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イタリア機に関する質問です SM.79など数多くの三発機が存在したイタリア爆撃機ですが 本邦にはまず三発機が存在しません これは日本が双発で十分な大馬力の発動機を多数用意できたからだと思いますが なぜイタリアではそれが実現できなかったのでしょうか? 「国力・工業力・技術力に劣ったから」という単純で身も蓋もない理由なのでしょうか? カタカナ提督 |
- 簡潔かつ的確に述べられております。
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14113624069
みかん
- イタリア三発爆撃機の一番手、SM79が開発された時期はいつでしょう? SM79は九六陸攻より2,3年先行しています。九六陸攻は当時最新鋭、実用化されたばかりの金星三型900馬力×2、SM79はその2年前に700馬力級×3。日本がSM79と同じ時期に陸攻を開発していたら、やはり三発か四発になるでしょう。九六陸攻と同時期なら、フィアットBR.20は1,250馬力双発でです。九七式重爆の生産・配備に手間取っていた陸軍はBR.20を輸入して「伊式重爆」として採用しています。
イタリアに「双発で充分な出力のエンジン」が作れなかったわけではありません。1,000馬力級の実用化は遅れていないし、更に高出力の1,500〜1,700馬力級のエンジンも開発しています。SM79の開発時には双発で充分な出力のエンジンはイタリアに(ドイツやフランス、もちろん日本にも)存在しなかった、その数年後には九六陸攻の機体規模に双発で間に合うエンジンが開発された、それだけのことです。工業力・技術力は日本と比較して「勝るとも劣らない」というところ、むしろイタリアの方が先を行っているんです。舐めちゃいけません。
Syn1
- レスありがとうございます
日本ももう少し前に爆撃機を作っていたら三発機になっていた可能性がある
というのは確かにそうですね(大航続力を求めるなら四発機かも)
しかしSM.79はともかくZ.1007やSM.84まで三発を続けたのは、その時期に
大出力エンジンの実用化・量産化で日本より遅れていたという証拠ではないでしょうか?
カタカナ提督
- >3.
SM84はSM79のシリーズですし、SM79が三発機として一応の成功を収めている以上、その後釜を狙うなら同じ三発でパワーアップするのが手堅い手法でしょう。Z.1007は「先にSM79が存在したから三発機形式に引きずられた」だけ、と私は見ています。先に例に挙げたBR.20とZ.1007はほぼ同時期の機体です。高出力のエンジンが得られたから双発にしたのがBR.20、三発のまま高出力エンジンを積んだのがZ.1007ではないか、と。BR.20が1,250馬力×2、Z.1007が1,000馬力×3ですから同時期の他国に比べて劣ってはいません。まぁ、額面通りの馬力が出てるかどうかは判りませんが(笑)
Syn1
- 他の方も指摘していますがイタリアに大型高出力エンジンが無かったのが「国力・工業力・技術力に劣ったから」としているのは短絡的です。戦前の開発方針に問題があったから、と見るべきです。
伊空軍で3発機が好まれたのは、スペイン内戦ではBR20はあまり活躍できず、SM79の方が高速・頑丈・高性能と好評であったからです。もちろん爆撃機としての3発機の問題点は重々承知で、SM79も双発型が作られ輸出されていますし、最終的には大型エンジンの完成で双発のカントZ1018が作られています。
超音速
- エンジン技術は悪いわけないですよ。悪かったらイタ車がグランプリでドイツ車と喧嘩できません
alphabette
- しかし、イタリアの高出力エンジンは結局、間に合っていない。
エンジン最大出力は同じでも、高度馬力は出ていないとか、やはり問題があったのではないか。
爆撃機ではないですが、フィアットG.50やマッキMC.200は860HPのエンジンで我慢していて、高出力エンジンはドイツのDB601をコピーするしかなかった。
佐貫又男は「三発でなければ、アルプス越えができなかったから」と書いていますね。
じゃま
- 遅くなりましたがレスありがとうございます
技術力や工業力ではなく軍の航空行政指導の失敗だったというのは
考えていませんでしたが確かに可能性が高そうですね
自分も(根拠もソースもない勝手なイメージですが)イタリアの技術力は
日本と比べても決して劣らないと思っていたので不思議だったんです
43年に事実上脱落したことを考えればそれ以降DBのコピーになるのも納得がいきます
降伏前に計画していたイタリア版誉みたいなものは存在しなかったのでしょうか
それとも降伏以前から大馬力発動機の自国開発を事実上放棄して
高性能機はDBのコピーに一本化しようとしていたのでしょうか?
それと最後に実用化された双発爆撃機だったZ.1018はググると41年に
新型の1350hpエンジンに換装されたとありましたが
この時期に爆撃機用の新型空冷エンジンで1350馬力というのは
やはり日本の火星などに比べて微妙に遅れているように思ってしまいます
カタカナ提督
- 1930年代前半までのイタリアはドゥーチェ将軍の空軍理論、シュナイダートロフィー、シカゴ万博会場まで大編隊で飛来したサヴォイアS55X飛行艇、マッキMC72での速度記録など世界トップレベルの技術力を誇っていました。ここまではおそらく質問者様もご承知でしょう。
伊のエンジンの情報については、当ページトップから「参考資料」→「航空機エンジン一覧」を選択してください。各国のエンジンラインナップが見られます。伊のエンジンは火星以上の排気量の空冷エンジンもあるが、過給器が1段1速ばかりで全開高度も低い、圧縮比も低い、排気タービンも水メタもやっていない、将来性といえばせいぜい4バルブ化やDOHCのみ、という事がひと目でわかる資料です。
かつて世界に誇った伊の航空技術力はどこへやら、です。しかしマッキMC72のフィアットAS6エンジンは見る人が見れば、単に大きく作ることによってのみ大出力を得ているだけということがわかります。30年代前半までの時期に伊の航空技術はすでに行き詰っていたのでしょう。であるならば各国が行っていたように新技術に果敢に挑戦しなければならなかったところを、ほとんどその形跡がありません。
41年にカプロニカンピーニN1が飛んでいるので、新技術への挑戦が無かったわけではないでしょうが、開発リソースが何か間違った方向に投入されたように考えられましたので、5.で戦前の開発方針に問題ありとしました。
超音速
- 訂正。水メタ噴射はSM79bisで実用化されておりました。
超音速