646 信濃丸について質問です。
船体に書いてある船名が、「志なの丸」となっているのは何故でしょうか?
時期によっては、船首に「信濃丸、shinano maru」、船体に「志なの丸」と併記していたこともある様です。
mom

  1. 駆逐艦「島風」には「ゼカマシ」と書かれているわけで。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E9%A2%A8_(%E5%B3%AF%E9%A2%A8%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)#/media/File:IJN_Shimakaze_(Minekaze_class)_Taisho_11.jpg

    要するに仮名書きされてるわけですね。
    「志なの丸」の「志」は変体仮名です。


  2.  なお、志なの丸で使われている志は、志という漢字そのものではなく、若干、崩したものです( http://www.rekishijin.jp/wp-content/uploads/20120806_03.jpg )。平仮名というのは、漢字を崩して音のみを表すようにしたもので、変体仮名も平仮名の一種だからです。そして、これは、信濃丸のように漢字表記ではなく、そもそもが平仮名表記であった、志かご丸、ぶら志"る丸、りおで志"やねろ丸の船体表記でも確認できます。
     また、旧日本海軍艦艇の制式艦名は漢字表記ですが、1にありますように、片仮名で舷側に表記されたこともありますが、艦尾の表記は平仮名で右書きされておりました。うち、軽巡洋艦大井の艦尾表記は「於ほゐ」となっておりました。「於」を崩して「お」という平仮名が生まれたのですから、これが変体仮名にあたるとは思えないのですが、一応、例としてあげておきます。
     
    hush

  3. 手持ちの資料が駆逐艦に偏っているので、駆逐艦での事例を挙げます。
    明治期の駆逐艦で舷側艦名表記がひらがな表記だった頃は、不知火・東雲・白雲・白雪・白露・敷波で「ひぬら志」「めのの志」「もくら志」「きゆら志」「ゆつら志」「みなき志」と志の字が見られます。
    一方で朝潮・初霜は「ほしさあ」「もしつは」と志の字を用いていません。
    世界の艦船別冊・日本駆逐艦史(旧版)では白雪の写真解説で次のように記述されています。
    ”舷側に平仮名で「志らゆき」と記入しているが、明治期の平仮名字体の艦名は頭文字が「し」の場合「志」と表記したようで、不知火、白雲にも同様の例が見られる。”
    上記書籍では表記艦名の記述箇所では志に崩した書体の文字を用いており、漢字でなく変体かなである事が伺えます。

    しかしながら、新版の駆逐艦史に載っている時雨Iの試運転時写真の舷側表記は、若干不鮮明ですが「れくし」に見えます。
    試験中なら引渡し前ですから、造船所側の仮表記とも考えることができるのですが…。

    なお、この頭文字「し」の志表記は、駆逐艦などの舷側表記がカタカナに変わった後も艦尾の表記で続けられていたようで、白露Iの現役末期の写真で確認できます。
    航空母艦翔鶴の艦尾表記は「くかうやし」のようですので、ある時期からは頭文字も「し」を用いるようになったと推測されますが、それが何時頃なのかは不勉強のため分かりませんでした。
    西海路

  4.  片さま、hushさま、西海路さまどうも回答あありがとうございます。それにいろいろな例も。

     しかしどういう理由で、明治期の平仮名字体の艦名は頭文字が「し」の場合「志」と表記しているのかは分かりません。
    可読性?こころざしとかけたゲン担ぎ?

     変体仮名は古文などを読むと、句読点の代わりとして、視覚的に強調する意味で用いることが多いと思いますが、関係が無い様ですね。
    mom

  5. 今は平仮名は50音といわれていますが、実際には「ゐ」や「ゑ」は使われておらず、「お」「を」や「ず」「づ」を除いて同音に近いものは整理されていますので48文字が残るのみです。
    これが戦前までは一音あたりにもっとたくさんの仮名文字があって普通に使われていたというのが変体仮名です。
    艦名でいえば「志きしま」、世の中一般のものでいえば「志る古」などのように、言葉の頭に来る「shi」の音は「志」に由来する「志」によく似た形の変体仮名で書くのがごく普通の国語的なルールだったのです。

    なお、一言で「戦前までは」といっても、大正から昭和に入ってくるとこうした煩雑さは忌まれるようになり、段階的に今の仮名用法に近づいていっています。


  6. 国語の問題だったんですね。よく分かりました。ありがとうございました。
    momo


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