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日清戦争後に発生した三国干渉について調べているのですが、英国やロシア、ドイツ、フランスなど、列強各国の東洋艦隊や極東艦隊について、教えていただけませんか。 ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授お願いします。 TY |
- 露仏独の兵力についてのみですが
「日露海戦史の研究(上)」によると
明治28年3月のロシア海軍の極東兵力は
東洋艦隊
巡洋艦4、砲艦4、機雷敷設艦2、水雷艇3隻
シベリア分艦隊
二等巡洋艦2、砲艦4、水雷艇4隻
これに
「ニコライ1世」「アドミラル・モノーマフ」「セニャーウイン」「アプラクシン」「ウシャーコフ」が増勢されたとなっています。
ただし、「セニャーウイン」「アプラクシン」「ウシャーコフ」は竣工しておらず、誤記の可能性が高いと思われます。
更にドイツ海軍が甲鉄艦1隻、巡洋艦1隻を派遣、フランス海軍は4隻(艦種不明)を行動させたとあります。
ロシア艦艇勢力の出典は「ソ連から見た日露戦争」とのことです。同書は私も持っているはずですが、捜索しても見つかりませんでした。
誤記と思われる海防戦艦3隻を除いても
戦艦1隻、装甲艦2隻、巡洋艦7隻、砲艦8隻、水雷艇7隻+艦種不明4隻
ですから、黄海海戦時の北洋出師の1.5〜2倍程度の兵力でしょうか。
更にフランス、ドイツを合わせると装甲艦20隻、巡洋艦30隻程度は持っていましたから、後詰めを考えると圧倒的です。
なお、この時代の装甲艦は「扶桑」を大きくしたような艦から、前弩級戦艦類似の艦までありましたし、巡洋艦も殆ど帆船の艦から防護巡洋艦までありました。
なので、どこまでを戦力としてカウントするかは難しいです。
出沼ひさし
- 出沼さん、早速の回答、ありがとうございました。
なるほど、ロシアの東洋艦隊やシベリア分艦隊だけならまだしも、「ニコライ1世」や「アドミラル・モノーマフ」のような有力な艦艇が増援されていたんですか。日本が三国の干渉を受け入れるはずですね。
ただ、干渉した三国の艦が、そんなに玉石混合とは思いませんでした。
干渉するのだから、最新式の戦艦でも持ってきて、脅したのかなと思っていました。
詳しい情報をありがとうございます。
ふと思ったのですが、日清戦争に間に合わなかった戦艦「富士」と「八島」が、日本に到着していたら、どうだったのでしょう?
イギリス製の最新式戦艦が二隻日本にあったら、遼東半島を返還させた代わりの代金まで日本に減額させなかったのでは?と、思うのですが。
もしよければ、お考えをお聞かせください。
TY
- すみません1点訂正です。
「ウシャーコフ」は1895年竣工なので実際に極東に回された可能性があります。
>玉石混交
いえ、この時代は全ての海軍が玉石混交です。前弩級戦艦や装甲巡洋艦が出始めた頃ですから。
日本でも「吉野」「浪速」などの新鋭艦がありますが、「筑波」「鳳翔」等の旧式艦もありました。
>最新式の戦艦でも持ってきて
ロシアの「ニコライ1世」(1891年竣工)は最新式、「ウシャーコフ」ももし回航されたのなら最新式です。
>戦艦「富士」と「八島」が、日本に到着していたら
極東には「ニコライ1世」が既に存在します。それと本国に「アレキサンドル2世」があります。
この後、完成する戦艦、装甲巡洋艦は「ガングート」(1894年竣工)、「ウシャーコフ」「リューリック」(1895年)、「ナヴァーリン」「シソイ・ヴェリキー」「セニャーウイン」(1896年)です。
実際の「富士」型の建造は
1894年起工、1896年進水、1897年竣工
ですが、三国干渉に間に合わせるならば、抑留は考えないとしても
1892年起工、1894年進水、1895年竣工
でしょう。
35口径30cm砲の開発終了が1893年、15cm速射砲の開発が1892年ですから、主砲は30口径、速射砲は積めますが抑留を考えたら微妙。ハーヴェイ鋼も多分ダメ。
総じて(シソイ+ナヴァーリン)÷2位の戦艦ではないでしょうか。
日本に戦艦があるならばロシアも最新式の装甲艦を送ってくるでしょうから
「富士」劣化型2隻対「ニコライ1世」「アレキサンドル2世」「ガングート」「ウシャーコフ」「リューリック」
日本に戦艦があるのに装甲艦を派遣しないと、三国内での発言力が低下するでしょうから、これに独(「ブランデンブルク」型とか)仏(「ブレニュス」とか)最低各1隻としても2対7です。
まあ、「ガングート」以下はちょっとアレなんで実際は2対5位でしょうか。
それでもロシアとしては充分「やる気」になる戦力比ですね。
結果として史実と殆ど変わらないというか「富士」型が劣化した分、日露戦争で苦労しそう。
しかも日本にとっては最初の戦艦ですから、乗員の訓練等を考えると撃沈される可能性が大です。
砲塔砲の訓練で手や頭を潰された、切断されたっていう事故が多発したそうですから。
出沼ひさし
- 出沼さん、回答ありがとうございます。
なるほど、この時我慢したからこそ、いわゆる六六艦隊計画で新鋭戦艦をもつことができたというわけですね。
不幸の後には幸運の女神がしっかり待っていてくれたってことでしょうか。
いろいろ勉強になりました。そして、早い回答ありがとうございます。
TY
- >我慢したから
我慢というより、先見の明があったということではないでしょうか。
40口径30cm砲を世界で最初に採用したこと
副砲を速射砲としたこと
建造中に装甲をハーヴェイ鋼を採用したこと
速力を18ktとしたこと
上記4点により「富士」「八島」は日露戦争でも充分に強力な戦艦でした。
後世からの視点ではどれも妥当な選択と思えますが、40口径30cm砲やハーヴェイ鋼が失敗作になる可能性もあったのです。
この時代では機構が複雑で故障が頻発したり発射速度が遅い砲、自然に割れが生じる装甲などは珍しくありません。
そのような可能性を踏まえつつ新機軸を国防の要とも言える戦艦、それも初めて保有することになる戦艦に採用を決定することは強い決断力、鋭い洞察力が必要だったと思います。
出沼ひさし
- 返事が遅れてすいません。
重ねて回答ありがとうございます。いろいろ勉強になりました。
TY