58 |
大和の46cm砲の射程は40キロちょっとあるけれど、実際は米軍と違いレーダー管制射撃じゃないからもっと近くじゃないと命中させることができないって本当ですか? ゼブラーマン |
- 太平洋戦争中の日米両軍は基本的に航空砲戦観測を行います。
特に米海軍の空母を含む艦隊航空部隊は大袈裟に言えば戦艦の砲戦観測のために育てられて来たような経緯があります。両者とも遠距離砲戦は飛行機に頼っていたということで、遠距離砲戦での命中率に関する限り条件はほぼ変わりません。
BUN
- ありがとうございます。よくわかりました。
ゼブラーマン
- >1前提がどうであれ、対戦中の砲戦において、実際に観測機が在空し、有効な着弾観測を行った事例がいったいいくつあるのかお聞きしたいものです。
マニ
- >2
地中海のカラブリア沖では英伊両軍が出してます。イタリア軍のRo43は英空母の戦闘機に追い払われてしまいましたが、空母の支援を背景に観測機を有効活用できた英戦艦ウォースパイトは、26kmという遠距離ながら伊戦艦チェザーレに命中弾を出して、これを撃破してます。
また第二次シルテ湾では、悪天候ながら水上機を出したイタリア軍は、戦艦が至近弾を記録するなど中々に優れた砲撃を行い、始終優位な戦闘を遂行しました。
またスラバヤ沖では日本軍は何度も観測機を出してますしサマール沖でも出てます。
遠距離白昼戦で観測機を出した事例は、出さなかった事例と同じぐらいあるみたいですね(そもそも白昼水上戦はそう多くないのですけど)
SUDO
- >4
スラバヤ沖、あるいはサマール沖で、観測機が着弾観測(それに伴う、照準修正)を行ったと言う事実はありません、せいぜい状況偵察のレベルでしょう。
中には、アッツ島沖での様に、観測機が、敵艦の行動不能を打電しながら味方艦の方で受信出来ていなかった、というような事例もあります。
マニ
- 米側資料だと、「(スラバヤ沖海戦時に)艦隊上空にあった三機の日本軍水偵は、日本巡洋艦のために弾着観測を行っていた」と記している物がありますね。スラバヤ沖時の五戦隊の記録は確認していませんが、スラバヤ沖直後のエクセター追撃戦では、妙高の零式水偵は秒時時計を使って着弾観測を実施していた、と搭乗員の方が回想されています。これも考慮するとほぼ同時期に同一戦隊所属艦が同様の昼間砲戦において、状況観測用の水偵を出していていながら、その機体が全く着弾観測を実施して居なかったとは考えがたい様に思えます。
大塚好古
- スラバヤ沖海戦の日本側の資料、昭和16年12月16日〜昭和17年2月28日 第5戦隊戦闘詳報戦時日誌(アジ歴レファレンスコード:C08030042700)内の「スラバヤ」沖海戦戦闘詳報によると、
一七一五より一七二九の間に5S観測機(那智羽黒各艦九五式水偵二機)を発進せしめ
とありますね。
他にも
一八三七突撃を下令せり
この頃より敵は猛烈なる煙幕を縦横に展開落伍艦を蓋い(中略)
煙幕猛烈を極めしため目標視認できず
飛行機よりも実況観測不能にして(以下、略)
とありますね。
他にも別紙第一で那智射撃指揮関係、羽黒射撃指揮関係と続き、次の別紙第一備考で
(1)本記録は主として主砲発令所に於ける記録を主体として弾着の遠近は飛行機観測を主体として調製せり
とありますから、飛行機から弾着観測は行っていた様ですね。
伸
- サマール沖海戦における日本側資料、『昭和19年10月20日〜昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(アジ歴リファレンスコード:C08030037000)内第一戦隊戦斗詳報第二号』の第一戦隊観測機作戦記録によれば、
十月二十五日
(イ)大和二号機
(一)任務 対勢観測 弾着観測
(二)経過
〇八一五 射出発艦 任務に就く
(ロ)大和一号機
(一)任務 対勢観測 弾着観測
(二)経過
〇八五一 射出発艦 任務に就く
とありますね。
任務そのものは米艦載機(戦闘機)の妨害で初期の目的は達しておらず、大和二号機は「空母ニ大火災云々」を発信後にエンジン被弾でサンホセに向かい、一号機は発艦直後に敵を発見しますが「敵見ゆ云々」と発信後に被弾し操縦困難な為にサンホセに向かう事になり、双方ともサンホセに到着しています。
と言う訳で、サマール沖でも任務の失敗はありましたが、【弾着観測を意図して観測機を二機も発進させていたと言う事実はあった】事になりますね。
伸
- サマールで大和から8時12分に射出した機体に関しては
砲撃戦開始後、すでに1時間以上経っていることからもわかるように、
その目的は着弾観測ではなく、見失った敵艦の索敵のはずです。
大和は全軍突撃命令発令直後(発令中?)の8時4分頃に雷撃を受け、
これを回避するために転舵したところ、二本の魚雷と並走する形になってしまいます。
この結果、数分間にわたって戦場とは別方向に進まされ、さらに煙幕とスコールで敵艦隊との接触を失ってしまうのです。
このため、索敵機を射出するのですが、結果は伸さんの書かれた通りとなり、
結局、大和は索的機射出直後に目視で敵艦の再発見に成功、砲撃を再開したのでした。
8時50分の射出はよくわかりませんが、ほぼ敵艦との接触を失っている時間ですから、
これも着弾観測を期待したものではないと思います。
アナーキャ
- >9
>見失った敵艦の索敵
それは対勢観測に含まれるのでは? 任務は対勢観測と弾着観測の二つですが?
因みに大和に分載されていた長門一号機が一一四五に射出発艦となっていますね。任務は「サマール島北東海面の敵部隊捜索 レイテ湾方面敵情偵察」となっていますね。
戦闘詳報は後から書いたモノだから信じられないと言われてしまえば、如何しようもありませんが。
伸
- まあ、書類に書かれてるのも真実なら、当事者の考え方もまた真実です。
あの状況でノンキに着弾観測をやらせる気はほんとにあったんかいな、
1時間も経ってから、
「オカシラ、どうも弾が当たりません。策敵機を飛ばしてみませんか?」
「えー、おまえ、アタマいいなあ、アメリカのスパイちゃうやろな」
みたいな展開があったんかいな、という辺りは、まあ2009年の現在からは知り由もありません。
それぞれが、自分の「真実」を信じていることは極めて自然な状態ですから、
その点、別に論議する気はありません。
書類にそう書いてある、というなら、その通りです。
アナーキャ
- >9-11
いや、見失ったからこそ、飛行機を出してるんでしょう。
つい少し前まで交戦してたんですから、スコールや煙幕の向こう側で見えないけど、どこかそう遠くないところに敵艦がいるはずです。それを飛行機で見つけ、航空観測による煙幕超過射撃を企図するということではないかと。
SUDO
- 大和がレイテ戦後に出した戦訓報告によれば、大和の飛行科は「(サマール沖で)対勢砲戦観測機として零観二機を使用」「遠距離砲戦では飛行機利用を絶対と有利とするも、観測機の脆弱性に鑑み、これに代わるべき方策を確立する必要有り」と言っています。これからいけば対勢観測だけではなく、合わせて着弾観測をやらせる気もあったけど、制空権が取れない状況・飛行機の性能問題もあって旨くいかなかった、と考えられた様に思います。
大塚好古
- 大和から射出された観測機の行動を時系列で並べてみると、
・大和二号機
〇八一五射出発艦
〇八二〇「空母に火災云々」と報告
〇八二五敵戦闘機3機の追躡を受け雲中に退避。離脱を試み接触の持続に努めたるも逆に接触を失う
この後、付近50浬程を捜索するが敵影認められず。被弾によりエンジン不調
〇八三〇基地に向かう
・大和一号機
〇八五一射出発艦 直ぐに敵発見
〇八五五「敵見ゆ云々」と電を発す
〇九一〇「我敵機の追躡を受く」の電を発す
敵戦闘機十数機と遭遇。被弾の為に操縦困難になる
〇九三〇基地に向かう
此れを見れば判る様に、先に発艦した大和二号機は発艦5分後に米艦隊を発見しています。
又、後発の大和一号機は時系列で見る限り先発の大和二号機の代替として発艦している様にも見受けられます。
因みに、大和一号機の弾着観測の任務には但し書きがあり「一五〇度方向に現われたる敵部隊に対し」となっています。
“敵は至近に居る”と言う前提で出していると思われます。又、対勢観測と共に、射程内であれば弾着観測を行う事による砲撃を意図したとしても不思議な事は欠片も無いと思います。
伸
- 追記になります。
1Sの戦訓報告では、
本戦闘は咄嗟戦闘なりし為、第一戦隊観測機を予め出し砲戦に備えること能haざりき。
追撃に移りたる後、後部砲塔を使用せざるを幸い観測機二機の急速準備を命じ、戦闘中に射出、敵情を偵知sえしむると共に砲戦観測に利用を図れり。
然れども敵戦闘機に我が行動を掣肘せられ弾着観測を実施し得ざりき。
つまり、砲戦開始後一時間して押っ取り刀で観測機を出したのではなくて、“砲戦自体が咄嗟戦闘だったから観測機を飛ばせなかった”と言っています。
そして“砲戦が一段落したから(後部砲塔を使わないから)”観測機を急遽用意して発艦させたという事らしいですね。
そして、任務としては対勢観測(偵知)と共に砲戦(弾着)観測も意図していたと言う事ですね。
でも、敵戦闘機が邪魔したから弾着観測は駄目だったと。
因みに、1Sの戦訓報告の航空の部では、
現観測機は性能不十分にして艦隊戦闘に不適なり
なんて駄目出しされています。余程、弾着観測等が出来なかった事が無念だったのかもしれません。
伸
- まあ、結局、報告書をどう読むか、という話になってしまいますね。
ここら辺は主観が絡むので、多分、明快な結論は出ないでしょう。
戦争やって来た本人が提出した書類、いわゆる
営業が「とても努力したんです主に運が悪くてダメでした」と書いてきたレポートを
そのまま受け取るか、自分で一度考えてみるか。
例えば砲撃開始1時間後の静寂が訪れる前、そもそも砲戦開始直後の7時8分ごろから20分程度、
大和はスコールと煙幕で視界が遮られて主砲の射撃を中止しています。
このときは見えてないだけで、敵艦隊との接触は保ってますから、
着弾観測させるなら、なぜこの時飛ばさなかったのか。
ついでに、サマールの時、124発の主砲射撃において、
大和は後部主砲を使って撃っているのか。
乗組員の回想録では後部砲塔では撃ってない、という記述があります。
7時30分後前後からは90機近い敵機の空襲にさらされ始めた上(実際はもっと早いはず)、
相手を正規空母だと思い込んでる状況で、
本気で着弾観測ができるポジションに複葉下駄バキが滞空できると思っていたのか。
まあ、思いかねない人たちが戦争をやっていたんですが(笑)、
さすがにレーダーまで持ってる正規空母艦隊相手に本気で着弾観測機を飛ばすとはちょいと信じがたい。
と、ワタシはこう「考える」わけです。
別にこれをもって真実はコレだ!とは言いませんし、
かといって現場の人間の報告書を鵜呑みにする気もないのです。主観の問題ですね。
まあ、繰り返しになりますが、「でも書類にはそう書いてある」
ということでしたら、それはその通りです(笑)。
アナーキャ
- >16
#9でアナーキャさんは観測目的は「無かった」と主張なさってるのであり、それは報告から否定されるということです。
情勢等から考えて観測は本気じゃなかった。もしくは成功率について楽観的ではなく悲観的だっただろうと考えることについては誰も否定してません。
観測出来たらラッキーという程度の腹積もりで出したとしても、その任務目的に観測はするつもりがなかったにはならんです。
つまりは、報告書の読み方の問題ではなく、アナーキャさんの表現の問題です。
SUDO
- いえ、ここで問題にしてるのは着弾観測ですよ。敵情観測は最初から無いとは言ってません。
アナーキャ
- このスレッドを通しで読む限り、レス番17の方の言う「観測目的」を着弾観測以外の意味に受け取るのはきわめて難しいと思いますが。
名無し三等兵
- ああ失礼「弾着観測」でしたね。
SUDO
- >16
>例えば砲撃開始1時間後の静寂が訪れる前、そもそも砲戦開始直後の7時8分ごろから20分程度、
>大和はスコールと煙幕で視界が遮られて主砲の射撃を中止しています。
>このときは見えてないだけで、敵艦隊との接触は保ってますから、
>着弾観測させるなら、なぜこの時飛ばさなかったのか。
〇七〇九に敵煙幕の為に見失っていますが、〇七一〇には対空射撃開始で戦闘を再開しており、更に〇七一七には副砲射撃開始となっていますが。
貴方が言っている時間も戦闘継続中で観測機を射出する様なタイミングではなかった様ですね。
色々と引用しましたが、最初から弾着観測の意図が無いのであれば、観測機記録の任務に弾着観測なんぞ書かないでしょう。それを判りやすくする為に長門一号機の例を出したのですが。
もし貴方が言う様に弾着観測の意図がなければ、任務はただ“対勢観測”か“敵部隊捜索”とするだけで済んだハズです。
戦訓で“非制空圏下での弾着観測なんてやっぱ出来ないから、何か代替になるもの考えないといけないよね”と書いたり、“観測機は使えない”と駄目出しをしたりしている事は弾着観測を観測機で試みた結果でしか出せない戦訓であり、少なくとも1S又は大和上層部は、弾着観測も考慮した上で観測機を出したとしか結論付けられないのです。
伸
- ご意見、拝読いたしました。
事実関係は最初から決まっているのですから、
そこからどういう結論を導き出すかは個人の自由です。
その点について、他の人になんら自分の意見を押し付ける気はありませんし、
私にはそんな権利もないわけです。
伸さんがそう思うなら、それで十分でしょう。
特に私から申し上げることはありません。
アナーキャ