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開戦と日米中の三角関係 ダッチ・カイザー 14/6/8(日) 10:36

公共事業としての戦争 じゃま 14/6/11(水) 18:01
┣ 適当なことを言っちゃ駄目よ BUN 14/6/11(水) 18:56
┣ 適当な事を云っちゃダメよ 14/6/14(土) 13:47
┃┗ 武漢三鎮 じゃま 14/6/14(土) 16:59
┣ 目的と手段と結果 ささき 14/6/15(日) 5:30
┗ 公共事業としての戦争は成り立たない おうる 14/6/15(日) 13:32

公共事業としての戦争
 じゃま  - 14/6/11(水) 18:01 -
  
> 日本:「日本の生命線」と内外に喧伝した満州の保全が日本帝国の命題ですが、満州保全のために中国へ武力侵攻する必然性はよくわかりません

わたしも、どうして日本が大陸に大兵力を展開していたのか、わからないでいますし、人にも説明できません。
当時の中国大陸にはさしたる資源も無いし、貧しい農村が多くて市場としての価値もない。
そこに大兵力を送り、何度も包囲殲滅を試みるが殆ど失敗している。
武漢三鎮攻略以後は、戦略目標も無くなってしまった。
そこで大陸打通作戦などをはじめてしまう。

ので、仮説を提出してみます。
景気対策だったということです。

WW1で生産設備は猛烈に膨れ上がり、米国は膨大な利潤を得て、つかの間のゴールデン・トウェンティを謳歌できた。
しかしWW1が終結したあと、戦時需要は無くなってしまい、ビッグ・シュリンクが起こる。
生産能力は過剰、貨幣は過剰、労働力も過剰、資本も過剰、ということになってしまい、世界恐慌になってしまった。

それで、各国とも、軍拡に走ったんですね。
なんと、人民戦線のブルムでさえ、軍拡をやった。

その上で戦争をやれば、戦時需要ができて、全て解決できる。
WW2は必然だったかもしれない。

日本の場合、やや特殊なのは、食料を現地調達していたということです。
内地でも戦前から米が不足していて、仏印、中国、朝鮮から輸入していた。

おもしろいことに、どの国でも産業革命をやると、かならず人口が増えるんですよ。
農村の余剰労働力は都市に移動すればよいが、都市で労働需要が無ければ行きどころがなくなって、スラムができたりする。
日本も、その例にもれず。

だから、余剰労働力たる農家の次男坊、三男坊を大陸に送って自弁させていた、というのが支那派遣軍の実態だったのではないか。

ということで、ご意見ご批判をお願いします。
引用なし
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適当なことを言っちゃ駄目よ
 BUN  - 14/6/11(水) 18:56 -
  
大陸の戦乱は何をもたらしたのかといえば、
日本からの輸出の途を閉ざしてしまったのです。

義和団の乱からずっと、大陸の動乱は日本の民間企業にとって
大きな脅威でしかありません。

ミリタリーファンに良く知られている愛知時計が
経営に行き詰まったのもその一例です。

適当に発言しちゃ駄目ですよ。
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適当な事を云っちゃダメよ
   - 14/6/14(土) 13:47 -
  
> 当時の中国大陸にはさしたる資源も無いし、貧しい農村が多くて市場としての価値もない。

産業の根幹である日本の製鉄業は八幡製鉄所開設以来、中国の鉄鉱石と強粘結炭に大きく依存し、これが無ければなければ日本の製鉄業は成立しえないものでした。また、戦前、市場としての中国は日本にとって非常に大事なものでした。大戦前、ナチスドイツが日本と中国を両天秤にかけたのもそれだけ、中国の資源と市場が貴重だったからです。そもそもじゃまさんの議論は前提が間違っているのですから、幾ら議論しても話がかみ合いません。
引用なし
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武漢三鎮
 じゃま  - 14/6/14(土) 16:59 -
  
> > 当時の中国大陸にはさしたる資源も無いし、貧しい農村が多くて市場としての価値もない。
>
> 産業の根幹である日本の製鉄業は八幡製鉄所開設以来、中国の鉄鉱石と強粘結炭に大きく依存し、これが無ければなければ日本の製鉄業は成立しえないものでした。また、戦前、市場としての中国は日本にとって非常に大事なものでした。大戦前、ナチスドイツが日本と中国を両天秤にかけたのもそれだけ、中国の資源と市場が貴重だったからです。そもそもじゃまさんの議論は前提が間違っているのですから、幾ら議論しても話がかみ合いません。

姫 さま
レスありがとうございます。

>市場としての中国は日本にとって非常に大事なものでした

市場として価値を認めるなら、まさにドイツが検討したように、対中宥和を図るほうが、容易だったように思うのですよ。
三池、高島の炭鉱からは、イギリス炭の次ぐらいに上質な石炭が出ていた。
このあたりで、姫 さまのご意見があるのですね。

製鉄のことは、大治鉄山、萍郷炭鉱のことをおっしゃっているかと思います。
それで、
>武漢三鎮攻略以後は、戦略目標も無くなってしまった
と考えた次第であります。

もともと、大治鉄山は、1904年以来、日本からの借款で運営できていたので、安価な鉄鉱石の提供を義務付けられた結果、漢陽製鉄所は経営破綻している。
既に日本の思い通りになっていたのではないでしょうか。

「ピストン作戦」と称する牽制作戦を繰り返して消耗を続けたり、
四十万の大軍を投入して大陸打通作戦を試みるとか、
南方の苦戦のさなか、ずいぶん余裕があるものだという感じがします。
レイテ決戦の真っ最中に参謀長以下東京に飛来して重慶進撃を上申するとか、
そのあたりがわかりません。

重慶は日本軍の根拠地たる漢口から700キロも離れていて、地上軍の進撃がおぼつかないから空襲をやっていたわけで、またそれを持ち出している。
支那派遣軍と南方軍という、ふたつの外地軍の勢力争いのように思うのですが、
いかがでしょうか。
引用なし
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目的と手段と結果
 ささき  - 14/6/15(日) 5:30 -
  
> > 日本:「日本の生命線」と内外に喧伝した満州の保全が日本帝国の命題ですが、満州保全のために中国へ武力侵攻する必然性はよくわかりません
>
> わたしも、どうして日本が大陸に大兵力を展開していたのか、わからないでいますし、人にも説明できません。
(中略)
> その上で戦争をやれば、戦時需要ができて、全て解決できる。
> WW2は必然だったかもしれない。

日本の中国侵攻は結果的に国内景気の回復につながりました。京都で呉服屋をやっていた友人の御祖母が「中国で戦争が起こると、今まで売れなかった高価な着物がどんどん売れるようになって儲かった」と語っていた、とまた聞きしたことがありますし、これに類する話はあちこちで目にします。

ただ、それはあくまで結果論であって、「経済効果を狙って戦争を起こした」わけではないでしょう。日本にとって中国は(物凄く身勝手な話ですが)資源産地であり製品輸出国でもあって、その中国が各種勢力の勃興と内戦を繰り返す政情不安にあり、たびたび起こる外国人排斥運動で日本人居留区も襲撃を受け、それら反日勢力を鎮圧し日中関係を安定させることが目的で、その手段が軍事力の行使=戦争だったのではないでしょうか。
直結すると「経済効果を狙って戦争を起こした」ことになりますが、中国に安定した親日政権が出来るのであれば方法論は戦争でなくても何でも良かったはずです。しかし日本は現地関東軍の暴走にも引きずられて安易な方法論=戦争に走ってしまい、それは短期的には経済的効果をもたらしたけれど、長期的には中国内の反日勢力増加を招いたばかりか、アメリカを筆頭とする西欧諸国からも総スカンを食うことになった悪手でした(その結果が前スレッドの真珠湾攻撃=対米戦争です)。

> おもしろいことに、どの国でも産業革命をやると、かならず人口が増えるんですよ。
> 農村の余剰労働力は都市に移動すればよいが、都市で労働需要が無ければ行きどころがなくなって、スラムができたりする。
> 日本も、その例にもれず。
>
> だから、余剰労働力たる農家の次男坊、三男坊を大陸に送って自弁させていた、というのが支那派遣軍の実態だったのではないか。

日本の場合、以前から「余剰労働力たる農家の次男坊、三男坊」の海外殖民をやっていたことはご存知かと思います。ハワイに農業労働者として移民したり、ブラジルに開拓農民として移民したり。ただこれらの殖民運動は問題も多く、殖民先の日系人は劣悪な労働条件や人種差別で辛酸たる御苦労をなさっています。
日本が宗主国の立場にある殖民地が作れれば、こんな苦労は一挙に解消するはずです。そしてそれを実現した(筈だった)のが満州国でした。日本で職にあぶれる余剰労働力を満州国に開拓農民を送れば少なくとも自給自足の生活、あわよくば農産物輸出で利益まで上げられる(日本帝国にとっては格安で食料資源が輸入できる)体制が作れる目論見でした。

これに対し「中国で戦争を起こし、そこに兵隊を送り込んで現地調達でメシを食わせる」というのはいかにも効率が悪い方法です。食料だけは現地調達できても被服も兵器も税金調達の持ち出しです。戦死傷者が出れば遺族年金や傷痍保障も払わなければなりません。最初からそれ(戦争による経済活性化と国内食料需要の減少化)が目的だった、というのは私には納得しかねる仮説です。

それでは何故「満州自衛」というにはあまりにも多くの派遣軍を送り、満州国境からはるか離れた奥地まで戦争の手を広げたのか、というのは私にもわかりません。バカな話ですが、手段が自己目的化してしまったのでしょうか。
引用なし
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公共事業としての戦争は成り立たない
 おうる  - 14/6/15(日) 13:32 -
  
 あらかじめ断っておきます。人道とか倫理とか道徳とか平和主義とかいう観点や尺度はここではあえて無視します。このレスを読む人もここに返信をぶら下げる人もそのつもりでお願いします。

 
 「戦争が公共事業として経済を活性化させる」という話は軍人、軍需産業関係者やミリオタの中にはいかにも説得力のある話として信じている方もいらっしゃいますが、現実にはそんな話は成立しません。
 「戦争」ではなく「軍事」は規模次第では確かに公共事業として経済に寄与することはありますが、適正な規模を超えると逆に経済を圧迫します。
 また、「戦争」であっても短期的には経済を活性化させる場合がありますが、多くの場合長期的にみると経済効果はマイナスになる傾向にあります。
 さらに言うと、長期的に経済効果を及ぼす場合が無いわけではありませんが、それには条件があり、その条件は近代以降ではほぼ成立しなくなっています。

 経済の本質はモノの流れであり、需要と供給の連鎖によって成立しています。
 大きな需要があればそれに対応した供給がなされ、供給者は利潤を得て更なるさらなる供給のために需要を作り出す。
 戦場や軍が巨大な消費者となって需要を作り出すことから、そこに供給者たる産業が対応し、経済が活性化していく・・・というのが、「戦争は公共事業」という考えの根拠となっています。

 しかし、経済の本質は厳密に言うと、モノの「流れ」ではなくて「循環」なんですよ。ミクロ的には「流れ」で間違っていないんですが、マクロ的には「循環」として捉えなければいけません。

 供給される物資は消費されるだけではなく、消費した物資を糧に労働力等の資源を別の需要に対して供給することで循環し、その連鎖が経済の流れを維持するのです。
 「(戦争ではない)軍事」の場合は、軍が税金を使って様々な物資を消費し、それを糧に「安全」を供給することで経済に寄与します。軍が平時に供給できる「安全」にはこれ以上は無いという限界が存在するので、軍の消費規模が大きすぎると経済を圧迫してしまいます。

 これが戦争になると話が特殊になっていきます。
 戦争は大量の物資や人命を消費しますが、その消費を糧に供給できるものがあるかというと、あまりありません。
 大昔のような侵略/略奪を目的とした戦争であれば、投資に対して利益が得られるわけですから公共事業として成立する可能性が出てきます。
 戦国時代末期や十字軍遠征前夜の中世欧州のように、戦う事しか知らない武人が堅気な仕事もせずに食うに困って大量にあぶれている状況であれば、その武人たちは存在そのものが社会不安の元凶になってしまうわけですから、それをかき集めて戦場に送り出して、その人命を消費することで社会不安を減少させることによって経済に貢献する…という話も、マルサス主義的ではありますが一応成立します。

 しかし、戦争が公共事業として経済に貢献するのはそれだけなんです。

 戦争は大量の消費をもたらしますが、供給はしません。特に、侵略や略奪がタブー視されるようになった近現代ではなおさらです。
 大量にお金を使って大量に消費し、大量のモノを流して経済を活性化させても、そこに消費を上回る何かが供給されなければ、やがて経済全体がしぼんでいくのです。
 家庭用流しそうめん機の電源を入れれば、そこでそうめんを流すことはできますが、そこで消費される分だけのそうめんを注ぎ足さなければ流れるそうめんの量は減っていかざるを得ません。
 大量の消費によって強引にモノを流通させても、そこで循環するモノの総量が減っていけば、結局は経済規模そのものが縮小してしまうのです。
 つまり、戦争では循環するモノの総量が必ず減少していくので、たとえ自国が敵国の攻撃による被害を全く受けなかったとしても、略奪等によって新たな何かが供給されない限り、経済全体としては必ずマイナス効果を及ぼしてしまうのです。

 戦争経済の政策の実態とは、「戦争によって経済を活性化させる政策」ではなく、「戦争による損失に経済が耐えるようにする政策」「経済が受ける戦争の影響を局限する政策」なのです。

 では日中戦争が公共事業だったのか?というと、それは明確に否と言えると思います。
 対米開戦は南方資源獲得が明確に目的になっていたので、公共事業としての側面があったと主張することはできるでしょう。日本の経済を維持するために必要だった資源を断たれ、それを自前で獲得することは経済そのものの命脈を保つために必要な事業として位置付けることが可能です。
 現に南方進出とそれによる資源獲得は急増とはいえ計画があり、それなりの準備がなされました。戦争をどうやって終わらせるかという目標は全くありませんでしたが、不敗体制を築くという戦争の中間目標のようなものは一応ありました。
 それは事実上の侵略/略奪戦争だから、成功しさえすれば経済に寄与するので「公共事業としての戦争」は成立します。

 しかし、日中戦争はそうした目的がありません。計画性も準備もありません。

 政府のあずかり知らぬところで突然始まり、収束の目途もなく、状況に流されるまま行き当たりばったりで、収拾もつかないままなし崩し的に拡大していき、政府は状況に対応しきれていませんでした。
 計画性が無い以上、それはもはや事業ではありません。
引用なし
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<Mozilla/5.0 (Windows NT 6.2; WOW64; rv:30.0) Gecko/20100101 Firefox/30.0@FL1-118-108-120-6.tcg.mesh.ad.jp>

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