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5079 旧日本陸軍戦闘機について質問いたします。
同海軍では、用兵上必要として「局地戦闘機(intercepter)」を開発し、そのジャンルを早くから確立しておりますが、陸軍では為されておりません。
この用途に適した既存機を単座、複座問わず改造して用いる事はあれど、5式までに到る全ては戦闘機の本流である戦術戦闘機(米空軍がF−15のE型以外の型を指すtactical fighter)として開発されているように見えます。
対重爆撃機用の武装強化型はラインナップすれど、基本設計から生粋のインターセプターとして開発される機が、B−29の脅威が具体化する42年暮まで一切無いのは如何なる理由からでしょうか。
これは一連の陸軍戦闘機が現在のF−15の様に比較的万能で、海軍艦上戦闘機より用兵的に融通が利いたという事なのでしょうか。
また、例えばB−17対策の研究がされていたり、現場からインターセプター開発要請などはあったのか等、質問の根幹に付随する事項があれば、それについても併せてご教授いただければ幸いです。
DDかず

  1. 「主として敵爆撃機の攻撃及び軽単座戦闘機との協同戦闘に用う」目的の重単座戦闘機はまさに邀撃機の能力を求めた機種です。大航続距離の要求は航空撃滅戦を重視したことの反映ですが、これは海軍の局地戦闘機も同様です。爆撃機の邀撃に任務を絞り込む傾向のあった初期の海軍局地戦闘機構想の方が過渡期の発想と言えます。
    BUN

  2. 私に二式単戦はintercepterにしか見えませんが、いかがでしょうか? この時期の海軍にはこれほど特化したintercepterは無いようにも思えますが
    わんける

  3. >2
    二式単戦は空戦フラップ付で、「高速戦闘機」Me109と模擬空戦を行ったりもしていますよ。


  4. 一方で、海軍十四試局戦は、操縦席まで胴体に埋め込みにして空戦視界もあまりなくてよい、という極端な設計方針でスタートしています。
    審査中に方針の揺れ戻しがあり、戦闘機ともある程度戦えるような形に整えようと四苦八苦したのは周知の通りです。


  5. >#2 わんけるさん
    >私に二式単戦はintercepterにしか見えませんが

     具体的に、どのような箇所でしょうか?
    セミララ

  6.  皆さん、ありがとうございます。

    >1
     以下の様に解釈いたしました。
     全体の流れとして戦闘機の世界標準はエンジンの高出力化=高速重武装化の一途で、敵航空勢力排除に於いて万能化が進んでいるのは間違いなく、旧日本陸海軍ともそれに逆らう事無く開発を進めている。
     昭和12年時点で世界標準に対する日本の回答が陸軍はキ−44(重単座戦闘機)、海軍が12試艦上戦闘機である。これらは対空万能に加えて前者は広大な空域下の自軍に航空優性を保障し得る行動半径を持ち、後者はCAPを効率良くこなす為の滞空時間を持っている。
     昭和14年時点で海軍は、近い将来12試艦戦の飛行性能では対重爆撃機防空能力が相対的に不足すると予測し、その能力を埋める為に14試局地戦闘機を企図した。対して出力に余裕があるキ−44は依然として対空万能であり、後の3型計画を経て後継機の4式戦闘機へと万能戦闘機の流れが繋がっていく。
     いかがでしょうか。

     また解釈を進めたところ、紫電の位置付けが不可解となりました。
     紫電は2式単戦、4式戦と似た戦闘機という事になりますが、次期艦戦と仕様が近いものとなりそうな川西側の局戦企画を、なぜあの時期に試作許可したのでしょうか。
    DDかず

  7. 私も二式単戦はインターセプターだと思います。
    陸軍には軽戦、重戦という区分がありますが、二式単戦は間違いなく重戦ですし、当時としては高出力の爆撃機の発動機を使ったことからもそれが伺えるかと。
    戦中・戦後・開発時の評価位置では迎撃機と見られにくいのでしょうが、ドゥーリットル爆撃を受けて、南方に展開していた独立47戦隊(キ-44装備)を首都防衛のために日本に呼び戻したのがそれを証明しているかと。
    ある意味結果論ですけどね。当時の評価としてはあくまでも速度+火力重視の重戦という位置づけなのでしょうが。


    >昭和14年時点で海軍は、近い将来12試艦戦の飛行性能では
    >対重爆撃機防空能力が相対的に不足すると予測

    十四試の開発契機は昭和13年の南京爆撃以降ですよね。
    設計仕様案が出るのが遅れたのは前例のない機種だったことに由来していたはず。

    >紫電の位置付け
    雷電の実用化に目安がつかなかったのが原因で、海軍としては一刻も早く局戦が欲しかったということの表れではないですか。
    雷電の代案はないか?と模索していて強風の改良を思いついた。そういう流れだったと記憶していますが、、。
    あっしぃー

  8. 片様、セミララ様
    考えてみたら鍾馗と雷電の開発時期は同じくらいでしたね。 実用化時期と勘違いしました。海軍云々は取り消させてください。
    intercepterの件ですが、キ四三でさえ制式化が危うかった当時の陸軍で足の短い重戦を制式化したのは局地戦としての使用を考えてとしか思えなかったからです。 この当時の大陸の基地で迎撃すべき対象は最大ではB17でしょうが、中・小型機も多いと想像していました。 なにしろ大戦初期、あるいは開戦前ですから。 そこで、足は短くても重武装(隼に比べてですが)で上昇力に優れ、やって来る敵機(重爆とは限らない)を迎撃(intercept)できる機体としてキ四四が制式化されたんだろうな〜と考えていました。 キ四四が対重爆用に特化して開発された機体とは思っておりませんが、邀撃を重要な目的として制式化された機体だとは考えております。
    話題をそらせてしまって申し訳ありませんでした。

    わんける

  9. >#7 あっしぃーさん
    >陸軍には軽戦、重戦という区分がありますが、二式単戦は間違いなく重戦ですし、

     重戦=インターセプターではありませんよ

    >当時としては高出力の爆撃機の発動機を使ったことからもそれが伺えるかと

     「このようなエンジンを使うと、インターセプターになる」と、あなたは何故、そう考えるのでしょうか?


    >#8 わんけるさん
    >キ四三でさえ制式化が危うかった

     これはただ単に、要求を満たすには速度が低すぎた、という事ではないでしょうか?

    >足の短い重戦

     重戦=短航続距離  軽戦=長航続距離  という訳ではないですよね
    セミララ

  10. 重要なのは、一般的な戦闘機とは分離して「インターセプター」を作ろうという発想は日本陸軍にはなく、海軍にあった、ということなのだと思います。
    日本海軍は、第一次世界大戦英軍の飛行船邀撃からインターセプターを発想し、かなり早くから構想を抱いています。
    そのような視点から見る限りにおいては、海軍で使われていた「インターセプター」という用語をそのまま陸軍機にまで延長するのはどこか何かが違う、ということになってしまうでしょう。


  11. >#9セミララさん

    >重戦=インターセプターではありませんよ

    理解しているつもりですよ。

    系統を考えるなら、陸軍にも海軍の艦戦・局戦という区分のような軽戦(軽戦格闘戦能力を重視した戦闘機)・重戦(速度と火力を重視した戦闘機
    )という区分があるので、まずはそこから考えるのが妥当と思ったまでです。

    軍隊という組織の中でインターセプターを定義する場合、機体の固有性能だけで区分しないので、日本陸軍の区分としては誰がなんと言おうが二式単戦は重戦でしょう。
    しかし、使用実績や機体固有の特性といった一般的視野から見れば、インターセプターに区分できるのでは?というのが私の見方です。

    あまたの戦史を見れば設計思想や目的と違った形で使用され実績を残した機体は多数あることを考えれば、実質的にはインターセプターと考えてもいいということです。

    >「このようなエンジンを使うと、インターセプターになる」と、
    >あなたは何故、そう考えるのでしょうか?

    言葉たらずでしたが、二式単戦は大馬力の発動機をつんだだけではなく、極端に翼幅を小さくした特徴もあり、当時としてはかなり特異な設計がなされています。初期設計では垂直尾翼も実用機より前に配置して、機体(表面積)を小さくして、高速性を追求していたとも記憶してます。
    (射撃時の安定性向上のために結局実用機の形状になった)

    つまり、、こういった設計が広い意味でのインターセプタ−としての特徴を備えていると、私は見ているのです。
    設計者の糸川氏自身もキ-44が早く完成してればもう少しB-17やB-29を落とせただろうし「当時陸軍で爆撃機を迎撃できたのはキ-44ぐらいしか無かった」と戦後語っている点からも、二式単戦は広義ではインターセプターだと思えるのです。

    言ってしまえば、#10で片がおっしゃられていることが全てだと思います。

    あっしぃー

  12. 失礼しました。
    いつもお世話になっている片さんのこと呼び捨てにしてしまいました``r(・_・;)


    あっしぃー

  13. >7
    ありがとうございます。
    私には「空母から降ろされた艦戦」的局地戦闘機が、あの時期それほど必要とされたのか、今一つ腑に落ちないのです。
    DDかず

  14. >#13 DDかずさん

    当時各地にあった前線の飛行場を防衛するために必要だったのではないですか。
    飛行場を防衛するには敵の接近を早急に察知して、迎撃する必要がありますが、当時の日本軍は早期警戒網が脆弱で敵を発見してから飛び立っても間に合わないのが通例だったはずです。

    そんな状況で求めれるのは高速かつ上昇力の良い機体で、一刻も早く離陸後上昇して接敵ないし有利な空戦高度を確保するためには、局戦が必要だったわけです。
    そういう面で当時零戦は既に有効な迎撃戦闘機としてあまり効果を上げていなかったのですね。

    >「空母から降ろされた艦戦」
    強風のことでしょうか?
    初めから局戦として計画設計された十四試(後の雷電)はそうではないですよね。
    設計要求を見れば一目瞭然です。機体寸法について厳しい要求はないですからね。空母に搭載することを考えていれば当然寸法制限があるはずです。
    あっしぃー

  15. >#11 あっしぃーさん
    >使用実績や機体固有の特性といった一般的視野から見れば、インターセプターに区分できるのでは?

     私には、使用実績や機体固有の特性から、インターセプターだと思う事ができないのですが・・・
     どのような使用実績や機体固有の特性が、インターセプターなのでしょうか?

    >広い意味でのインターセプタ−としての特徴を備えている

     どんな特徴がインターセプターなのですか? 教えて下さい
    セミララ

  16. >14
    「空母から降ろされた艦戦」的局地戦闘機とは、川西が海軍に打診した強風陸上機化案の事です。
     14試局戦が進まぬ状況ではありますが、昭和16年末に藁をも掴む勢いで飛びつかねばならなかった理由は何だったのか、という事です。海軍内で既に構想がある次期艦上戦闘機と、性格が近いものになりそうな川西案を、です。
    DDかず

  17. セミララさん

    >私には、使用実績や機体固有の特性から、インターセプターだと思う事ができないのですが・・・
    >どのような使用実績や機体固有の特性が、インターセプターなのでしょうか?

    個人的見解の違いでですよ。
    とりあえず独立47戦隊を呼び戻したと書きましたよ。

    >どんな特徴がインターセプターなのですか? 教えて下さい
    機体特性を含めて#11に書いたつもりですが。

    DDかずさん
    >海軍内で既に構想がある次期艦上戦闘機と、性格が近いものになりそうな川西案を、です。

    だから、、、雷電の実用化がもたついていたからでしょ。
    ていうか紫電は艦上戦闘機として発注されたんですか?紫電は局戦だと思いますが、、、。
    あっしぃー

  18. 「独立飛行47中隊」は進攻作戦に際して臨時に編成された対高速戦闘機用の制空部隊ですね。
    この部隊の内地への移動はいろいろな背景があり、単純に邀撃専門部隊を引き抜いたという訳ではありません。
    また、その後に二式戦闘機配備を熱望した第四航空軍は敵高速戦闘機に対抗できる制空戦闘機として配備を求めています。更に捷号航空作戦に投入された部隊も邀撃任務ではなく制空任務を補強するために送られています。この戦闘機が制空任務を期待されていたことと相反するような内地周辺での運用実績は、その性能によるところよりも、発動機不調による低い信頼性と前線飛行場での使い難さが主な理由となっているようです。
    それにしても二式戦闘機は本土防空戦に於ける戦果も少なく、邀撃機としてはあまり活躍していない部類の戦闘機ではないでしょうか。

    BUN

  19. 大東亜戦争緒戦の南方侵攻作戦のために一式戦の存在がクローズアップされたのとは逆に、二式単戦は17年後期以降ソ満国境に配備されるようになり、ついで中国戦線で主用されるようになります。その他の配備先といえば、進攻戦の停止したビルマ、パレンバン、そして内地が思い浮かびます。これらのポジションは進攻戦用ではなく、防禦的な使われ方です。これをもって邀撃機であるといえばまさにそのとおりだったといえます。
    しかし、対戦相手は敵爆撃機だけだったかというと、その部分ではNo。置かれていたのは、襲来する敵戦闘機にも立ち向かわなければならない位置でもありました。


  20. ああ、そうですね。中国でも制空任務でした。


  21. 飛行第64戦隊はある時期、可動機の半ばが二式戦闘機で占められる時期もありますが、対爆撃機専用ではなくまさに緒戦の47中隊的な活躍を期待されてのことです。

    独立飛行47中隊はその編成要領から見てもまったくの臨時部隊ですから時期を見て内地に引きあげるのが本来の用法ですし、まったくもって小規模に過ぎるこの部隊を一人前の防空戦隊として活用できるまでにはかなりの増強を必要としています。独立飛行第47中隊が内地に帰還した時期に他の防空任務を帯びた部隊がどんな機種を装備していたかを見れば、二式戦闘機という機種の特性以上に新鋭機材に慣れた優秀な基幹隊員を持つ47中隊が新飛行戦隊の基礎として必要とされていたことが実感できるのではないでしょうか。
    BUN

  22. 昭和19年の教程本の一部です。ちと新しいですが・・・

    単座戦闘機
    いかなる機種よりも速度卓越とす
    性能要求は通常速度、急上昇、急降下、旋回の順序なり
    航続距離は有する手段を講じ其の増大を計り進行戦闘の任務を達成せざるべからず

    まんま二単じゃないですか。
    戦闘機についてかかれているのは単座・複座・多座のみ、これ以外ありません。
    陸軍はこれで制空できるとしていたんですね。

    重戦・軽戦のというのは主力戦闘機・補助戦闘機という意味合いです。
    陸軍の定義でいけば零戦だって重戦なのです。
    もういいかげん海軍の定義を陸軍にあてはめるのは止めましょうよ。
    P-kun

  23. >17
    >だから、、、雷電の実用化がもたついていたからでしょ。
     承知しました。それ以上お尋ねいたしません、ありがとうございました。
    >ていうか紫電は艦上戦闘機として発注されたんですか?紫電は局戦だと思いますが、、、。
     私的には揚げ足を取られているような気がしますが、百歩譲って誤解を与えるような書き込み内容、お詫び申し上げます。
    DDかず

  24. >20
    紫電は川西の自主企画であったかのように述べられることが多いのですが、事実としては「海軍の意志先にありき」だったように思います。

    三菱雷電の計画出発時点で求められていたものは、その先に「推進式局戦研究」(閃電)や「秋水」が存在する、そんなレールの上にあるものだったように思います。
    しかし、13年から14年にかけての性能標準案では、局戦の用途は「敵攻撃機阻止撃破」に絞られていましたが、15年に入ると「1) 敵攻撃機及び敵飛行艇の撃破 2) 敵戦闘機の撃攘」と対戦闘機戦闘能力の要求が追加されます。
    これを受けて、雷電に対してもう1本、対戦闘機戦闘可能な局戦系列のレールを用意するのは、性能標準の内容的推移を考えれば妥当なことのように思います。紫電は単体として計画が存在したのではなく、当初からその先にやはり水戦改造の十九試局戦を置くことを見据えて発案されているのです。


  25. もう一点述べるなら、14年から15年にかけての性能標準案諸案とは、マル五計画軍備を見据えた機体開発に関するものだということです。
    マル五計画は、膨大ともいえる量の陸上航空兵力を新設し、これをもって海軍兵力の中核に据えようというほどのものです。決定されたマル五計画では、「陸上戦闘機隊」の大量整備が予定され、艦上戦闘機はむしろ減らされます。この「陸上戦闘機」の内容は「遠戦」「局戦」の二種です。局戦は三菱のものと、川西の水戦改造局戦が併用されることになります。遠戦は、水戦改造局戦とともに、以降の川西の生産の柱となるはずでした。さらに中島は複座の戦兼爆を受け持ちます。
    このような背景を踏まえるならば、「紫電」の発祥については、「艦戦とインターセプター」と単純に二極化された機種編成とはかなり異なる様相を想像してかからなければならないのではないでしょうか。


  26. >25
     なるほど
    >14年から15年にかけての性能標準案諸案とは、マル五計画軍備を見据えた機体開発に関するもの
     これが理解する肝となってますね。
     ありがとうございます。
    DDかず

  27. DDかずさん

    私の投稿で不愉快にさせてしまったなら、すみません。
    なにぶん手持ちの資料が少ないもので自分の言葉で書かざるを得ない状況なもので``r(・_・;)
    私の伝えたかった趣旨は片さんが資料を提示してくださっている通りです。

    以下、補足程度に捉えて欲しいのですが、昭和18年当時の背景から見ると、紫電の位置はづけ実戦配備の目安がつかない雷電を鑑みて、海軍は艦戦でも局戦でもなんでもよいから零戦の後継機が欲しいという藁をも掴む状況だったことにもあるようです。
    片さんが書かれた通り、そこにはある程度海軍が描いた計画もあり、そこにちょうど川西からの提案があったということなのかと思います。

    軍がひいたレール(計画)を安易に組み替えるのは、見方によっては戦局の悪化の露呈によって泥縄的に機材の計画や調達をしているという、軍にとっては好ましくない見られ方をされないために、紫電への承認はOKするが計画としては発注しなかった(よって紫電は十四試等の名称が与えられなかった)という風にも感じられます。

    あっしぃー

  28. あっしぃーさんは、紫電を川西からの提案を軍が渋々ながらにもオーケーした、というご理解でおられるようですが、実際には川西を高速戦闘機、高速偵察機のメーカーとして育成しようという仕掛け作りは、対米開戦よりも数年も前から海軍自身の手で始められています。層流翼型LBの開発などもここに絡んでのことです。


  29. >27
     捕捉解説、感謝いたします。
    DDかず


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