372 キ64が実用化されるまでには、何がどれだけ足りなかったのでしょうか?
キ64愛好会

  1. とりあえずキ64の実用性が足りなかったんじゃないかな。
    KZ

  2. 昭和15年にDB601をタンデム双発にして2000馬力の単座戦闘機を得ようとした計画がキ64です。計画の当初こそDB601を搭載する三種の戦闘機計画の中で頂点に位置する高性能機でしたが、昭和16年1月に試作発注されていざ手をつけようとした時期には戦時大量生産の観点から複雑高価な水冷発動機を2基使う双発戦闘機を大量配備することは効率が悪く、しかもあれこれやっている内に国産2000馬力級の空冷発動機の見通しが立ってしまい、タンデム双発案はますます色褪せて優先度が下がり、研究機扱いされたまま終わります。計画上はDB601の性能向上型をタンデム双発にすることで更に高性能となり実用機としての価値があるとされてはいましたが、具体的な動きはありません。

    初飛行したキ64が実用機に向かって進もうとした時、一番足りなかったものは陸軍の期待なのでしょう。
    BUN

  3. 戦後のアメリカの評価はいいみたいだけど、
    蒸気冷却が実戦機としてどれだけ使えるのか不明。
    翼に二門と武装が貧弱、燃料タンクを減らして外側に追加装備出来るかどうか。
    モーターカノンも無理、機首上部に装備するなら燃料減らすしかない。
    航続距離が短い、落下タンクがいるね。
    KZ

  4. 16年1月に「航技秘97号」で試作発注されたキ64は翼内武装が20o×2 13mm×2という当時の陸軍単座戦闘機の水準を超えた双発複座戦闘機並みの重武装で、航続力も通常で2時間半、満載で3時間(巡航時の燃料消費160リットル/hでの推算値)で計画されていて、その性能を実現できれば十分に有力な戦闘機となるはずでした。
    ですから16年12月5日の航空技術研究所関係の文書には川崎航空機の計画科の人員配置が記載されていますが、27人の科員の配分はキ45改 1人、キ66 8人、キ61 4人、キ45 3人に対してキ64は 8人が割り振られ残りは特殊研究に回っています。かなり力の入った計画だったことがわかります。

    ところが、その直後の12月10日には「キ64は遅れても良い。キ64の初めの2機は実験機とする」と決議されてしまいます。
    この間に挟まるのが大東亜戦争の開戦です。

    試作戦闘機とはいえ実用機の計画ですから着手する際に計画性能の検討はなされていますのでキ64に対して性能上の問題点は指摘さてていません。陸軍の発注そのものがそうした要目なのです。
    この頃、キ60、キ61も計画統合が決まり、キ61をキ60として継続するという決定も下りますが、川崎が手をつけていた試作機種を絞り込む動きの一つとして、複雑で手間の掛る「キ64は遅れても良い」という優先度の低下があったと読むことができます。

    BUN


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