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真珠湾攻撃の直前12月頃の仏印のフランス軍は、ビシー政権の命令下で動いていたのか、ロンドンの亡命政府の側にいたのかよく分りません。日本軍の駐留を認めていたので、前者の様にも思えるのですが? 恩暢 |
- 基本的にはヴィシーの下です。
片
- 仏領インドシナ、フランス領インドシナなどで検索すると最初の検索ページにウイキペディアのページがでてきます。日付などで参考にしてみてください。
ピンチ
- フランス領インドシナ総督ジャン・ドクー(Jean Decoux)は、1940年6月20日(6月16日のペタン政権成立、翌17日にフランス降伏の直後)に、総督に任命され、以後もビシー政府の指示にしたがっています。
なお、ここは航空機関係のセクションですので、このような質問は今後「戦史・歴史」のセクションにお願いします。
カンタニャック
- 無理やり航空機関係と関連付けますと、フランス空軍史というサイトに仏印の植民地政府の航空兵力規模や日本軍との小規模な航空戦などが載っています。
ピンチ
- 回当有難う。当時の日本軍とフランス軍の航空兵力も知りたかったので、このセクショに質問しましたが、肝心の航空兵力の質問を失念してしまいました。いずれにしても丁寧な回当感謝します。
恩暢
- 了解いたしました。
カンタニャック