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帝國海軍での煙突の白帯についてなんですが… 今更かと思われるのでちょっと恐縮しますが、調べても案外わからないことが多かったので。 どの艦にどう識別帯があったかは実物見ないとわからないと納得したので、せめて基本ルールを抑えようと思いまして。 ・第1、第2煙突どちらに付けるかは結局どう決まるのですか? 駆逐艦では1水戦か2水戦かで、というのは聞きましたが、3,4水戦や航空戦隊所属、 或いは重巡戦隊や戦艦の場合はどうなんでしょう。 ・3本帯までは写真で見ましたが、4本は見たことがありません。4番艦はどう塗った例がありますか? かしわもち |
- 水雷戦隊は3つから4つの駆逐隊で編成されますが、艦首の駆逐隊番号の他に水雷戦隊内で序列何番目の駆逐隊かを白帯で表示しました。
1番目:細1本、2番目:細2本、3番目:細3本、4番目:細1本+太1本
同一駆逐隊の4隻が揃って同じ帯を巻きます。
そして同じ艦隊に複数の水雷戦隊が編成されている時は、序列1番目の水雷戦隊は1番煙突、序列2番目の水雷戦隊は2番煙突に帯を巻きました。
更に1940年頃から第2艦隊に所属する水雷戦隊は、もう片方の煙突にも白帯を1本巻きました。
序列は年度毎に替わったりするので、帯もその都度変わります。
戦時中は側面の艦名や艦首の駆逐隊番号と同様に塗り潰していましたが、帯の残っている写真も有るので、例外も有るようです。
Skylla
- 艦隊内での序列で決めてたんですね>煙突
それと、写真集を見返すと確かに、太細混ぜた2本帯の艦もありました。
てっきり2番艦だと思ってたんですが、アレが4番だったんですね…
ご教授感謝します。
かしわもち
- 序列は艦長又は駆逐隊司令の先任順を考慮しますが、戦隊司令官の所定でによります。
戦艦や巡洋艦の戦隊では
一番艦:司令官の座乗している艦
二番艦:一番艦以外で二番目に先任の艦長が乗っている艦
三番艦:一番艦以外で最先任の艦長が乗っている艦
四番艦:一番艦以外で最後任の艦長が乗っている艦
ということが多いです。三番艦に最先任の艦長を充てるのは、三番艦と四番艦を第二小隊として分派することが多いからだと思われます。
水雷戦隊では駆逐隊司令の先任順に一番隊、二番隊…、とすることが多いです。
識別線の記入は艦隊司令長官の所定によります。
例えば戦前の第十八戦隊の識別線は
機密聯合艦隊命令第二九八号
聯合艦隊司令長官 山本五十六
昭和十五年十二月二十七日
聯合艦隊命令
第十八戦隊ノ識別ニ関シ左ノ通定メ之ヲ試行ス
艦名:識別線
鹿島:煙突ニ幅六十糎ノ白色横線一條
龍田:第三煙突ニ幅六十糎ノ白色横線一條
機密聯合艦隊命令第三号
聯合艦隊司令長官 山本五十六
昭和十六年一月六日
第十八戦隊ノ識別ニ関シ左ノ通定ム
艦艇番号:識別線:條数
一番艦:第一煙突ニ幅六十糎ノ白色横線:一
二番艦:第一煙突ニ幅六十糎ノ白色横線:二
三番艦:第一煙突ニ幅六十糎ノ白色横線:三
のように定められました。
戦前の5500t型の写真を見ると、識別線を第一煙突に記入している場合と第二煙突に記入している場合がありますが、これも司令長官の所定によるものでしょう。
駆逐艦の識別線については原則として水雷戦隊所属の駆逐隊にのみ記入されていました。
なぜなら識別線を記入する理由が夜戦における指揮統制のためだからです。
ですから航空戦隊所属の駆逐隊(艦)には記入されていません。
戦時中の識別線については開戦時は抹消していたのが夜戦の指揮に不便を感じたためか、水雷戦隊所属の駆逐隊に関しては昭和17年4月頃に復活しています。
ちなみに昭和17年2月8日発令の二F機密第九四六番電では南方部隊所属の駆逐隊に識別線記入を定めれおり、これが戦時中に一番早く復活した識別線記入だと思います。
なお、昭和16年12月26日付の内令第千七百三十八号で、司令長官が艦艇の塗粧や所属名、隊名等を変更して良いとされました。
ですから長官命令で一時的に識別線を抹消したり、変更したりしている可能性があります。
第五艦隊所属の「那智」や初春型の写真で第二煙突が白く塗られているのも、司令長官所定でしょう。
ということで海軍の編制と人事を詳しく調べれば識別線の類推も可能です。
出沼ひさし
- 各戦隊で司令の判断に依るんですね…非常に参考になります。
判断に困った時は人事資料も当ってみることにします。
それと、大型艦では3番艦が戦隊内のNo.2というのは意外でしたが、分離した時に確かに都合がいいですね。
かしわもち
- >4
戦隊内の序列は司令官の所定、識別線の記入に関しては司令長官の所定です。
司令の所定ではありません。
出沼ひさし