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金星の燃費が、栄との対比でかなり悪い(20%程度劣る)のは何故でしょうか? 当初は、単純に排気量の差(金星32.3L:栄27.9L)かと思いましたが、 過去ログ A2002498.html - Warbirds.jp によると、金星のダウンサイジング版で、栄と同一排気量(28L)の瑞星の燃費も、 栄に対し10%程度劣っていたらしい、とあります。 また、続く十四試艦攻でも、中島が海軍当局の推す火星を排して、自社製の護を 採用した根拠として、排気量の優位(44.9L:42.1L)による発展余地の大きさに加え、 燃費でも優位に立つことを挙げており、実際に火星に換装した天山一二型の航続距離は 低下しています。 さらに、後の一七試陸戦でも、金星の18気筒化であるハ43の燃費が、当初見積もりよりも 悪いことが判明し、全面改設計が必要になって開発中止の一因になった(二段過給器装備の 新型誉四二型の搭載を前提に陣風に再編)になったと聞きます。 蛇足ですが、現存していない’06年秋の過去ログにも、金星の燃費は、排気量35.8Lの誉に 総合的には劣るとの記述がありました。 こうしてみると、三菱製の発動機の燃費は、いずれも中島製に劣るように思えてなりません。 気化器や混合比の調整機能か何かで、米国の最新技術を接する機会の多い中島に比べ 劣る部分があったのでしょうか? 2014.7.27.17:15記 NG151/20 |
- 今回の質問の動機の一つとして、零戦だけでなく月光にも金星への発動機換装の構想がありながらも、換装に伴う航続力の低下が受容できず実現しなかった(これだけが理由ではありませんが)、という話しを見聞していたからでした。
その結果月光は、500kmそこそこの低速のままB-29迎撃戦に参加せざるを得ず、キ45系と比べても充分な戦果を挙げられずに終わっています。
もちろん戦局全般への影響は限られていますが、金星の燃費がもっと良かったら、改善されていたら金星への換装がより進み、もう少しはマシな結果になったのではとの思いがあり、金星の燃費が悪い理由を知りたいのです。
NG151/20
- 零戦の金星換装検討が見送られた理由はちゃんと残っていて、
(イ) 金星装備により機体補強せざるものは航続力四割減且強度6Gにして実用価値なく之を考慮せず
(ロ) 同補強せるものは航続力二割減 速力12ノット増となる
(ハ) ロ項は翼面荷重134程度にて甲戦として使用し得るも雷電に比し性能下る
(ニ) 直に改造に着手するも十九年度夏頃に生産の見込つく程度
(ホ) 今より発動せば雷電増産にて三菱の零戦予定分は補い得
(ヘ) 十七試艦戦出現(二十年初)迄は艦戦として必要につき中島社生産分は現状のまま進む
機体の生産縮小、中止が見込まれていたので時間を掛けて改設計する必要がない、というのが結論です。
月光についても状況は同じようなものです。
水平最大速度が460km/h台(507km/hは十三試双戦時代の数値を流用したもの)にまで低下している月光の性能向上を図るより、銀河ベースの新夜戦を作る方が効率が良く、しかも銀河ベースの夜戦では誉の節約のための策である火星換装が実施されています。
栄系統と金星系統の燃料所費の違いは排気量が大きい事と、第二に燃焼室形状などで栄が燃費に関して優れた特性を持っていたことが挙げられると思いますが、問題の本質は金星の燃費が悪いのではなく、金星の燃費に対応していない機体の首をすげ変える作業は生産計画と睨み合わせると手間の割には実りが少ない、ということでしょう。
BUN
- 2.のBUN氏のご回答にて、長らく思っていた川西製の白光生産理由の疑問が氷解しました。ありがとうございます。
はらしろ
- 天山は、一二型になって水メタ分だけ燃料槽が減積されており、燃料搭載量が同等の場合には一二型の方が航続力が出ていたのではないかと思うのですが、どうなんでしょう?
片
- 昭和20年7月作成の性能要目表で天山一一型と天山一二型を比較すると180kt/高度4000mでの時間あたり燃料消費は一一型で165リットル、一二型で155リットルと、護より火星の方が若干良好ですね。
光人社「図解・軍用機シリーズ」などに掲載されている取扱説明書から転記された航続力は一一型と一二型で機体の状態が異なっているので、参考になりません。
BUN
- 「図解・軍用機シリーズ」の一一型は燃料を1336リットル搭載した雷撃過荷重の値、一二型は803リットル搭載した雷撃正規状態です。
BUN
- 19年4月調の性能表でも、
天山一一型 正規790浬/過荷1457浬
天山一二型 正規934浬/過荷1644浬
で、火星が燃費的に不利という感じはありません。
むしろどう考えても火星の方が優れているようです。
瑞星と栄の場合は、小ぶりに見える瑞星が実は栄よりも若干重くしかし出力が若干小さいとうことから来る飛行性能上の不利も含めて考えた方が良いように思います。
単純にエンジンの中での燃焼条件のことだけでなく。
片
- そもそも天山一一型の正規と、一二型の正規は燃料搭載量がそれぞれ、724リットル、803リットルと、違うんじゃないでしょうか。
BUN
- 皆様、ご回答ありがとうございます。
逐次私見を返信させていただきます。
>2、BUN様
ご紹介いただいた経緯は、ある程度承知していました。
文脈から拝察して、ここで検討の対象になっているのは、金星50系ですね。栄20系に対して出力で15%UPの170馬力増も、航続力20%ダウンでは、まだソロモン戦域で戦っていた海軍としては、発動機換装のメリットに乏しく、不採用としたのは妥当な判断でしょう。
また(ヘ)を拝読して、中島で零戦21型の生産が、19年までだらだら続いた理由も得心が行きました。さらに
>金星の燃費に対応していない機体の首をすげ変える作業は
>生産計画と睨み合わせると手間の割には実りが少ない、
で、逆説的に九九式艦爆22型が実現した理由も理解できました。
問題は、肝腎の後継機の開発が遅れに遅れる中、遅延に対する備え、次善の策が海軍当局になかったことにあります。減産・中止のはずの零戦の生産が19年にピークになる中で、金星60系なり、栄30系への発動機換装が実現できなかったこと。その間に栄そのものも陳腐化して減産・中止の流れが明らかなのに金星への換装の着手が遅れて、結局53型以降の零戦の馬力向上型が実戦に間に合わせられなかった、という失態があります。
この点では、ハ45の供給をキ84に一点集中させ、既存機は既存の発動機の改良型の生産で忍ぶという、後のハイローミックスにも通じる生産計画を立てていた陸軍に一日の長があります。一例としてハ115-IIに換装したキ43-IIIを立川での転換生産に委ね1500機、キ93完成までの間キ102を「拙速的に推進」させて200余機を実戦に参加させた実績が挙げられます。
石川島製栄の重大トラブルという想定外の事態があったのは承知していますが、戦争はあくまで結果責任であり海軍当局の失政は批判されるべきでしょう。
本当は、金星の燃費の劣勢ひいては三菱製、中島製発動機の優劣とその理由、背景に主たる関心があるのですが、BUN様からいただいた情報への回答を優先させました。
実はこれから出勤(日曜なのに-泣-)、夜勤となる見通しなので続きは火曜日以降の予定です。
本信を含む返信の遅延お詫び申し上げます。
2014.8.3.11:50記
NG151/20拝
- 私の書き方が悪いようでごめんなさい。
昭和18年秋に問題になっている金星は「金星発動機五〇型改」すなわち金星六〇型(六〇番台シリーズの総称)です。
そして中島での二一型の製造が昭和18年度一杯続いた主な理由は昭和17年のガダルカナル戦開始時に起きた航続力問題で次年度の中島での生産を二一型とした為です。大量生産されている機体を変更することは大変だということです。
そして九九艦爆二二型という機体は開戦時に十三試艦爆の量産開始が遅れることが明らかになった為に現行機の性能向上型に量産が命じられたものです。
後から眺めて実用可能で適切な発動機の選定というパズルの解き方を云々するよりも、十五試ル号の誉がどうして十二試や十三試じゃなかったのか、昭和13年、栄の耐久試験合格時になぜ発展型への着手がなされなかったのか、を考えてみた方がきっと実りがあると思います。
日本陸海軍機の性能面での劣勢の源はそこにあるからです。
BUN
- 皆様へ
返信遅れて申し訳ありません。
結局、帰宅は土曜の夜となりました。
>10、BUN様
ご指摘ありがとうございます。
>私の書き方が悪いようでごめんなさい。
いいえ、私の読解力、知見の不足に主たる原因があります。
>昭和18年秋に問題になっている金星は「金星発動機五〇型改」
零戦への金星搭載構想は、3回(設計当初を入れれば4回)あり、BUN様が言及されていたのは、昭和18年の二度目の換装検討、対象機種は52型でした。これを私は、検討時期17年頃、対象を22型と誤認していたものです(下記の九九式22型の就役時期にも影響されています)。
間違えた原因は、
>(ハ) ロ項は翼面荷重134程度にて甲戦として使用し得るも雷電に比し性能下る
で、換装機の重量を2800kg台と推測したからでした。他の項目を精読すれば18年でないと辻褄があわないことに気が付きます。
≪参考≫
零式艦上戦闘機の派生型
金星搭載の経緯
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F%E3%81%AE%E6%B4%BE%E7%94%9F%E5%9E%8B#.E9.87.91.E6.98.9F.E6.90.AD.E8.BC.89.E3.81.AE.E7.B5.8C.E7.B7.AF
>中島での二一型の製造が昭和18年度一杯続いた主な理由は
これに関しても、直近の874でBUN様より詳細な解説がなされていました。
>昭和18年後半から中島でも五二型の製造が準備され、生産も始まりますが(同上)
>九九艦爆二二型という機体は(中略)現行機の性能向上型に量産が命じられたものです。
当初から金星搭載機のアップデートなので、すんなり量産が進んだ(18年初から配備開始)ということですね。
>十五試ル号の誉がどうして十二試や十三試じゃなかったのか、
>昭和13年、栄の耐久試験合格時になぜ発展型への着手がなされなかったのか、
>を考えてみた方がきっと実りがあると思います。
ご指摘重く受け止めます。
十三試といえば、ヘ号(火星)か、ホ号(アツタ)で、日本では出力増よりも前面投影面積の縮小や紡錘形理論への志向が主流になっていた時期ですね。
同時期米国では、R2800の開発開始が1937年、搭載したF4Uの初飛行が40年なので、そこから差がついたということですね。
2014.8.10.15:15記
NG151/20