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零観でf4fなどを撃墜した話は聞きますが、99艦爆で戦闘機を撃墜した勇士はおられるのでしょうか? モッチィー |
- 例えば、アジ歴の戦闘詳報等を丹念に調べたらいかがでしょうか。ここの、『戦史・歴史』のNo51.のような記録まで探せます。
というか、最低でも世傑とか、丸メカくらいは調べてみては如何? 丸メカの彗星の搭乗員回想録に、『前方銃がある機体だったら云々』という、敵戦闘機に対する想いを書かれているものもありますよ。
「九九式艦上爆撃機 敵戦闘機 撃墜」で検索しただけでも、例えばこんな記事がヒットします。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1142928606
TOSHI!!
- 相手側の記録と合致してるのはどの程度なのか?
が質問者の本意ではないかと?
wittmann
- 提示した記事の中に、『染谷飛曹長』という方の記録が出ています。
(一番下の記事ですが)
それをキーワードで辿ると、Wiki(!!)のラバウル航空隊の記録に辿りつきます。
そして、1942年の(10月中旬 1航戦、2航戦、ラバウル近海進出)の項に、
「雑誌 丸 艦爆隊の軽業師染谷飛曹長、 ラバウル海軍航空隊、 機動部隊の栄光」という記述が見つかりますね。
これを手掛かりにアジ歴を探せば、ということなのですが…
このくらい自力でできないと、ココではなかなか通用しない(相手にされない)質問ではないかと。
TOSHI!!
- それをいうなら染矢岩夫上飛曹でしょう。
「染谷飛曹長」で「戦闘詳報」を探しても無駄なだけです。
ご自身きちんと調べてから解答すれば、無用なミスリーディングも防げるのではないかと愚考する次第です。
片
- >5.
相済みませぬ。個人としては関心がない事項のもので、Wikiの記述をそのまま載せました。
「丸」の古い記事の時点で間違っていたのですね。
TOSHI!!
- 翔鶴の飛行機隊戦闘行動調書「アジ歴(リファレンスコード:C08051577100)昭和16年12月〜昭和18年11月 翔鶴飛行機隊戦闘行動調書(1)」の2ページ目の下の方の塙・早坂ペアの九九艦爆ですが効果(戦果)欄に“其他小型一機撃墜”とあり、P−40ではないかと言われています。
(尤も、日本側の記録なのですけどね)
伸
- そもそも2010年10月20日現在、航空隊の戦闘詳報は未公開ですね。
質問者の方にできないことを強いてはいけません。
BUN
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- すみません。
8で文字化けしてしまいました。
もう一度、書き込みます。
「艦爆隊長の戦訓」阿部善朗著 光人社NF文庫
の118頁に
>「われ、敵戦闘機と交戦中」。発信者不明であったが、まもなく「われ、敵戦一機撃墜せり、帰途につく」で杉江機であることがわかった。
>二十一歳のパイロット岡田君が、歓喜に頬を紅潮させているにちがいない。このペアは第一中隊の最年少組で初陣であり、一八機を十一に
>削って編成するとき、加えるか、おろすか私が迷った組である。私は雲下を飛びながら、「岡田君、でかしたぞ」と誉めてやりたいほどであった。
との記述があります。
これは昭和17年6月5日のダッチハーバー攻撃時のものです。
本名が阿部善次の著者は、海兵64期です。
真珠湾攻撃では、赤城の第二波の艦爆第二中隊長です。
参考にしてください。
ちょん太
- 簡単に閲覧できる日本側一次資料としては、アジ歴の飛行機隊戦闘行動調書ですかね。
アジ歴のTOPの資料の閲覧→階層検索→防衛省防衛研究所→海軍一般資料→航空部隊→行動調書と進んでいけば一覧が表示されるので、そこから九九艦爆を載せていたであろう母艦航空隊を選んで調べていけば、色々と出てくるのではないでしょうか。
例えば、>9で挙げられている件は、「昭和17年6月〜昭和18年1月 隼鷹飛行機隊戦闘行動調査(1)」(リファレンスコード:C08051583400)の17〜19ページに載っています。
因みに、行動調書を読むと、戦闘機を撃墜した岡田・杉江ペアは自爆戦死となっていますね。
ただ、注意して欲しいのは、行動調書はあくまでも日本側一次資料なので、相手側と突き合わせたものでは無く、実際の戦果が正しいか否かは定かではない事です。
伸
- >戦闘機を撃墜した岡田・杉江ペアは自爆戦死となっていますね。
そうですね。自爆戦死ですね。
本題の趣旨から外れて恐縮ですが。
上述の本では、その後の経過として次のように記されています。
>しばらくして、「われ、交戦中被弾、受信不能なり」と杉江機が発信した。
>杉江は第二中隊長のグループと離れて単独でさ迷っているらしい。
中略:阿部隊長は着艦後電信室にかけこむ。
>「方位を測定す。長波を発信せよ」が、これが杉江には聞こえない、受
>信機をやられているのである。悔しくてならぬ。
中略
>「艦影を見ず、われ二百度に反転す。探照灯を点ぜられたし」とっぷり
>とくれた洋上に母艦を見つけようと、必死に頑張っているふたりの血の
>にじみ出るような叫びである。
中略 : 第二機動部隊は敵機の電波を捕捉し、敵機接近中を知る。
>やがて旗艦から、「貴官の苦哀を察するも、探照灯を点じありと杉江機
>に伝えよ」と、言ってきた。
>敵重爆が上空に迫っている灯火戦闘管制だ、明かりは絶対漏らしてはな
>らぬぞ、だが杉江には探照灯を照射していると嘘を言え、ということで
>ある。私は眼をとじて、「貴官の苦哀を察すると」を繰り返した。閉じ
>瞼から熱いものが頬をつたう。角田もやはり人間であった。
>「他に帰らざる機ありや」杉江からである。
>同じ運命にあるかも知れぬ戦友を思うふたり。「陛下の飛行機を失いま
>ことに申し訳なし」自分らの状況を理解し、従容と死につく覚悟のでき
>た彼らは、すっかり落ち着いている。電信室にかたまっていた隊員は、
>みなワッとその場に泣き伏した。若いふたりが人事の限りをつくし得た
>いう心境になったことが、いっそうわたしの胸をかきむしった。
以降省略
ちょん太