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帆船のことは良く分からないのですが、フリゲートや戦列艦といった大型の帆装軍艦は、3本のマストを持ち、全てのマストに横帆を持ったシップ型の帆装です。 大型帆船の中には4本以上のマストを持った船も有りますが(練習船の日本丸・海王丸は、新旧ともに4檣バーク型ですね)、何故、大型帆装軍艦は3檣シップ型なのでしょうか? 何か特別に軍艦に向いた特徴が有るのでしょうか? フリゲートは比較的小型で機動力を優先していますし、戦列艦は大型で重武装と、船体規模や用途も違います。船体規模や用途に合わせて、帆装形式が変わっても良さそうなのですが。 きっど |
- 2,3コメントしますが。
1)4檣船は現代でも全長が100m超級の船ですね。一方で戦列艦は50m内外。つまり4本もマストをたてる必要がないのでは?もしくは4本もマストをたてる(帆をはる)間隔が確保できないのでは?
2)シップ型かバーク型かですが、違いは最後尾マストが
・シップ型:横帆+縦帆
・バーク型:縦帆のみ
の違いですね。(シップ型は横帆のみの場合もありますが。)
推測ですが、乗組員の仕事の割り振りが、現代バーク型と戦列艦シップ型で大きく違うのだと思います。大雑把にいうと、現代バーク型では縦帆の操作に人手をかけられるが(つまりマストいっぱいに縦帆がはれる)、戦列艦では人手は大砲にも必要で、縦帆の操作に人手がかけられない(つまり縦帆は小さく、残りは横帆)なのではないでしょうか。
3)"フリゲートは比較的小型で機動力を優先"とありますが、確かに水面下の形状に関していえば、小型の方が結果的に運動性がよくなるでしょう。しかし帆装をみると運動性を優先しているようには思えませんね。質問者さんの疑問のように、運動性を優先するのならば縦帆と人員を増やす方向に進んだと思います。もっとも縦帆を増やす≒横帆を減らすと順風時の最高速度が落ちるかもしれませんが。
以上は、
・縦帆の操作は人手が必要。
・戦列艦、フリゲートには余剰人員はない。
という前提で書かせて頂きました。
もっとも時代を下ると、小型艦艇では縦帆の比率が上がっているのかなと思われる記述に接したこともあるので、一概には言えないんですが。
つらつらと駄文失礼しました。
太助
- 帆走戦列艦が主力であった当時の造船技術の関係であろうと思います。74門艦は当時の技術上の限界で、2層甲板のままもっと大きくすると艦体の湾曲に補修費がかかるし、3層にすると安定が悪くなるしで、4本マストにふさわしい艦体の戦闘艦は作られなかったのであろうと。
マイソフ
- 太助さん、マイソフさん、回答ありがとうございます。
そういえば、帆走オンリーの軍艦の水線長は50m程度しか有りませんでしたね。となれば、単純に3本以上のマストを立てられるだけのスペースが無かっただけですね。
より大きな軍艦が作られる頃には蒸気機関が装備されるようになり、それに伴い煙突が必要になってきますから、マストの追加は難しくなると共に、無理をしてマストを増やす必要も無くなりましたからね。
機動力が欲しければ、風に左右される帆走よりも蒸気機関を使った方が良いわけですし。
とはいえ、風上への航行性能が高い縦帆よりも、追い風に有利な横帆が優先された理由は分かりませんね。
艦隊行動が前提の戦列艦は兎も角、単独行動の多いフリゲートでは、風向きに関わらず航行できたほうが有利に思えたりするのですが。
きっど
- >>3 きっどさん
>>1の3)の末尾に書きましたが、
・縦帆を増やす
↓
・横帆が減る
↓
・最高速度が遅くなる可能性が大
ということは考えられませんか?
更にいうと、フリゲートで横帆を減らすと最高速度が戦列艦以下になる可能性を考えています。ちなみに当時の戦列艦の最高速度は、風速12ktで5〜6kt程度だったようです。(高性能とされるティークリッパーでは同条件で8kt程度。)
フリゲートがどのような任務を帯びていたかにもよると思いますので、(商船を護衛・拿捕、哨戒して戦列艦からは逃げる、連絡任務etc.)縦帆の必要性についてもう少し調べてみようと思います。大きな縦帆が採用されなかったとすると、帆やロープの材質に強度的な問題があったのかもしれず、何か調べることがいっぱいですね(笑)
太助
- >>4 太助さん
戦列艦より軽武装にして浮かせた重量で速度を維持しつつ、縦帆を増やして風上への航行性能を増やせば、戦列艦が航行不可能な領域で決定的優位になてるのでは? とも思ったのですが。
もっとも、極めて高性能な帆船であるとされるティークリッパーもシップ型が多かったようなので(かのサーモピレーもシップ型)、風上への航行性能を上げるのに横帆を減らす必要は無かったのかもしれませんが(細長い船体も多分に影響しているのでしょうが)。
>>1
>・縦帆の操作は人手が必要。
>・戦列艦、フリゲートには余剰人員はない。
ウィキペディア日本語版の「バーケンティン」の項目には“シップやバークと比較して少ない船員で操帆が可能であり〜貨物船に適している”との記述が有るので、むしろ砲手や白兵戦要員として多数の人員を抱えている軍艦だからこそ、シップ型を多用していた可能性も有るのでは? とも考えられます(砲手などが操帆に使える錬度、操帆と戦闘が被らないのが前提)。
きっど
- >>5
操帆というのは、帆の向きを変える外に、帆を広げたり/畳んだりすることも当然含まれますから横帆の操帆には人手が要ると言われるんですね。しかし、戦闘中に帆を広げたり、畳んだりするものでしょうか。小生の想像では、戦闘中はせいぜい縦帆の向きを変える程度だと考えています。そして横帆は張りっぱなし。あくまで想像ですが。
つまり、次の2ケースを想定して、戦列艦にはバーク型ではなくてシップ型が採用されたのだと考えました。
(1)戦闘中は横帆は無人でよいが、縦帆は人員を配置する必要があった。
(2)戦闘中は横帆も縦帆も無人で、推力はもっぱら横帆に頼っていた。
(戦闘中でも横帆に人員を配置していたよ、という情報をお持ちの方はご教授願います。)
>多数の人員を抱えている軍艦だからこそ、シップ型を多用していた可能性
それは確かに言えますね。ただ、戦列艦において、シップ型がバーク型に比べて優れていればの話です。バーク型がシップ型に比べて優れていれば、人員余剰気味でもバーク型が採用されたと思います。きっどさんが納得されるのならばそれで結構なんですが、なぜ戦列艦・フリゲートがバーク型ではなく、わざわざシップ型を採用しているのかを探りきれていない気がします。ちなみに日本丸II世は横帆18縦帆18最大乗員数190とのこと。戦列艦は全長で半分、乗員数で4倍。帆の大きさ・数はどの程度だったんでしょうね。
(話が逸れますが、小生の記憶では、砲撃も操帆もする何でも屋(水夫)が艦両舷の砲に配置されていたはずです。なぜ片舷の砲数に必要な員数だけ配置しなかったのか不思議に思ったものです。)
それから、軽武装にして重量を浮かせるというのはいいんですが、重量減と帆数減がどの程度相殺できるかですね。(加速性と運動性は確かに上がると思いますが。)重量減による抵抗の減少具合は小さく、逆に帆数減による推進力の減少具合は大きいと思います。
以下は読み飛ばして貰って結構ですが、
・重量が軽くなる
→喫水が浅くなる
→浸水表面積が小さくなる
→摩擦抵抗が小さくなる
という理屈はわかりますが、船の特性として、重量に対する浸水表面積や摩擦抵抗の変化は割と小さいんですよ。単位とかその他諸々の条件を気にせずにざっくりというと、重量の2/3乗が抵抗になります。つまり、重量が8倍になっても抵抗は4倍にしか増えず、また重量が1/8になっても抵抗は1/4倍にしか減りません。逆に帆数は3/3乗が推進力になると思います。
ちょっと夢中で書き込んでしまいました。
表現がきついところもあると思いますがご容赦願います。
太助
- >何か特別に軍艦に向いた特徴が有るのでしょうか?
戦闘被害により帆が破れたときに1枚の面積が大きい縦帆よか小さい横帆のほうが行動力低下が少なくて済むからじゃないでしょうか
駄レス国務長官