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5172 第2次大戦が始まるまでに飛行機の構造は全金属製に更新されて行きましたが、大戦が始まってからも木製の飛行機が戦場に登場していました。木製機は金属製機よりも資材調達の面で有利なのは理解できますが、その他に金属製よりも有利な点はありますか?また、木製にすることでどうしても金属製よりも性能などで不利になる点はありますか?金属製の方がどうしても優れていると思いますが、モスキートみたいな例外もありますしね
爆笑愚連隊

  1. 生産面からすれば、資材調達に限らず、人的資源や設備の点でも金属製機とはかぶりません。
    また、従来からある木工場や木工職を部品下請に転用することも可能です。
    例えば、家具職人や建具屋、大工、ピアノ職人、それらの工場(「こうじょう」というより「こうば」)を木製機製作のために転用するという例はよく見られるものです。

    金属製機に比べてどうしても劣るのは耐久性、特に耐侯性です。
    木材には腐朽しやすい点、吸湿(乾燥)して膨張(収縮)する点があり、雨や日光で機体が劣化しやすいのです。
    もちろん、これを防ぐのに防腐剤を使うとか樹脂塗装をするとか対策もしますが、SM.85の外板が地中海の島の基地で潮風と日光に晒されて反り返ってはがれてきたとか、インド〜ビルマ方面に展開したモスキートにキノコが生えたとか、どうしても条件が厳しい地域ではつらいものがありますし、また特に気候が厳しくはなくても同条件で比べれば寿命は金属製機より短くなりがちです。

    また、絶対的な強度が低いため、構造重量が嵩んでしまい、同じくらいの外形寸法の金属製機に比べてどうしても重い機体になります。
    木製機の方が性能が劣るものになりやすいのは主にこのせいで、同じエンジンを使うとすれば、金属製機の方に設計ミスがない限りは金属製機の方がずっと有利です。
    同一エンジン同級寸法で飛行性能で遜色がない機体に仕上げようとすると、木製機の方は航続距離を減らすとか、武装を軽くするなど、何らかのペナルティを払う必要があります。
    モスキートの場合にもマジックはなく、使う木材に高価なバルサ材を惜しげもなく多用してできる限り軽量化し、その上で翼面積を思い切って減らして機動性と上昇率を犠牲にすることで高速を得ようとしているわけです。
    まなかじ

  2. 1930 年代までの金属機に比べると表面抵抗を減らせる(リベットが突出しない、波打ち現象が出ない、研磨仕上げが使える)利点があり、レーサーにはあえて木製とした機体もありましたが、これも金属機の工作精度の向上、沈頭鋲などの発達によって大差ないものとなりました。
    ささき

  3. >従来からある木工場や木工職を部品下請に転用することも可能です。
    キ84を木製化したキ106の場合では、工場として倉敷紡績高松、王子製紙江別、呉羽紡績富山、などが予定されていたそうです。

    キ106をグーグルで検索するといろいろと情報は出てきますが、その中の黒江少佐のコメントを転載しておきます。

    航空情報36 1954年10月号「陸軍のテストパイロットから見たキ-102・ムスタング・キ-106 黒江保彦 」から 

    キ−106で空中分解寸前

     キ−106は、キ−84を全木製にした機体であった。機体強度を全金属並に保つために、当時の日本技術を以てしては、約2割の重量増加を見込まねばならなかった。このため、武装を20ミリ2門だけに減らしたりして、性能の保持をはかったのであるが、終戦直前、北海道の王子航空が製作した1、2、3号機の初飛行に行って、江別上空でテストを急いでいるとき、飛行試験の全速ダイブで高速を出したら、接着剤の不備から、空中分解一歩前の危い目に遭ったことがある。

     重量の増加は、トップスピード(水平)にほ大きな影響ほないが、上昇力は目に見えで性能低下を感ずる。木製機の場合、機体表面の仕上げは、恰度ピアノの表面の様にピカピカに出来て、それ丈抵抗を減らせることが出来る利点はあったが、何といっても、重いことは機動性を鈍らせて、乗心地はキー84に劣るのは避けられなかった。

    富士見町

  4. ご回答ありがとうございます。やはり日本で木製機が活躍する余地はないんですね。日本海軍は99式艦爆を木製化した機体を開発しようとしていたと聞いたことがありますが、地上からのバックアップや性能面での不利を搭乗員の技量や機数の多さでカバーするといったことが全く期待できない戦争末期では活躍することは困難でしょうね。日本には木材が豊富にあるからもったいないと思いますが
    爆笑愚連隊

  5. >日本には木材が豊富にあるからもったいない
    日本中スギ・ヒノキの材木林だらけになったのは戦後 1950 年代の植林ブーム以降のことで、戦前戦中は事情が違うと思います。
    ささき

  6. 兵器に用いる木材資源という点で、日本国内は戦前の段階で既に枯渇しています。
    それでも手間と予算を余計に費やしながら木製機を作らねばならない事情があったということです。
    BUN

  7. >4
     木材資源は(鋼材がそうだったように)船舶に投入されることで、戦争に役立てられてますし、その結果として国内樹林は丸裸になってます(まあ、これはモスキート作った英国連邦でも深刻でしたが)
     ボーキサイトの代わりに南方占領地の木材を(現代のように)輸送する羽目になったかもしれません。
    SUDO


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