570 |
戦艦「長門」はオペレーション・クロスロードで標的艦となりその生涯を閉じましたが、以下の点質問させて頂きます。 (1)「米軍は真珠湾攻撃時連合艦隊旗艦であった『長門』を許すことが出来ず、確実に『処刑』出来るよう実験前にあらかじめ『長門』の艦体に穴を開け機雷を装着していた」 と聞いたのですが、これは事実でしょうか? (2)事実とすればどの程度の破壊が行われていたのでしょうか? (3)オペレーション・クロスロードにおいて、感情的な問題はともかく他にこのような破壊工作をされていた標的艦はあったのでしょうか? 宜しくお願い致します。 Ranchan |
- (1)&(3)そんな工作をしていたら実験になりません。
(2)破壊工作どころか、戦時中に中破していた同艦は現地への回航のために修理を施されています。
おうる
- ご回答有難うございます。
私もそう思っておりますが、ウィキペディア「長門(戦艦)」欄に以下の記述があり、事実か否か確認したく思いまして質問させて頂きました。
(ウィキペディアを完全に信用するのは危険であるとは承知しております)
(Wikipedia「長門(戦艦)」より引用)
しかしながら第二実験(BAKER)の実施前に長門の艦首部に穴が開けられており、さらに機雷が艦体に装着されていたとされるなど他艦と比べて不利な条件であったとも言える。(引用終わり)
Ranchan
- クロスロード作戦はエイブル、ベーカー両実験に引き続いて第3実験チャーリー(深深度水中爆発)が予定されていたようですので、サンプル数をワザと減らしてしまうのはマズイんではないでしょうか
駄レス国務長官
- 実験(Experiment)は、仮説(hypothesis)を証明するために行ないます。オペレーション・クロスロードは何を証明しようと企図したのかです。
原子爆弾の破壊力を証明するには、特にナチスドイツや帝国海軍の軍艦を地球を半周するくらい曳航して、「ほら駄目でしょう」と見せる必要はないです。1941年12月のプリンス・オブ・ウェールズの撃沈、1945年4月の大和の撃沈で戦艦の無力を証明(proof)している。
ニミッツ、スプルーアンスほか米海軍の将官は、真珠湾以来帝国海軍と戦い、戦前には存命中の東郷平八郎に会い、戦艦長門を表敬訪問していました。長門は、真鍮もチーク材も美しく磨いていたと書いてます。彼らは1945年9月に「とても同じフネに見えない」長門を見て、自分達のあったかもしれない運命を思って、感慨深かったようです。
オペレーション・クロスロードには、標的艦に、真珠湾の生き残りの戦艦 Nevada(BB-36)、1942年8月第二次ソロモン海戦・空母龍驤撃沈以来の歴戦の空母Saratoga(CV-3)を入れました。私は、この実験は、米海軍が、ワシントン海軍軍縮条約(1922年)以来自分らが主張する敵が今はないのだ、という事実を自分らに証明(proof)する、一種の「お葬式」だったと思っています。
御指摘の質問は、海軍と関係ないところにある、いわゆる「伝説」です。
IWA
- クロスロード作戦は核爆発(空中・水中・深深度水中)に対する各種艦艇の耐性を検証するため新旧米艦に加えてプラクチスの異なる日独艦をサンプルとしたもので、日本艦で言うと長門が旧式、酒匂が新式の代表と言うわけです
米としてはあくまでも将来戦に対するデータ収集という冷徹な目的であり、ここに感傷の入り込む余地は無いのではないでしょうか
駄レス国務長官
- 感傷というよりは、「敬意をこめた引導」だったのだと思います。
> 将来戦に対するデータ収集
戦艦 ネバダ 起工1912年 竣工1916年
戦艦 長門 起工1917年 竣工1920年
空母 サラトガ 起工1920年 竣工1927年
ワシントン海軍軍縮条約 1922年
重巡 プリンツオイゲン 起工1936年 竣工1940年
軽巡 酒匂 起工1942年 竣工1944年
クロスロード作戦 1946年
実験担当者(推定当時40代)は、ワシントン軍縮条約以来の自国海軍の軍艦建造史(設計思想:design concept)を'総括'したかったのだと思えます
IWA
- まぁこれ ↓ でも読んでみて下さい
http://www.history.navy.mil/faqs/faq76-2.htm
駄レス国務長官
- 駄レス国務長官様
そのHPの’Navy Art Collection Online Exhibits’の「オペレーション・クロスロード」中に
「オペレーション・クロスロード時『長門』は機雷を取り付けられていた」
との解説があるようなのですが・・・。
上記引用のウィキペディアの記述もこれが根拠となっているようです。
Ranchan
- 確実に沈没させる最有効手段は爆心直近に係留することです
駄レス国務長官
- >8
http://www.history.navy.mil/ac/bikini/bikini6.htm
おおむね「『パールハーバーアタック』の旗艦であったことを蔑んだ水兵によって、側面に機雷をくくり付けられた。」といった記述がありますね。
ご質問にあるようなニュアンスとは随分異なる様に見えるのは私だけでしょうか。
ずっきーに少尉
- ある意味作戦目的を損うような行動なので命令違反になると思うのは小職だけでしょうか
駄レス国務長官
- >11
私もそこを疑問に思いました。一水兵の感情でそんな行動が許されるものだろうか、と。
もし事実であるとすれば、実験にはまったく影響が無い、ちょっとしたイタズラとして見逃される程度のものだったのではないでしょうか。例えばまったく爆発しない(いわゆるガワだけの)機雷だった、であるとか…。あくまで想像ですけれども。
個人的には事実ではなく、兵士の「武勇伝」の類いだったのではないか、とも感じています。少なくとも、「長門を確実に処刑するための破壊工作」と言った行動でないことは確かではないでしょうか。
ずっきーに少尉
- ご回答有難うございます。
言葉足らずで申し訳ございませんでしたが、お伺いしたかったことは「オペレーション・クロスロード時に『長門』(ひょっとしたら他艦も?)にあらかじめ破壊工作が行われていたというのは事実か?」という客観的な事実の有無のみで、その背景となる思想的・感情的な部分は特に重視しておりませんでした。
質問文に「原爆実験は『長門』を報復処刑するのが目的の一つ」などと解釈されかねない余計な一文を入れてしまったことが失敗であったかと反省しております。
Ranchan
- おそらくネット上に公開されている最も詳しい長門の英文の記録は http://www.combinedfleet.com/nagatrom.htm だろうと思いますが、そこには、そのようなことは書かれていません。英語版のWikipediaにもありません。長門に機雷が結わえれていたという記述は、他に http://www.borrett.id.au/divelog/divesite.php?id=161 にありますが、それは第1実験の時のことだとなっており、混乱が見られます。
たしかに、アメリカ海軍歴史センターにそのような記述はありますが、それは絵の解説ではあっても、公式の見解なのだろうかと思っております。したがって、仰られるような破壊工作は、縷々述べられているように、実験の目的からいって、おかしなことだと思っております。
hush
- >14.
そこの解説には「甲板に固縛」とありますので、実験目的は普通に艦上に置かれた機雷が空中核爆発にどう反応するかを見ることであり、別に長門がどうこういう訳ではないと思いますけど
駄レス国務長官
- >13
それでしたら、回答は明白ではないでしょうか。
「機雷が設置されていた」は事実であるかどうかさえ曖昧で、事実だとしても実験の一環である可能性がある。
「艦首に穴が開けられていた」については、そもそも出典さえ明白ではない。
ゆえに「事実であると信ずべき根拠はない」
ずっきーに少尉
- 皆様ご回答有り難うございました。
「破壊工作」云々は一種の都市伝説や、15.で駄レス国務長官様が仰られているように「実験用に機雷を設置」→「撃沈処分用に機雷を設置」とある意味話がゆがめられたものと分かりました。
最後に一点だけお伺い致したく思いますが、上記に数回登場する「アメリカ海軍歴史センター」というHPは米海軍の公式サイトなのでしょうか?
Ranchan
- 日本で言うと防研図書室の情報発信力強化版ってところじゃないでしょうか
駄レス国務長官