、大和以外の大型艦であっても沖縄に出撃する作戦がとられる合理性も特にありません。
    問題の水上特攻の立案はむしろ別の独特な心理に理由を求めるべきことのように思います。



  6. >3月末から4月初めの間に史実にはない敵の攻撃
    その時期ならば、他の戦艦の参加は有りえなくなりますよね。
    普通に考えれば中止なんでしょうね。
    暇人

  7. むしろ話は逆で、大和がたまたま行動可能なまま残ってしまっていたために、このままむざむざと掃討されるのを待つよりは、ということから考えられた相違上特攻作戦であったわけです。
    他の場合では「中止」以前に、そもそも立案されなかった可能性大なのです。


  8. >片さん
    大和だったからこそというところなんでしょうかね。
    私は水上特攻作戦立案のきっかけとなったとされる出来事が非常に気になります。


    暇人

  9. 賛成派にとって大和はどのような存在だったか、ということですね。お二人とも有り難うございました。
    t


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