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初の質問です よろしくおねがいします 前弩級戦艦では 副砲以上主砲未満の中間砲がありますよね 中間砲の搭載目的は火力を上げようとしたが弩級戦艦のように 主砲を積む船体の長さと搭載場所がないために重量のある主砲は搭載できないために 一回り小さい中間砲が側面に搭載されたと何処かに書いてあった気がします 主砲の三連装化は考えられなかったのでしょうか? kayumidome |
- 自分より詳しい方が何人もおられるのですが、呼び水のつもりで回答します。
伊海軍のダンテ・アリギエーリは全幅26.6m。オーストリアのフィリブス・ウニーティスは27.3m。
ドレッドノートは25.0mなので、三連装砲塔を載せるにはもっと広い全幅が必要のようです。
幅が必要なのは船体強度上の問題と、トップヘヴィーになるので安定性確保のためと思います。
なら幅の広い大きな船体を造ればよいのか?しかし前弩級艦の時期、各列強の海軍は大型ドックが足りない・重要水路が狭くて浅い・予算上の理由など様々な事情で戦艦の大型化に慎重になっていました。
しかし日本海軍では河内型戦艦の計画時、三連装の採用も検討されていたようです。
http://www.warbirds.jp/ansq/21/B2001610.html
この場合幅の広い船体が当然必要になるでしょうが、日本海軍は英海軍のように世界各地の港で艦を整備する必要がないということで選択肢に入ってきたんでしょうね。
超音速
- 確かに全幅が数メートルは増えそうですね
速力は......増やせば問題ないか
設計等も含めるとかなりの高騰しそうですね
kayumidome
- 前弩級戦艦中の二巨砲混載艦の中間砲はがんらい副砲の発射速度をあまり落とさずに口径を最大化したものですので弩級戦艦(単一口径巨砲艦)の主砲(発射速度遅い)門数最大化という思想以前の産物です
駄レス国務長官
- >>3 駄レス国務長官さま
なんか回答の主旨がずれてませんか?
ド級戦艦の主砲門数最大化は、試射→弾着観測→修正という戦術を取る目的でなされたところが大きいですが、前ド級、準ド級の戦艦であってもその戦術はとられていましたし(日本海海戦でもやっていたはずです)、
逆にそれ以前に見られた「目の前にいる敵艦に、搭載しているすべての砲を向けて乱射して揉み潰す」戦術であったとしても、主砲と比較して威力の低い中間砲を備えるよりも、威力のある主砲門数を増やす方が望まれたはずです。
(つまり中間砲というのは、当時の戦艦の船体サイズの制約によって、主砲を増やせないがために載せた、いわば妥協の産物としてあのサイズになったものだという理解です)
ですので戦術思想云々はここでは関係なく、前ド級戦艦を強力にするにあたって、なぜ連装2基の主砲を3連装2基にするという発想に至らなかったのか、というのが質問の主旨だと理解しています。
さて、質問への答えですが。
先に書いた通り、戦艦の船体サイズを従来通りにするのが前提です。理由は1の方が書いてくださっているとおりです。
ところで、砲塔1基当たりの砲数(連装数)を増やすと砲塔直径が増えます。
真横に砲を撃つ際の安定性を考えると、船体幅は砲塔直径の3倍は欲しいと言いますので、3連装にするのはこの時点で難しいということになります。
また、仮に船体サイズの問題が解決したとしても、砲塔当たりの砲数(連装数)を増やすことそれ自体にも問題があります。
SUDOさまが書かれた「魚雷は大人になってから・番外篇」に以下の記述があります。
S:但し、一般に多連化すると射撃速度が遅くなるとか
構造が複雑になって故障しやすいとか、射撃精度が低いとか
砲塔径が大きくなって船体の強度上不利だとか、色々問題も有る
これを含めた複合的な事情から、3連装化の実現を断念したのだと思われます。
Jack
- ダレスさんの仰る通り、中間砲が大口径化する背景はちゃんと見て置いた方がいいですよ。
ド級艦は遠距離砲戦用の戦艦ですから、近距離で戦う限り準ド級艦の方が有利です。英海軍の研究では艦の動揺に対して照準を持続できるのは9.2インチ砲までだからです。例えばロードネルソンが計画された時期に英海軍でどのような砲戦が構想されていたか、といった問題には目を配ってみるべきでしょう。
BUN
- >4.
そもそも弩級戦艦の着想は八月十日黄海海戦で
・予想外の遠距離砲戦が行なわれた
・大口径の1弾が決定的な効果を生じた
・遠達性の良い大口径弾を多数発射するのが戦闘の帰趨に有利
てんで単一口径全巨砲艦に向かったってのが背景な訳です
このへんを承知しておかれたほうが宜しいかと
駄レス国務長官
- BUN様
つまり、ロードネルソン建造時点での英海軍では
・近距離で搭載砲全てを叩き込む
・弾着観測と修正はそれほど気にしない
・威力よりも照準を重視
という戦術思想があったということでしょうか?
なんだか、「魚雷は〜番外編」の第八章『 FLY TO THE TOP 』の記述と見比べると、どことなく違和感を感じるのですが・・・
駄レス国務長官様
先のBUN様の書き込みと合わせて考えますと、ロードネルソンの建造とドレッドノートの建造では大きく違う砲戦思想があるように見えます。
8月10日黄海海戦は1904年。ロードネルソン級の起工は1905年。
大口径砲による遠距離砲戦が有利と分かったのに、なぜ近距離での砲戦を重視するロードネルソン級の建造に至ったのか?が分かりません。よくドイツ海軍を語る際に出てくる、「霧の多い北海での近距離遭遇戦」が念頭にあったのでしょうか?
Jack
- >7.
後段のみ
ロードネルソン級は2隻とも民間造船所での建造です
基本計画が決まったのが1904年8月、民間造船所に入札を募って決定した2社(パーマーズ、ベアードモア)に正式発注したのがおそらく同年末頃、翌年5月の起工(船台作業開始)までに材料集めと下ごしらえで半年程度掛かるってのが常識的なところです
一方ドレッドノートは1905年初より基本計画策定、10月に海軍工廠で起工ですからそれなりに時間は経過してます(建造は最優先で主砲もロードネルソン級より召し上げ)
駄レス国務長官
- ドレッドノートの構想は日露戦争の戦訓ではなく当時想定された新たな脅威である魚雷をアウトレンジするという発想がベースにあります。遠距離砲戦はそのために必要とされ、副砲が廃されるという流れです。
そして準ド級艦はそうした発想に影響されていない計画です。
準ド級艦の副砲が主砲に発射速度で優る理由の一つとして照準の問題があります。
艦のローリングの具合を見計らってローリングのトップまたはボトムでのわずかな静止を捉えて発射する旧式な射撃法に対して、ローリング途中の動きはほぼ一定であるためローリングに合わせて砲を俯仰させつついつでも射撃できるように備える射撃が提唱されるのがド級艦構想直前の時期です。
副砲まではこうした照準ができるのですが、主砲ではその限界を超えてしまいローリングの静止点を探り当てて撃つ旧式なやり方に頼らざるを得ないので、前ド級艦は近距離の砲戦ではド級艦より優位に立てるという話なのです。
大きな間違いの多い「魚雷・・」から離れて調べてみることをお奨めします。
BUN
- ロードネルソンの中間砲は10門ですけど、なぜか「魚雷は〜」では6門と書いてあるんですよね・・・
超音速
- >10 細かい話はどうでもいいじゃん。
BUN