182 旧日本海軍の呉海軍工廠についてお尋ねしたいことがあります。

一つ目は同工廠で建造された航空母艦葛城に関するものです。
葛城は1942年12月8日、呉海軍工廠で起工されましたが、この時建造されたのは戦艦大和を建造したのと同じドックなのでしょうか?
大和のドックは大和の進水後に111号艦の建造が開始されておりますが、1942年中に建造中止となっているので、葛城を建造したのがこのドックなのかそうでないのか、調べてもなかなか資料が出てこず……。

二つ目は航空母艦阿蘇の建造を1943年6月8日から葛城と同時に行っていますが、同工廠は少なくとも進水前の雲龍型航空母艦を二隻は同時に建造することが可能なのでしょうか?
三八式

  1. 葛城は大和と同じ造船船渠で建造されたのではないでしょうか、
    阿蘇は造船船渠でなく第三船台で起工されたという資料を見た覚えがあります
    第三船台はその前には伊吹が有ったと思われ(推定)さらにその前には大淀が有ったようです
    造船船渠と第三船台で2隻作れたのではないでしょうか
    個人的には阿蘇の次は5012号艦が第三船台を予定していたのかなと思ってます
     
    造船繋がりで私も横から質問なのですが(すいません)
    1.蒼龍−大和の起工進水間には2年近いブランクがありますが、
    この時期は造船船渠で作ってた船はあるのでしょうか、それとも大和のための拡張工事に2年かかったということなのでしょうか
    2.横須賀の第二船台は津軽の進水から能代の起工まで1年3ヶ月のブランクがあります
    福井氏の著書に110号艦の資材置き場になっていたという記述がありますが
    この時期に船台をわざわざ開けていたのでしょうか?それとも何か建造されていたのでしょうか?
    ふあはん

  2. >1.
    2.
    横須賀の第2船台は津軽進水より能代起工までの間、第110号艦(信濃)の船底板製作に使用されました
    以上「横須賀海軍工廠外史」に拠る

    駄レス国務長官

  3. 呉の造船船渠は「S15.10に大和型4番艦の第111号艦が起工されたが開戦により工事中止、組立中の二重底を解体して葛城と伊400潜を同時建造し、その後一等輸送艦(特々)をブロック方式により2隻宛建造して能率を上げ急速建造の目的を果たした」とのコト
    以上「昭和造船史第一巻」に拠る

    >1.
    1.
    上掲書に拠ると蒼龍と大和の間に呉の造船船渠で建造されたフネは無いようで、この間に渠底を1m掘り下げ、有効幅を2m増大してます(工事期間不明)

    駄レス国務長官

  4. >第110号艦(信濃)の船底板製作に使用されました
    >組立中の二重底を解体して葛城と伊400潜を同時建造し
    駄レス国務長官様ありがとうございます
    引用元付きで教えていただいて感謝感激です
    葛城一隻だと余裕あるなとは思っていたのですが、伊400と一緒だったのですね
    ふあはん


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