193 1・現代の軍艦や戦車はジャイロスタビライザーや環境センサー、射撃管制コンピュータを駆使して走行間射撃が行えますが、戦艦時代はどのようにして艦の動揺、即ちピッチ・ロール・ヨーを検出して射撃管制を行ったのでしょうか?

2・扶桑級戦艦は砲塔を6基も搭載していますが、これではバイタルパートは長大なものになってしまいます。
当時の海軍・造艦技術者には砲塔の数を減らしてバイタルパートを短縮するような思想はなかったのでしょうか?

3・戦艦ネルソンは甲板をストレートにして砲の俯角を0度で射撃できるように配慮したのは何故ですか?
追撃戦を行うのに具合がよいからでしょうか?
NEC

  1. 三つの質問に脈絡が無さそうなので三分割して再度書き込みされたほうが宜しいんじゃないでしょうか?
    駄レス国務長官

  2. あっ、駄レス国務長官さん。
    前回はお世話になり感謝しています。
    私が以前、利用していた某掲示板では連続投稿すると非難の声が浴びせられたので、AnsQでは3問まとめて投稿してみました。
    今から分割してしまうと同じ質問が並んでしまうので、とりあえずこのままにしておきたいと思います。

    NEC

  3. それではと言うコトで

    1.については専門の方が居られますのでご登場を期待します

    2.扶桑型は計画時点で用兵側(軍令部)より三連装砲塔(50口径12in)×4or5基の要望も出されましたケド、同時に計画され一足先に建造された金剛と同一の45口径14in連装砲塔を共用するため6基となりました
    なお当時は機関部(主缶・主機)が小型化できず、4砲塔の金剛型でも公称64,000shpを発揮するため、バイタルパート長は約440フィートと扶桑型・伊勢型とほぼ同等となってます

    3.ネルソン級は前部乾舷が中央部よか3.5フィート(後部は1.5フィート)高く、全くのフラットと言うワケではありません
    もともと英戦艦は艦首にあまりシアを付けないのでこの辺は伝統でしょう(最後の1艦を除く)
    なお追撃戦ですが、戦史を紐解けば判るように「正尾追撃戦」と称しても敵の航跡に入って真後ろから追いかけるようなコトはしません(敵が艦尾から機雷を落としたり艦尾水中発射管から魚雷を発射したりしかねない)
    また会敵時に逃げる敵が艦首正面にあれば丁字を書かれるコトとなりますので、なるたけ多くの砲塔を参戦させるよう横距離を取って射方位30度以上とするのが常道です
    駄レス国務長官

  4. なるほど、金剛の砲塔と同じもので開発費削減と開発失敗のリスクに備えたわけですね。
    ネルソンの前部乾舷が中央部よりやや高くなっていたとは知りませんでした。
    >丁字を書かれるコトとなりますので、なるたけ多くの砲塔を参戦させるよう横距離を取って射方位30度以上とするのが常道です
    ネルソンも三番砲塔を使用できるようにするため射方位30度以上が好ましいわけですね。
    回答いただきありがとうごさいます。
    それから基本的なことなのですがバイタルパートは舷側側だけでなく甲板にも施工するのでしょうか?
    NEC

  5. バイタルパート(致命部)は艦の生存に直接かかわる部分ですから、とうぜん垂直面だけでなく水平面の甲板にも(ときには複層に亘って)防御を施します
    巡洋艦などは水平防御のみの防護(防禦)巡洋艦(『防禦甲板付き巡洋艦』の意)から垂直防禦の水線部装甲帯を付加した装甲巡洋艦に発達した歴史過程があります
    駄レス国務長官

  6. >3.で書き漏らしましたが

    2.扶桑型は計画初期に連装砲塔×5or6基で中央2砲塔を梯形配置する案が複数出ましたケド、これらもバイタルパート短縮が狙いであったと考えられます
    (ド級艦の中央2砲塔梯形配置は通説の首尾線火力増大よかバイタル短縮が主眼と思われ)
    駄レス国務長官

  7. 扶桑型戦艦は設計案が35案あり、連装×6基、三連装×4基、連装砲塔と三連装砲塔の混載、四連装×2基、4連装×3基案などが検討されています。

    上記で駄レス国務長官様が既に仰られている理由の他にも

    ・金剛型巡洋戦艦と同一の連装砲塔採用による人員教育の効率化
    ・同時に多数の目標を狙えるので、砲塔数が多い方が有利であると当時は考えられていた

    なども決定案の「連装×6基」採用の理由として聞いております。

    扶桑型のバイタルパート短縮とは直接の関係はございませんが、ご参考まで。
    Ranchan

  8. >7.
    >四連装×2基、4連装×3基案などが検討されています。

    これは気付きませんでしたが計画型名Aの何番が該当しますでしょうか
    駄レス国務長官

  9. すいません。追加質問というか、なんというか。日露戦争時に多発した腔発を考慮して多連装砲塔少数より連装砲塔多数になった可能性はないでしょうか?
    wittmann

  10. >9.
    それについてはこちら ↓ で明確に否定されてますね

    http://navgunschl.sblo.jp/category/734597-1.html

    >3.にも書きましたが三連装支持は造艦側でなく用兵側であることも否定材料になると思われ
    駄レス国務長官

  11. ・やはりバイタルパートは水平面にも施すのですね。
    ・なるほど。同一の連装砲で教育すれば効率は良いでしょうね。砲兵員も各艦相互に融通が利くでしょうし。
    駄レス国務長官さん Ranchanさん 回答ありがとうごさいます
    NEC

  12. >8.
    「日本戦艦物語I」(福井静夫氏著)第14章「戦艦扶桑型の建造」中の記述よりの引用ですので、申し訳ありませんが具体的な計画番号は分かりません。
    Ranchan

  13. >10
    いやあ、お恥ずかしい。まさにその批判されている本に半分洗脳されかかっておりました。目が覚める思います。
    wittmann

  14. >12.
    該著を確認しました
    平賀アーカイブに拠ると河内型(A30)建造中の1910年3月以降A46〜A57の12案が提出され、内訳は
    14in連装砲塔×5基: A49, A50, A57
    14in連装砲塔×6基: A46, A47
    12in連装砲塔×6基: A48, A54, A55, A56
    12in連装砲塔×3基+12in三連装砲塔×4基: A51
    12in三連装砲塔×4基: A52
    12in三連装砲塔×5基: A53
    ※A46〜A49が中央2砲塔梯形配置、他は中心線配置
    となってます
    実際の扶桑型はA64ですから、四連装の可能性が有るとすればA31〜A45、A58〜A63のいずれかってコトになりますので(A58〜A63は時期的に金剛の仕様決定後)、福井氏が何を根拠に該記事を書かれたのか大変興味が有ります
    駄レス国務長官

  15. >14.の訂正
    × 12in連装砲塔×3基+12in三連装砲塔×4基: A51
    ○ 12in連装砲塔×3基+12in三連装砲塔×2基: A51

    駄レス国務長官

  16. 一番最初の戦艦の主砲の射撃管制ですが、どなたも回答(解答?)されていらっしゃらないので、浅学非才の小生が回答させて頂きます。但し、聞きかじりです。十数年前、古本屋で旧海軍の技術者(堀氏、福井氏ではない)が単行本に記載していた体験談では、人間が砲身の俯仰装置を操作して一定の角度に保持するそうです。なれないと、難しいそうです。発射は、艦の動揺周期に合わせてなされるようです。
    なお、比叡がガダルカナルの夜戦で照明をつけたのは、砲身の俯仰角の調節のためには水平線が見えることが必要だったからだそうです(旧海軍軍人の回想録)。
    UK

  17. >NECさん
     1.のご質問について、駄レス国務長官氏ご期待の人物ではありませんが、少しご説明を。 とは言え、「戦艦時代」 と言っても兵器発達的にはそれなりに長い期間ですから、 “第2次大戦当たりの頃” のこと、とします。

     射撃というのは、ごく簡単に言うと 照準 → 測的 → 射撃計算 → 射撃諸元換算→ 発砲 という流れになります。 最初の照準は、申し上げるまでもなく、目標上の照準点を方位盤なり砲側照準器で狙うことです。 そしてその照準を続けることによって距離データ (レーダーや測距儀などによる) と併せて測的 (目標の位置及び運動を解析すること) を行います。

     照準は艦上に装備された機器で行いますから、そのデータは揺れる艦の 「甲板面」 を基準とするものになりますが、測的は 「水平面」 基準で行ないますから、ここで甲板面から水平面への座標変換することになります。 即ち動揺修正データが必要になります。

     これは、ジャイロが利用できない場合 (時代) には人間が手動で与えることになります。 どうやるかと言いますと、その典型的な例が旧海軍の 「九八式方位盤照準装置 (改一)」 で、照準線方向の動揺修正は 「縦動揺手」 が、それと直角な方向は 「左右動揺手」 が行いました。 詳しくは学研本など様々な 「大和」 関連の刊行物に掲載されておりますので、それをご覧下さい。

     また、水平面基準で計算した射撃計算結果を、甲板面を俯仰・旋回する砲へのデータに如何に変換する場合にもこの方位盤での測定値を使用しました。 当然ながら照準線と射線とでは角度的に異なるものですので、微少な誤差が生じるわけですが、実際問題としてはこれはその他諸々の射弾の誤差の中で考えられ、処理されていました。

     これらの動揺修正、座標変換というものは、前者については 「測的盤」が、後者については 「射撃盤」 が必要で、測的や射撃計算を手作業又は簡単な計算用の道具でやっていた時代には不可能な事は申し上げるまでもありません。

     とはいえ、「照準」 さえ確実かつ正確に保持できていれば、余程の長距離で無い限り、誤差があるとはいえかなりの射撃が実施出来ることは間違いありません。 縦動揺については照準でカバーできますし、横動揺については縦動揺の影響に比べれば誤差も少ないですし、射手の発砲のタイミングでカバーできます。

     なお、ここでご注意いただきたいのは、既に述べてきておりますように、動揺修正といっても艦の艦首尾線方向及びそれに直角な方向の動き、即ち “ピッチ” や “ロール” に対して行うのではありません。 照準線や射線に対して垂直な方向、即ち “縦動揺(レベル、Level)” というものと、それと直角な方向、即ち “横動揺(クロスレベル、Crosslevel)” に対して行います。

     米海軍では大戦前から “Stable Element” というこれ専用のジャイロ装置を採用しております。 しかし当時のジャイロですから今日と比べると精度的にはかなり落ちるものですので、その時その時の状況により、前述の手動による方法とこのジャイロ装置を利用した方法とを適宜切り替えて使うようにしていました。

     最後の発砲については、射撃盤、又は射撃指揮装置から砲台に送られてくる射撃諸元 (旋回角、俯仰角、信管秒時) を手動で設定する (俗に言う 「基針に追針を合わせる」) ことになります。 これは動揺修正が終わって甲板面基準に変換されたデータですので、そのままで良いわけです。

     また、この射撃諸元による砲・砲塔の操縦は、米海軍では電動油圧方式による自働操作も、また上記の手動操作方式も両方できますので、これも状況によりその時に良い方に切り替えて使っていました。

     もちろん申し上げるまでもなく、陸上目標などに対する間接射撃でも無い限り、目標を照準せずには射撃などできません。 例え、探照燈などで水平線を照射したとしても、そんなことは何の役にも立ちません。 もちろん実際には探照燈で照射しても水平線は判りません (見えません)が 。 そして、水平データ (水平線の見通し線は水平ではありません) が得られなくとも、目標の照準さえ出来ていれば (=目標が照射できていれば)、その照準線に対して “弾道の不易性” により射撃はできます。

     ご参考までに、ご説明したことを更に詳しくお知りになりたい場合には、射撃理論については私がいつもご紹介することにしている 「海軍砲術学校」 というサイトを、また照準の重要性については同サイト管理人のブログ 「桜と錨の気ままなブログ」 の 「砲術について」 の項をご覧いただくのがよろしいかと思います。

    「海軍砲術学校」の「射撃理論」の頁 :http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/riron/nyumon/nyumon_frame.html
    http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/riron/shokyu/shokyu_main.html
    「桜と錨の気ままなブログ」の照準関係の頁 : http://navgunschl.sblo.jp/category/843733-1.html にあるリストの下の方
    艦船ファン

  18. >17.
    >電動油圧方式による自働操作も・・・
     では誤解を生じますので、“Receiver Regulator により、自動操作も、前記の手動操作でも、どちらも電動油圧方式でできますので”に改めさせていただきます。
    艦船ファン

  19. 16について、補足させて戴きます。比叡が水平線を確認するため照明をつけたことを記載しているのは、千早正隆著「日本海軍の戦略発想」の21頁最終行から22頁5行までです。戦前に夜戦において照明をつけることの長短が検討され、ガダルの夜戦では水平線を見て正確な射撃をした方が有利と判断されたそうです。何しろ、敵はレーダを持っているのですから(当然、米国側は照明をつけなかったと思います)。また、第1次ソロモン海戦で、真っ暗闇で敵駆逐艦を8000メートルの距離から見つけています。従って、照明をつければ水平線の確認は可能と思われます。17の記載と矛盾があり得ますが、軍人としては、煙幕の展開等で水平線が見えなくても正確な射撃ができる装置を技術陣に要求するのは当たり前と思います。従って、不一致点については、何れかに何らかの錯誤があると思います。勿論、千早氏の記憶間違いかも知れません。要は、あの時代における「地球の引力を基準にして、動揺する軍艦に据え付けられている大砲を正確な角度に設定すること」は、人間が操作していたということです。
    UK

  20. 「資料の信憑性や作成の前提の検討があまりなされていないことです。」
    艦船195の18のUK氏の書き込みより引用。

    千早氏の著作を引用される際、「資料の信憑性」や「作成の前提の検討」はされたのでしょうか?

    もしされたのなら、「千早氏の記憶間違いかも知れ」ない文書を元に書き込みされたのは何故でしょうか?

    出沼ひさし

  21. >19.
    第三次ソロモン海戦第夜戦で比叡が照射したのは遥か彼方の水平線などではなく至近距離(2000m前後)に接近していた米巡アトランタだと思いますケド
    駄レス国務長官


Back