974 |
超重爆撃機・富嶽に割り振られた型式番号が「G」10Nなのが気になります。 陸攻を表すGが使われたということはあの巨体で敵艦に雷撃する気があったんでしょうか? それとも、「富嶽の型式番号はG10Nだ」ということ自体がデマなのでしょうか? にわかザ素人 |
- 些か余談ですが。
富嶽の原案であるZ飛行機には、基本型である爆撃機型の他に派生型が幾つか構想されていますが、その中に雷撃機型があります。
T216
- 富嶽の「G10」は根拠がないと思います。
提案者の中島知久平は、かつて海軍の中にいたとき、艦隊決戦における飛行機での雷撃を盛んに提唱し、そのための機体を作ろうとしていた人です。
いろいろな経緯の後にではありますが、中島飛行機が艦攻と陸大攻のメーカーにおさまっていたのも偶然ではないような気がします。当然のように、Z機にも雷撃を想定していたのだろうと思います。
それらとは別に、海軍部内では慣習的に米重爆をも「攻撃機」「大攻」として称した場合もあるにはありました。陸攻という言葉が100%雷撃機能とイコールではないこともあったわけです。
片
- 中島知久平のZ飛行機の計画を読む限り、この飛行機はB-36の発進基地を叩くための長距離爆撃機というコンセプトを最初から最後まで堅持しており、雷撃機や掃射機などの特殊な機種はあくまでも海軍中枢を説得する為の材料であると読むことができます。
中島案原型のZ飛行機構想は基本的にB-36という明確な対抗馬を見据えた戦略爆撃機構想です。
BUN
- 回答ありがとうございます。
皆様のレスを擦り合わせると、雷撃機としての運用も海軍には提示されていた、
しかし中島としてはこれは方便でありあくまで長距離爆撃に専念させるつもりだった、
問題の「G10N」はソースもない完全な与太話、ということですね。
>>2
海軍が米重爆を「攻撃機」「大攻」と呼んでいたのは初耳でした。
それは対艦攻撃のときのみ攻撃機と認識したのではなく、地上への爆撃をしてきた際もそう呼んだのでしょうか?
>>3
富嶽は米本土の工業・政治の中枢を爆撃するためのものとばかり思っていました。
そうではなく、B-36基地を叩くという運用が第一の陸軍の重爆のような性格の機種だったのでしょうか?
にわかザ素人
- 軍令部参謀である高松宮が中島知久平の訪問を受け、説明されたのは、
「19年にはB29、20年には日本攻撃用大攻が米国で多量生産されるだろう。この飛行場を破壊するために日本側も長距離高速爆撃機を用意しなければならない」
という話だったとのことです。
片
- Z飛行機の構想については中島知久平が書き上げた「必勝戦策」にB-36発進基地撃滅のためであるとはっきり書かれています。
このパンフレットを持って陸海軍の有力者との面談、会食を重ねて富嶽計画に持ち込んでいるのですが、そこに付随するメリットとして書かれた雷撃機構想や掃射機構想が珍案として目立つため、そればかりが紹介されて、意外に地味でまともな本質が知られていないということです。
BUN
- 「大攻」という用語については航空本部内でも富嶽は「大攻」として扱われています。他に適当な機種名が無いのです。
BUN