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いつもお教え頂きまして有り難うございます。 日清戦争〜日露戦争開戦直前の頃、日本軍艦は舷側に「識別線」を記入していたと聞きました。 この「識別線」についてお伺いいたします。 日清戦争当時の「三景艦」(「松島」「厳島」「橋立」)や日露戦争の主力6戦艦が、各艦何色の識別線を舷側に記入していたのかお教え頂けませんでしょうか。 宜しくお願い致します。 Ranchan |
- 個々の艦艇ごとには判りかねますが「世艦」500号「日本の軍艦」の中名生正己「明治の軍艦」中に識別線と色調に就いての記述が有ります
駄レス国務長官
- 明治26年11月15日(横鎮4052)軍艦橋立識別線ノ件
によると「厳島」は黒、「橋立」は赤です。
「松島」の識別線には触れられていないのですが、識別線記入の目的が同型艦艇の識別にあったことを考えれば、
「橋立」「厳島」と相当に艦型の異なる「松島」には識別線は記入されていなかったと思われます。
また、この識別線を廃止ないし塗りつぶすような命令は出ていないようなので、日清戦争中の艦艇は識別線を記入していたと思われます。
6隻の戦艦についてはどの艦が何色の外舷識別線を記入していたかは記録がありませんが、「敷島」の外舷識別線は黒であったことが敷島艦長からの報告に載っています。
もっとも明治34年9月には戦艦、一等巡洋艦の外舷識別線は廃止されていますから、この時点で未完成の「三笠」は記入なし、「初瀬」は明治34年1月竣工、4月に横須賀着ですから外舷識別線を記入したかどうか微妙なところ。
なお、日露戦争直前に外舷識別線に代わって制定された煙突識別線は廃止され、殆どの艦艇は軍艦色に塗り替えれらました。
出沼ひさし
- >2.
松島」にも識別線らしきものは描かれてますよ(世艦増刊「日本巡洋艦史」P29)
色は判りませんけど
駄レス国務長官
- >3
なるほど、写真が残っているのですね。その本は未見なので気付きませんでした。
ご指摘ありがとうございます。
2の4行目を以下の様に訂正します。
「橋立」「厳島」と相当に艦型の異なる「松島」には識別線記入の必要性は薄かったと思われますが、識別線が記入されているように見える写真もあり詳細は不明です。
出沼ひさし
- 大変遅くなり申し訳ありませんが、皆様ご回答有り難うございます。
Ranchan