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既出でしたらごめんなさい。 もしも三式戦I型が最初から、空冷エンジンに換装していたら、どの程度の戦闘機となっていたんでしょうか。最高速度、武装、稼働率、そして現場での信頼性は期待できるでしょうか。 M |
- その場合、陸軍が液冷エンジンに関して完全に見切りをつけ、開発そのものを諦めた場合となります。
そうするとキ61と同時期の空冷機計画はキ62です。
キ62は史実ではキ43IIに読み替えとなっていますので、この場合は単に隼2型となっていると思われます。
ハ40の不良続出で工場から出荷できなかった場合はむしろ1型を諦め、ハ140の量産に全てを賭けるのではないのでしょうか。
空冷機は既に機関砲搭載型の隼2型があるのですから。
それにキ100の参考とされたFw190の日本到着は1943年。
そうすると空冷換装が考えられ実行に移されたとしてそれが現場に出てくるのはおそらく1944年以降、3式戦2型と同時期となります。
P-kun
- (1)「三式戦I型が最初から、空冷エンジン」
なのか、
(2)「三式戦I型が空冷エンジンに換装」
なのかで何かが違ってくるように思いますね。
使用発動機とその馬力は決定的に違うはずです。
(1)陸軍は、満州事変で中島九一戦の充足が間に合わず川崎九二戦を投入した経験から、中島一社への単座戦闘機集中を避けようとしており、水冷発動機が全滅している状況だったとしても、中島製単戦とは別に川崎への試作発注は行われていたかも知れません。その時点で有望な発動機はなんだろう、というところですね。
(2)この場合はキ46IIIなどと時期的に重なってきますから、最初からハ一一二ということになるのではないかと思います。ただし、初期の試作機はハ一一二Iなのでしょうが。
片
- ここから先は議論ボードでやりましょうか。
(1)キー28がキー27と共に採用されていたら。
(2)ハ一一二搭載の三式戦I型が誕生していたら。
M
- (1)については、同時二機種採用よりも、一方を半テンポ遅らせた開発スケジュールにしておけば性能向上の間隙をうまく埋められる、という判断がなされています。
したがって、「最初から空冷」キ61が存在できるのは、栄以上誉未満という空冷エンジンを用意できるときだけなのではないかという気もします。
現実にはそこにうまくあてはまったのがハ40だったのであり、ほかに適当な空冷エンジンというとハ109とかハ101くらいしか見当たりません。ハ109搭載機はキ44ですし、ハ101はキ65です。やはり、陸軍が金星を採用するつもりになってくれる時期までは空冷キ61は出現が難しそうです。
片
- 昭和14年に陸軍航技研に対して土井技師、井町技師が行った説明では、重戦闘機を「キ28の脚を内側に引込んだもの」、軽戦闘機を「キ10の性能向上第三案を基礎としたもの」としています。
軽戦闘機計画に対する説明の中には水冷発動機を使うのであれば重量の問題から複葉にせざるを得ない。低翼(単葉)の場合は空冷も考えられるといった内容が見られます。
もともとDB601の入手を見込んだ計画でしたから陸軍としては空冷化する価値を見出していませんが、軽戦闘機計画の目標性能は480km〜500kmなので、複葉水冷案より高速になるだろう低翼単葉空冷案は上限の500km前後と計算されていたように思えます。
では昭和14年後半に新戦闘機計画に使われる空冷発動機は何なのかを考えると、ハ20(キ43で軽量化テーマの換装計画に上がった)、ハ105、ハ102(それぞれ二速過給器装着)といったものになるでしょう。
BUN
- ああ、ハ102でスタートしてやがて性向時にハ112が出てきている、というのはありそうな話のようにも思えてきました。
片
- 「性向時」?
(ハ102の開発の)成功時でしょうか、性能向上時でしょうか?
ぎゃる
- 「性能向上時」の略ですが、一般的な意味で「性能が向上した時」ではなく、
「陸軍が性能向上を期した新しい型式を計画した時」という意味になります。
「キ44性向」が後に「キ44II」になる、といったように使われていた陸軍内の用語です。(たしかにちょっと解りにくい、と思います。)
BUN