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昭和十九年十二月1日和洋丸と萩川丸がマニラから遭難船員を便乗して無事高雄に着きました。川崎汽船萩川丸に同社の戦没船利川丸の船員が便乗したかと思いますがご確認願いたいのですが。当時私は和洋丸に便乗していました。 菊池 |
- お役に立てず申し訳ありませんが、下記の情報程度しかインターネット上にはないようです。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/senbotusen/siryo-deta/senbotukisenlist.pdf
戦没年月日 区分船 名総/d数 船主 戦没原因 戦没場所 戦死者数:船員/兵士/便乗者
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19/10/19 C 利川丸/6,933 川崎汽船 空爆 比島マニラ港 2/ − / −
20/03/11 B 和洋丸/2,726 東洋汽船 空爆 広東省下川島 18/ − / −
20/07/28 C 萩川丸/2,995 川崎汽船 雷撃 津軽海峡西口 31/ − / −
注)1、区分欄 A=陸軍徴用船 B=海軍徴用船 C=自営船
2、戦死者数欄 「−」=不明。 船の戦没日前後の死亡者を含む
確かに利川丸は昭和19年10月19日にマニラ空爆撃沈されており、船員2名の方が亡くなられています。これに対して「和洋丸と萩川丸」は昭和20年まで活動していることは確認できますが、「同社の戦没船利川丸の船員の便乗」の有無、また、萩川丸の昭和20年7月28日の雷撃撃沈時に亡くなられた31人の利川丸の旧船員の方が含まれていたか否かは判りません。
不完全な回答とは思いますが、「アジア歴史センター」または同データベース等が参考になるのではと思います。
無記名
- 神戸にある「戦没した船と海員の資料館」に問い合わせしてみてはいかがでしょう?
HPもありますので、Eメールでも受け付けしているようです。
ttp://www.jsu.or.jp/siryo/index.html
御屋方