KANON in the AIR
Act.3 第二次世界大戦 太平洋編



ウチュー人 ささき
crazy17@lanset.com





前回のあらすじ


第二次大戦、欧州では口径バラバラ混載武装の独軍機・当たっても効かない 7.7mm 多連装の英軍機・技術持ち腐れのソ連機が血みどろの死闘を演じていた。その頃、地球の裏側では別次元の戦いが始まろうとしていた…。

さお蔭様で「KANON in the AIR」大好評!全国の女子中高生から『ささきさんってステキ』とファンレターが殺到しておる。

彩またそういう見え透いた出鱈目を…殺到したのは『メイドの彩華さんかわいい』ってファンレターでしょ?

恵彩華さんもささきさんもいい加減にしてください!ホントは『恵理子さん萌え萌え〜』ってファンレターですー!!

彩…サムイです。

恵…そっちこそ。

さ…やめような、こういうノリ…。

彩そもそも、ささきさんが始めたんじゃないですかっ!

さ悪乗りしたお前らが悪い!!

恵あーん、ケンカしないでください〜。

さ…ま、またこのパターンか?

彩これじゃ、何時まで経っても始まらないです。

恵うぅ、ごめんなさいー、私が悪いんですー…。

さあぁもう、わかったわかった!全部俺が悪いんだ、そういう事にしておく!

彩やっと認めましたね。

恵良かったですー。

さったく、この小娘どもが…いいから本番始めるぞ、KANON in the AIR Act.3 太平洋編、まずはアメリカからだっ!!


第二次大戦:アメリカ編


貧しくて逃げた…いつだって弱くて

彩それではアメリカです。

さちょっと時代を溯るぞ。第一次大戦時アメリカは軍備後進国で、戦車も軍用機も世界レベルから大きく引き離されていた。機関銃もこの例に漏れず、質でも量でも貧弱きわまりない装備だった。

恵でも、キャタピラも飛行機もアメリカ生まれですよー。それに機関銃の三大発明家ヒラム・マキシム(Hiram S.Maxim)、ジョン・ブローニング(John M.Browning)、アイザック・ルイス(Issac N.Lewis) の三人ともアメリカ人だったのにぃ。


異相の人マキシム 頑固親父ブローニング 陸軍士官学校時代のルイス

機銃三大発明家

さ米陸軍は自国製兵器に冷淡で、どういう訳かフランス製を崇拝していたらしい。航空用には保弾板式のベネ・メルシエ(Benet-Mercier)を採用し、陸戦用には三日月型弾倉のショーシャ(Chauchat)軽機を採用していた。しかし一体どんなテストをやったのやら、いざ第一次大戦が始まって実戦に投入すると欠陥続出で使い物にならない事が判明したのだ。

恵何をやってるんでしょう。

さかくしてアメリカは大慌てで国産機銃の製造にとりかかる。ブローニングが設計した反動利用式の新型機銃 M1917 Cal.30 は優秀な設計だったが、戦時急造の製造体制に大きな問題があった。

彩M1917 は 1917 年から 1919 年までの間に 43000 挺が製造されたにも関わらず、うち 23000 挺が欠陥品でリコールされ実戦にはほとんど何の寄与もしなかったようです。

恵…一体何をやってるんでしょう。

さ航空用に銃身を空冷化したブローニング M1918 も一次大戦には間に合わず、旧式なガス圧レバー駆動式の「芋掘りブローニング」M1914 をガス圧ピストン式に改造したマーリン(Marlin-Rockwell) M1917機銃で急場を凌ぐ破目になった。

彩マーリンはそれなりに優秀な機銃で戦場での評価も高かったようですが、戦後は本命ブローニングに取って替わられ 1921 年頃までに退役しています。

恵…戦争ってつくづくバカげてますー。

ささて。第一次大戦勃発時には革新的新兵器だった機関銃も、戦車や航空機の発展によって急速にその威力を失っていった。新たな事態に対応すべく各国で大口径機銃の開発が始まるが、アメリカは 1918 年に M1917 をスケールアップした 12.7mm 機銃を試作している。これも結局一次大戦には間に合わず、終戦後に M1921 Cal.50 として採用された。

恵あれ?ブローニングの 12.7mm って M2 じゃないんですか?

さM2 はのちの改良型を指す。原型の M1921 は左側給弾しかできず、発射速度が高すぎて銃身がすぐ過熱する等の問題を抱えていたのだ。1920 年代から 1940 年に至るまで、米陸軍戦闘機の機首武装が 12.7mm + 7.62mm という非対称なのは M1921 の給弾問題と無関係ではないだろうな。一方の米海軍は陸軍より軽快さを好むためか、一部を除いて 7.62mm 連装が標準武装だった。

彩グリーン博士(Dr S.G.Green) によって機関部を改良して左右切り替え給弾とし、銃身を延長して発射速度を落とした Cal.50 M2 は 1932 年に完成しています。同時期に 7.62mm M1918 も新しい兵器体系に合わせ、多少改良されて Cal.30 M2 に更新されていますね。

恵一次対戦終結の 1919 年から 1930 年代に至るまで、飛行機も機関銃もほとんど発展しなかったんですねー。

彩しかも 1929 年に大恐慌が起こってしまい、アメリカはますます新兵器どころでなくなってゆきます。

さ皮肉なことに、ドイツ・イタリア・日本では大恐慌をきっかけに好戦派・極右派が台頭して新兵器開発に本腰を入れ始める。アメリカは逆にニューデール政策で民需拡大を試み軍備予算はますます縮小され、第二次大戦勃発時には世界に冠たる貧乏軍隊となり下がっていた。

恵何だか第一次大戦時の二の舞ですー。

さアメリカは第一次大戦時で多くの戦死者を出したことに懲り懲りしていたらしい。国民の多くは不干渉主義…いわゆるモンロー主義で、ヨーロッパで何が起ころうとも直接参加はしないことを望んでいた。原則として戦争をやらない主義だから、新兵器開発に力が入らないのも仕方あるまい。

彩日本の真珠湾攻撃は、アメリカの不戦主義をひっくり返してしまったんですね…。


たくさんの思い出がある

さ1930 年〜1940 年は米軍にとって予算的・政情的にもっとも苦しい時代になったが、それでも航空機の急速な発展を追いかける為の努力は払われていた。

彩やっと恐慌からの出口が見えてきた 1937 年、陸軍リパブリック P-35・海軍ブルースター F2A など全金属単葉の新鋭戦闘機が相次いで登場しています。しかし、武装は相変わらず機首同調 7.62mm + 12.7mm ですね。

恵ドイツの Bf109B と大差ありませんー。

さ応力外皮構造によって主翼への機銃装備が可能になったものの、この新しい武装形態について不安や戸惑いがあったのだろうな。この点で世界に先行していたのはイギリスだが、フランスやドイツではむしろ機首武装を補佐するかたちで主翼機銃を増設した。

彩アメリカもそれを見習ったのでしょうか。F2A も P-35 も、あとの量産機で主翼機銃を増設しています。

さ海軍では同時期にグラマン F4F・ヴォート F4U といった次世代機を試作していた。両者とも試作段階(1938)では機首武装だけだったのに対し、量産機では同調機銃を捨ててキッパリ全面主翼武装に移行している。

恵思い切りが良いですねー。

さこの海軍の思い切りに対し、陸軍では更に逡巡を重ねている。P-36 や P-40 の武装形態の変遷は特に興味深いぞ、関係者の試行錯誤ぶりが目に見えるようだ。

P-36 / P-40 の武装変遷
機番年度武装
XP-36 1936 7.62mm + 12.7mm(機首)
P-36C 1939 7.62mm + 12.7mm(機首) + 2x7.62mm(主翼)
XP-36D1939 2x12.7mm(機首) + 4x7.62mm(主翼)
XP-36E1939 2x12.7mm(機首) + 8x7.62mm(主翼)
XP-36F1939 7.62mm + 12.7mm(機首) + 2x23mm(主翼)
XP-40 1938 2x12.7mm(機首)
P-40 1939 2x12.7mm(機首)+2x7.62mm(主翼、オプション)
P-40B 1940 2x12.7mm(機首)+4x7.62mm(主翼)
P-40D 1941 4x12.7mm(主翼)
P-40E 1941 6x12.7mm(主翼)

恵XP-36F の 23mm 機関砲って…?!

彩以前に出てきたデンマーク製マドセン機関砲ですね、この頃アメリカに対し盛んに売り込みを図っていたようです。海軍でもグラマン XF5F スカイロケット双発艦戦(1938)がマドセン 23mm を二門搭載する予定だったようですね。

さ1937 年から 1939 年にかけて、オールズモビル(Oldsmobile) 37mm M4 機関砲を搭載したロッキード XP-38、ベル XFM-1、XP-39 などが試作されている。同時期に B-17, XB-19, B-24 など四発重爆が並行開発されていることと無関係ではなかろう。

彩米陸軍が大口径砲に浮気したのは、仮想敵が B-17 級の大型機を持った場合に備えての対策だったんでしょうね。

恵空中艦隊構想の匂いがプンプンしますー。

さこの頃米陸軍は 20mm〜40mm 級の自動火器を乱発気味に開発しているが、ほとんど成功したものがない。37mm M4 は成功作と言えるほうだが、しょせん航空用に適した性能ではなかった。しかも給弾機構の整備性に問題があって前線では故障が続出したとも言う。

彩M4 は 37x145R 弾使用、弾頭重量 608g、初速 600m/s、発射速度 140 発/分です。弾薬はベルトコンベア式のループ保持、モデルによって 15 発(P-38 初期型) ないし 30 発(P-39)を格納できました。

さだが P-38 は弾数不足ですぐ 20mm に換装している。P-39 は 37mm 搭載機としてとどまったが、発展型 P-63(ベルト給弾 58 発の 37mm M10 搭載)と合わせて軸内砲の評価はイマイチだな。イスパノ 20mm を積んだ援英仕様 P-400 の方が良かったという回想が多い。

恵空飛ぶ大砲なんて結局コケ脅しだったんですねー。こうして米陸軍は空中戦艦構想を見捨て 12.7mm 多連装に行っちゃう訳ですね。

さだが、必ずしもストレートに行ったわけじゃないぞ。一度はイギリスの小口径多銃主義にも影響を受けたらしく、P-40 の後継と目されていたカーチス XP-46(1940) は 7.62mm 機銃を主翼に 8 挺搭載する予定だった。

恵そういや、P-36 の試験型 XP-36E にも 7.62mm 8 連装ってのがありますねー。

彩リパブリック P-47B も 1940 年ですね。これも主翼 8 連装ですが、全部 12.7mm という思い切りの良さです。

さその P-47 だって 1939 年の軽戦闘機構想時には機首 12.7mm x 2 + 主翼 7.62mm x 6 という半端な武装だったのだぞ。また、P-51A(1940) は主翼 4 挺に加えて機首下面に 2 挺の 12.7mm 同調機銃を未練がましく残している。

恵機首下面ってヘンな位置ですねぇ。エンジンから漏れたオイルをかぶったりしなかったのかしら?

彩実際、前線では外してしまった機体が多かったようです。エンジンをパッカード・マーリンに換装した P-51B(1942) では機首銃が廃止され主翼 4 連装に減り、P-51D(1943) で主翼 6 連装に増強されています。

さこうして機首同調から主翼装備へと移行真っ最中の 1941 年頃、米陸軍航空隊では一度葬ったはずの大口径信仰が復活する。どうやらドイツ重爆が大西洋を渡って東海岸に攻めてくる幻影にうなされたらしい。

恵そんな長距離重爆なんてドイツには存在しなかったのにぃ。

彩それは戦後わかった事ですからねぇ…。当時の人は心配だったんでしょう、政治の中心ワシントン D.C も、経済の中心ニューヨークも東海岸ですから。

さもし重爆が攻めてきた時のために一撃必殺の火力が欲しい、米本土の防空を預かる米陸軍航空隊としては 12.7mm 一本槍が不安になったらしいのだ。丁度この頃開発中だった新鋭大馬力エンジンを使って様々なゲテモノ機が発注されている。

米陸軍ゲテモノ重戦闘機
メーカー/機番 開発年度武装 エンジン 備考
ヴァルティー XP-54 1941 2x12.7mm + 2x37mm H-2470 液冷 H24 2200hp 単発双胴推進式
ロッキード XP-58 1940 4x12.7mm + 1x75mm V-3420 液冷 W24+T 2600hp x 2 P-38 の拡大型
カーチス XP-62 1941 8x20mm or 12x12.7mm R-3350 空冷星 18+T 2300hp 与圧+排気タービン高々度戦闘機
マグダネル XP-67 1939 6x37mm IV-1430 液冷倒 V12+T 1350hp x 2翼型断面胴体の双発戦闘機
リパブリック XP-69 1940 4x12.7mm + 2x37mm R-2160 液冷星 42+T 2350hp ミッドシップエンジンの高々度戦闘機
カーチス XP-71 1941 2x37mm + 1x75mm R-4360 空冷星 28+T 3450hp x 2 推進式双発
リパブリック XP-72 1941 4x37mm R-4360 空冷星 28+T 3450hp P-47 のエンジン換装型

※ +T はターボチャージャー付きを示す

恵いろんな意味で物凄いラインナップですね。

さこれら重迎撃機は搭載エンジンがヘタレだったこともあってことごとく計画倒れや試作に終わり、唯一まともな XP-72 が完成した頃には戦争は終わっていた。そういやアメリカ初のジェット戦闘機 XP-59A にもこの狂乱の痕跡みたいに 37mm 一門が残っているな。

Bell XP-59A Airacomet
米国初の(駄目)ジェット戦闘機、XP-59A エアラコメット

恵一体何をやってるんでしょう。

彩「アメリカ人は実に合理的で先見の明があり、迷うことなく 12.7mm 多連装主翼装備を選んだ」…なんて誰が言ったんでしょうね。

さどこだって似たようなことをやっているものだ。勝った国が全て正しかった訳じゃないし、負けた国が全て間違っていた訳でもない。

第二次大戦 アメリカ主要航空機銃
名称重量使用弾薬弾頭重量初速発射速度作動機構備考
Marlin M1917 10Kg 7.62x63 9.9g 835m/s 650rpmGas WW1
Browning Cal.30 M2 10.9Kg 7.62x63 9.9g 835m/s 500rpmS-Recoil
Browning Cal.50 M2 29Kg 12.7x99 46g 880m/s 650rpmS-Recoil
20mm AN-M2 51Kg 20x110 130g 880m/s 600rpmGas/Recoil(Mod.HS404)
37mm M4 96Kg 37x145R 608g 610m/s 140rpmL-Recoil 15 or 30rnds
37mm M10 109Kg 37x145R 608g 610m/s 150rpmL-Recoil Belt fed
23mm Madsen 53Kg 23x106 175g 730m/s 400rpmS-Recoil Exp.
1m
WW2 主要アメリカ機銃
AN-M2
Oldsmobile M4
Madsen


あの海どこまでも青かった

ささて一方陸軍より早く 12.7mm 多連装に移行した米海軍だが、4 連装では火力が不足気味だった。F4F-4(1941) は応急対策的に主翼 6 連装に増強したが、重量が増加したため上昇力・運動性が低下して古株の飛行機乗り達には不評だったらしい。

恵やっぱり、1000 馬力級戦闘機に 12.7mm 6 連装は重荷なんですねー。

さ鈍重な機体で日本機に巴戦を挑んでも勝ち目はない、そこで米海軍サッチ少佐(John S.Thuch)らによって「サッチ・ウィーブ(Thuch Weave)」が開発された。相手の背後を狙う古典的な巴戦にとらわれず、二機一組で相互に一撃離脱をかける戦法だ。

恵編隊空戦のために主翼多連装を採用したのではなく、主翼多連装の有利を活かすために編隊空戦戦術が開発されたという訳ですか?

さそれはタマゴとニワトリの関係みたいなもので断言はできないが、「米軍戦闘機は武装・機体特性ともに一撃離脱戦法に基づいたデザイン」というのは結果論くさいな。

彩サッチウィーブを一躍有名にした撃墜王ブッチ・オヘア少尉(Henry "Buch" O'Hare)の活躍が 1942 年始め頃で、しかも乗機はまだ 4 連装機銃の F4F-3 です。

さうん、6 連装とサッチウィーブ戦法の登場時期は微妙にオーバーラップしているのだ。要するに与えられた機材で日本機と戦うために工夫を重ね、その戦訓を取り入れて更に機材を改良していったのだろう。彼らだって最初から正解を知っていた訳じゃない。

恵考えたら当たり前のことですねー。

ささて F4F の自席を担う筈の新鋭機ヴォート F4U はトラブル続出で実用化が遅れていたので、ピンチヒッターとして F4F を 2000 馬力に発展させたグラマン F6F が 1941 年に発注された。量産型 F6F-3 の引き渡しは早くも 1943 年に始まっている。

彩F6F-3 はわずか二年足らずの間に約 4400 機が量産され、改良型 F6F-5 は 1944 年から一年足らずの間に約 8000 機が造られています。本気になったアメリカ工業力の凄みですね…。

恵こんな国相手に戦争するもんじゃないですー。

さF4U, F6F ともに定番となった 12.7mm 6 連装で、F4F の戦訓を反映した武装だと見ていいだろうな。一方 F4F は護衛空母搭載機としてゼネラルモーターズに生産が移され FM と改称し、不評だった 6 連装機銃は 4 連装へと戻されている。

彩その代わり一挺あたりの装弾数が 240 発から 430 発に増加しています。迎撃より哨戒を重視した武装選択でしょうね。

ささて米海軍では 1944 年頃から 20mm 機銃に注目しはじめている。この頃の海軍戦闘機の任務は主に日本特攻機の阻止と対地・対艦銃爆撃で、どちらも 12.7mm ではパンチ力不足を感じるようになってきたらしい。

彩アメリカの航空用 20mm はAN-M2。フランスのイスパノ HS.404 をアメリカ仕様としてライセンス生産したもので、イギリスのイスパノ Mk.II とは従姉妹みたいな関係ですね。AN とは Army/Navy の略で陸海軍共通採用兵器の統合型番を意味するようです。

さだが陸軍機で 20mm を積んだのは少なく、量産機では P-38・P-61・B-29 くらいのものだ。P-51 や P-39(P-400)にも搭載したものがあるが、これらは英国輸出仕様だから例外だろう。

彩それに対し海軍はヘルキャットの後期生産型 F6F-5 でオプションの 20mm を装備可能になり、急降下爆撃機のカーチス SB2C ヘルダイバーも生産途中で主翼の 12.7mm 機銃を 20mm に換装しています。戦後は F8F-2 ベアキャット、AD スカイレイダー、F4U の対地攻撃機型 AU など翼銃は 20mm x 4 でほぼ統一されていますね。

さ特攻阻止よりも対地攻撃の比重が大きいように思えるな。直撃しなければ何の効果もない対空射撃と異なり、対地射撃の場合は至近弾でも爆風や破片による効果が得られる。米軍の 12.7mm には炸裂弾が用意されていないため、12.7mm と 20mm の違いは口径以上のものがあった筈だ。

恵でも、米陸軍航空隊もヨーロッパ戦後半では対地銃撃ばっかりという印象がありますよ。12.7mm の威力不足は感じなかったのでしょうか?

さ12.7mm ではドイツ戦車に止めを刺せないとか、装甲化された機関車に歯が立たないとか色々と言われてはいたようだ。ただ感覚の違いなのかどうか、あるいは対地攻撃はロケット弾を主力と考えていたのか、深刻な問題としては取り上げられていなかったようだな。

彩AN-M2 の製造は米陸軍が担当したのですが、不発や動作不良が多くて不評だったようです。海軍としては「陸軍が作った不良品のくせに、自分は使わず海軍に押しつけやがって」という気分だったでしょうね。

さ「弾薬にべっとりグリスを塗らなきゃマトモに作動しない」とか言われているな。AN-M2 はイスパノ Mk.I と Mk.II の設計を元に「米国で独自に改良」したものとされているが、薬室と薬莢サイズの相性が悪かったらしい。また陸軍工廠にはを「60in 口径(15mm)以上の火器は砲である」との規定があり、AN-M2 を「大砲の製造公差」に基づいて生産したのも一因だったようだ。戦後 1960 年代に到るまで米陸海軍の航空機銃が別開発となるのは、この確執が尾を引いているのかも知らん。

恵まったく、何やってんでしょう…。


ひとつだけの思いを飛ばして

恵でも、アメリカ戦闘機の強さは「最高の航空機銃」ブローニング 12.7mm によるところが大きかったんですね。

さブローニングが最高?ホントかな。ホントにそう思うか?!

恵えーん、イヂワルしないでくださいよぉ…だって、大抵の本にはそう書いてあるんです…。

さじゃ、まず次の表を見てもらおうか。

各国機銃 投射質量:自重比率
機種 自重 弾頭重量発射速度投射質量投射質量:自重比
Cal.30 M2 10.9Kg 9.9g 500rpm 83g/s 0.76%
Cal.50 M2 29Kg 46g 650rpm 498g/s 1.72%
37mm M4 96Kg 608g 140rpm 1419g/s 1.48%
Brwonig.303 12.6Kg 11g 1200rpm 224g/s 2.26%
Hispano Mk.II 50Kg 130g 600rpm 1300g/s 2.6%
Type99-1 25Kg 124g 600rpm 1240g/s 4.96%
Type99-2 35Kg 125g 500rpm 1067g/s 3.05%
MG131 16.6Kg 34g 900rpm 510g/s 3.07%
MG151/20 42Kg 92g 700rpm 1073g/s 2.56%
MK108 60Kg 330g 600rpm 3300g/s 5.5%
UB 25Kg 48g 1000rpm 800g/s 3.3%
ShVAK 42Kg 97g 800rpm 1293g/s 3.08%
VYa 66Kg 200g 600rpm 2000g/s 3.03%

恵こ、これは…?

さ第二次大戦の主要な機銃について投射質量と自重の比を統計してみたものだ。一発あたりの破壊力や初速などのパラメータを無視しているので性能評価にはならんが、機銃の性格の一面を表現しているとは言えるだろう。

彩99 式一号や MK108 など低初速・高発射速度型の機関砲が異常に高い値になっていますが、全体傾向として 2〜3% 程度の値に収まっています。

さそして米軍の機銃は…まぁ、見ての通りだ。

恵げえぇっ、平均値の半分以下!投射質量の割に重たいんですねぇ…。

さ確かにブローニング 12.7mm は汎用性があり、初速が高くて弾道性が良く、高い貫通力と破壊力を持った優秀な機銃だ。しかし自重の割に発射速度が低く、銃身が過熱しやすくて寿命が短く、ベルト給弾機構が故障しやすいという欠点も抱えていた。米軍が 6 連装にこだわったのは弾幕射撃の為もあるが、低発射速度と故障頻発への対策という意味もある。

彩しかし、重たい機銃を多数積むとますます重量的に不利になりますね。

さ機体と武装の関係がどんな感じか、下の表にまとめてみた。弾薬(全弾装填)まで含めた総武装重量と出力・自重を比較してみたものだ。

各国戦闘機 総武装重量:自重/出力比率
機種 出力 自重 総武装重量 武装重量:自重比 出力あたりの武装重量
P-39D 1200hp 2860hp 213Kg 7.5% 178g/hp
P-40E 1200hp 3133Kg 376Kg 12.0% 313g/hp
P-51D 1470hp 3466Kg 298Kg 8.6% 203g/hp
F4F-4 1180hp 2612Kg 347Kg 13.3% 294g/hp
F6F-5 2160hp 4152Kg 462Kg 11.1% 214g/hp
SpitfireVC 1185hp 2314Kg 174Kg 7.5% 147g/hp
TempestV 2150hp 4045Kg 328Kg 8.1% 151g/hp
Bf109E-3 1150hp 1900Kg 113Kg 6.0% 98g/hp
Fw190A-8 1700hp 3471Kg 361Kg 10.4% 212g/hp
Ki-43-II 1120hp 1910Kg 61Kg 3.2% 55g/hp
Ki-84-Ib 2000hp 2660Kg 166Kg 6.2% 83g/hp
A6M2 950hp 1670Kg 101Kg 6.1% 106g/hp
N1K2-J 1990hp 2657Kg 300Kg 11.3% 151g/hp

恵米軍機って武装の占める割合が凄く大きいんですね…。

さ出力と自重だけで飛行性能は決まらないし、武装重量=火力という訳でもない。しかし米軍戦闘機がペイロードの多くを武装に割いていた傾向は掴めるな。それはブローニング機銃の特性も関係しているだろうが、戦闘機という兵器に対するコンセプトの違いでもある。

彩米軍戦闘機は重いかわりに頑丈で強武装なんですね。その代償として軽快さを失ってしまった訳ですか。

さ特に 1000hp 級の機体は軽量な日独機に対し速度・運動性ともに劣り、緒戦では苦渋を舐めさせられている。しかし彼等は武装を減らして軽量化するより、大馬力エンジンを積んだ新鋭機を開発する道を選んだ。強引とか力任せとか言う人もいるが、簡単に出来る事じゃないぞ。こういう事をアッサリやってのけるのがアメリカという国の底力なのだ。

恵そして、その機体特性を活かすために編隊一撃離脱を編み出したんですね…。

さ更に、米軍は欧州でも太平洋でも「数の優勢」を最大限に利用している。もし数に劣る独軍や、もっと貧乏な日本軍が似たような飛行機に似たような武装を施し、同じ戦術で立ち向かったらどうなるだろう?

彩武装と戦術が同じで数で劣るなら…磨り潰されるだけですね。

恵戦闘機の機関砲武装は間違い、中口径多銃多弾主義こそ正解」なんて簡単に言い切れるものじゃないんですね。中口径多銃装備は意外に重くって、それを支えるには高性能エンジンが必須だったんですね。

さもちろん、実際に戦った人による「シャワーのような弾幕の恐怖」や「当たらない機関砲への苛立ち」などの感想は貴重な歴史の証言だ。だが、それを咀嚼せずに鵜呑みにして「20mm はダメ、12.7mm はサイコー」と決め付けるのはどうかと思うな。

彩米軍の武装コンセプトをまとめると、戦前の機首連装武装からいくばくかの変遷を経て 12.7mm 多連装になり、海軍は更に 20mm への移行中に終戦を迎えたということになりますね。

さわかりやすくて良いな(笑)。12.7mm にとどまった空軍と 20mm へ移行した海軍が次に何を体験するのか、それは朝鮮戦争のところで述べることにしよう。


第二次大戦:日本陸軍編

こんなに強くなれる二人だね

彩さて、日本の機銃についてのお話です。

さこれが厄介なのだ。陸軍と海軍はまるで別の国で、ネジ一本に至るまで互換性がなかったという。当然弾薬も異なれば機銃もほとんど同じ性能のものが海軍用と陸軍用別々に生産されている有様で、二部に分けなければとても説明しきれん。

恵それでは、まず日本陸軍航空隊からいってみましょー。

さ日本陸軍最初の本格的な「戦闘機」は大正 7 年(1918)にフランスから輸入したニューポール(Neupor) 24 型およびスパッド(SPAD) 13 型戦闘機で、それぞれ甲式三型丙式一型と呼ばれた。このとき両機に搭載されていたのがヴィッカースE型同調機銃で、昭和 2 年(1928 年)にはライセンス権を購入して国産化している。これが陸軍 89 式固定機銃だ。

Japanese Army Kou-Shiki Type3(Neupor 24) Fighter
甲式三型(ニューポール 24)戦闘機

Japanese Army Hei-Shiki Type1(SPAD 13) Fighter
丙式一型(スパッド 13)戦闘機


彩時期を同じくして海軍も「毘式」機関銃の国産化を開始していますが、どうもライセンス費用は陸海軍別々に支払ったようですね。

恵何をやってるんでしょう。

さしかも陸軍と海軍では弾が違った。海軍の毘式は原型と同じ 7.7x56R(.303British) だが、陸軍の 89 式は重機関銃用の 7.7x58SR 弾を使うように改修されており互換性がなかった。

恵同じ機銃を陸海軍で別々にライセンスを買って、別々に国産化して、別仕様で量産したんですか…。

さ陸軍も海軍も別々の管理工場を持ち、別枠の予算に従って別規格の兵器を作っていたのだから、弾ひとつを共通化したって大した意味はないと考えられたのだろう。当時航空機銃の生産数なんて多寡が知れてるし、その一方で弾薬統一の為の事務処理は大変な仕事になるだろうからな。

恵それにしても、近代工業国家のやる事とは思えませんー。

ささて固定機銃はヴィッカースを買った陸軍だが、何故か旋回銃は独自に開発しようとしていた。最初は陸戦用の三年式 6.5mm 重機をベルト給弾に改造して使ったが、のちに十一年式軽機をベースにした 7.7mm 旋回銃が開発された。昭和 3 年(1929/皇紀 2589)に採用されたので 89 式旋回機銃と呼ぶ。

彩同じ年にヴィッカースの陸軍型も制式採用された為、同じ「89」の番号で「89 式固定機銃」と「89 式旋回機銃」の二種類があるからややこしいです。

さ89 式旋回はときどきルイスのコピーと書かれる事もあるが、全く違うものだ。89 式旋回機銃の弾倉は半月型をした独特なもので、装弾子(クリップ)に差した弾を並べて挿入する変わった機構を持つ。装弾数は 72 発。

彩口径は違うものの、十一年式軽機譲りの機構ですね。

恵十一年式は故障続出で不評でしたが、89 式の評価はどうだったのでしょう。

さ特に良いとも伝わっていないが、別に悪評も聞かないな。ただ使用済みのクリップが機体やプロペラに当たる不具合があった為、昭和 8 年(1934)にクリップをベルト式に連結した 89 式(特)が開発されている。また昭和 13 年(1939)頃からクリップをやめて回転弾倉を採用したテ-1 およびテ-4 が採用され、ますますルイスに似た外見と紛らわしい名称のため後世の研究者を混乱させる事になっている。

彩テ-1 とテ-4 には「○○式」の呼称が存在せず「試製単銃身旋回機銃」という長い名前で呼ばれていたようですね。またテ-3 は 89 式系と全く無関係なラインメタル機銃の開発名称です。

さテ-3 はドイツ MG15 のライセンス生産型で、制式採用以降は「98 式旋回機銃」の名が与えられた。一般兵士には「ラインメタル機銃」と呼ばれていたようだ。口径は 89 式の 7.7mm に対し 7.92mm と大差ないが、発射速度が 1000 発/分と高いことが評価されたらしい。

恵MG15 と MG17 は基本的に同じだった筈ですが、どうして旋回銃だけ実用化されたのでしょう?

さ98 式固定機銃」という機種はちゃんと存在したのだが、バネの品質が安定せず同調不良が多発して苦労させられたらしい。これは結局実用化されずじまいだったが、12.7mm 実用化の目処が立っているときにわざわざ 7.92mm の固定機銃を新しく作る意味も無かったのだろうな。


あの日の青空

ささて、世界中で 7.7mm 連装の威力不足が憂慮されだした昭和 11(1936) 年頃、日本陸軍でも次世代戦闘機のあり方について海外視察結果を含めた検討を行っている。検討内容は多岐に渡るものだったが、武装については中口径多連装こそ最適であるとの結論が出された。

恵でも、隼の武装は機首銃だけで主翼機銃が装備できない構造ですよ?それなのに「多」連装なんですか?

さ確かに隼の発注仕様は武装軽視だが、それは隼が 97 戦からの中継ぎとして「軽戦」という微妙なポジションを与えられた事情によるもので、陸軍が戦闘機の武装を軽視していたという訳ではない。しかし、軽量化の為に翼銃を積めない三本桁主翼にしてしまったのは中島飛行機の勇み足に思えるなぁ。

彩F4F や P-36 だって機首銃のみの機体として生まれたものの、すぐに主翼銃を増設したのとは対照的ですね。

ささてさて。12.7mm 機銃を求める陸軍はイタリアからブレダ(Breda-SAFAT) 12.7mm を購入するが、故障多発で満足できなかった。その後アメリカから参考購入したブローニング M2 重機を参考に 12.7mm ホ-103 を開発する。ライセンス料は払わなかったようだが、しかしブローニング M2 の丸コピーという訳でもない。

彩例によって弾の互換性が無いんですよね。M2 は 12.7x99 ですが ホ-103 はブレダと同じヴィッカース系の 12.7x81SR です。性能は弾頭重量 38g、初速 780m/s、発射速度 800 発/分。

さ単に弾を変えただけではなく、小さい弾に合わせ機銃自体も小型軽量化されている。コンパクトになった事にはそれなりの利点もあったが、威力も小さくなってしまった。ホ-103 には炸裂弾が使えることが M2 に対する優位だが、暴発事故が起きる問題も出た。

恵でも、12.7mm の炸裂弾なんて効果あったんでしょうか?

さ南方に展開した陸軍戦闘機はやがて B-17 や B-24 などの重爆と対戦したが、12.7mm では威力が足りないことが明らかとなった。連装の隼はもちろん、4 連装の鍾馗や飛燕でも重爆には苦戦させられたのだ。

恵やっぱり。

彩零戦の 20mm でさえ苦労したのだから当然ですね。

さ慌てた陸軍は屠龍や百式司偵に陸戦用 20mm 自動砲や 37mm 戦車砲を搭載してにわか仕立ての迎撃機にしたが、根本的な火力増強策として新たに 20mm 機銃を開発することになった。

彩応急策の一環としてドイツから MG151/20 を輸入したものの、機銃どころか弾の国産化すら成し得なかった話は前にも出てきましたね。

恵でも、どうして実績のある海軍の 99 式 20mm を採用しなかったのでしょう…?

さ検討はしている、しかし折り合いが着かなかったようだ。海軍の工場は海軍向けの機銃を作るので手一杯だし、陸軍の工場で生産する為には生産設備をゼロから導入しなければならない。何せネジ一本からして互換性がないのだから、図面だけ貰ってもどうしようもないのだ。

彩…外国と戦争する以前に、国内でやるべき事が沢山あったような気がします。

さそれが出来なかったから、政治も経済も破綻して外国と戦争する破目になったんだろうな。

恵身も蓋もない言い方ですー。

さ結局、陸軍はホ-103 を拡大する形で 20mm ホ-5 を開発した。20x94 弾を使用、弾頭重量 80g で初速 735m/s、発射速度 750 発/分。カタログ性能だけで見れば MG151/20 に匹敵する優秀な機銃で、しかも驚くほど軽量コンパクトだ。全長重量とも 12.7mm M2 と大差ない。

彩でも「カタログ性能だけで見れば」って言葉が不気味ですね。

さホ-5 は生産を焦るあまり最終試験の完了を待たずに量産されてしまったのだ。おかげで製造時期や製造工場ごとに細部仕様が少しづつ違って性能が安定しなかった。また使用弾薬にも問題があり、炸裂弾が筒内爆発や早期爆発を起こす事故が多発したという。

恵また暴発ですか…。

彩海軍贔屓の人には「これだから陸軍は」とか言われそうです。

さその海軍だって陸軍が実用化済みのホ-103 とほぼ同仕様の三式 13mm をあとから開発したり、最終図面を待たずに五式 30mm を強行量産して欠陥品を乱造した実績があるのだから偉そうなことは言えんぞ。

第二次大戦 日本陸軍主要航空機銃
名称重量使用弾薬弾頭重量初速発射速度作動機構備考
Type89 Flexible 9Kg 7.7x58SR10.5g 750m/s 750rpm Gas (Mod.Type11 LMG)
Type89 Fixed 12Kg 7.7x58SR10.5g 820m/s 900rpm S-Recoil (Mod.Vickers)
Type98 Flexible7.1Kg 7.92x5711.5g 840m/s 1000rpm S-Recoil (MG15)
Type1 Ho-103 23Kg12.7x81SR 38g 780m/s 800rpm S-Recoil (Mod.Browning)
Type2 Ho-5 39Kg 20x94 80g 735m/s 750rpm S-Recoil (Browning type)
1m
WW2 主要日本陸軍機銃


滅殺、だよ!

さ量産された機銃は大体以上のようなものだが、陸軍は他に多種多様な航空機銃を開発している。中には一部実戦配備されそれなりに戦果を挙げたものもあり、調べるほど沢山出てくるので興味が尽きない。

彩全部挙げたら切りがないので、主要なのだけ取り上げましょう。

さまず 20mm ホ-1/ホ-3 から行くかな。陸戦兵器である 97 式自動砲をフルオート化し航空用にしたタイプで、作動はオチキス系のガス圧式。ホ-1 が旋回銃座用で百式重爆「呑龍」に、ホ-3 が固定装備用で二式複戦「屠龍」に搭載された。

彩資料によっては既出のホ-5 や対空火器である 98 式自動砲と混同されたりして研究者泣かせの機銃ですね。

さもとが歩兵用の支援火器なので重たい割に発射速度が 400 発/分(この数字にも諸説あり)と低く、ドラム弾倉が 15 発(ホ-1)ないし 50 発(ホ-3)と少ないこともあり広くは使われなかった。この機銃の系譜はのちの海軍五式 30mm につながっているらしい。

恵陸軍系の機銃が海軍に採用されるなんて珍しいですねー。

さ五式の話はまた海軍編でやることにしよう。次は 30mm ホ-155、ホ-5 を更に大型化したブローニング系反動利用の機関砲だ。陸軍は相当な期待を賭けていたようで、疾風の丙型をはじめ様々な機種に搭載が予定されていたが、結局間に合わずに終戦を迎えた。

彩ホ-155 には I 型と II 型の2種類があり細部が異なります。これも海軍五式と混同されることが多い機銃ですね。

さホ-155-I乙 が一挺ライトパターソンの米空軍博物館に展示されているが、堂々と「Type5 30mm Navy Cannon」という間違った表示が付けられていたな。他にもホ-105 とかホ-115 とか誤記されることが多い機銃だ。

彩ホ-155 は 30x114 弾、弾頭重量 235g、初速 700m/s、発射速度 500 発/分と伝えられています。I 型と II 型の性能差はあまり無かったようですね。両者は本来競作となるべき存在だったものが、戦況逼迫により並行生産されたような印象を受けます。

さ次は 37mm ホ-203 、これは二式複戦「屠龍」に搭載されたのが唯一の実用例と言っていい。反動利用のロングリコイル式で、原形は十一年式平射歩兵砲らしい。B-17 対策として昭和 18 年(1943)に 大至急開発された機関砲だ。

彩使用弾は 37x112R、弾頭重量 475g、初速 570m/s、発射速度 120 発/分となっています。アメリカの M4/M10 とだいたい同じ性能ですね。銃身がだいぶ短いのに初速が同程度なのは弾頭重量が2割ほど軽い為でしょう。

さ決して高性能とは言えないが、20mm を超える大口径航空火砲では日本で唯一量産され戦果を挙げた火器として高く評価されるべきだろう。これをそのまま大型化した57mm ホ-401 は屠龍の後継機キ-102 乙に搭載され、一部が実戦参加した段階で終戦となった。

彩ホ-401 は 57x121R 弾使用、弾頭重量 1500g、初速 495m/s、発射速度 80 発/分だそうです。

さ最後は40mm ホ-301、二式単戦「鍾馗」のII型丙(特)に少数が搭載され実戦で使われた。これはエリコン系 API のメカニズムだが、薬莢と弾頭が一体になったケースレス弾を使う珍しい機関砲だ。


Ho-301 Rocket Projectile
ホ-301 ケースレス弾体(一部推定)

恵まるでロケット弾ですね。

さホ-301 の装薬は筒内で燃焼を終えるのでロケット弾というより臼砲だな。安定翼を使わず、砲身にライフリングを刻んで旋転を与えるメカニズムも臼砲っぽい。

彩カタログ上では弾頭重量 580g、初速 150m/s、発射速度 450 発/分となっています。初速は資料によって 120〜220m/s と幅がありますが、いずれにせよ航空機関砲としては異常な低初速ですね。

さ空戦での射撃距離は 200〜300m が普通だが、初速を失わないと仮定しても着弾まで 2 秒近くかかってしまう計算になる。空戦中に 2 秒も経てば敵機はどっかへ行ってしまうぞ。

彩前方攻撃で相対接近速度 800Km/h と仮定すると秒間 222m…200m から撃ちはじめて 50m で回避すると 0.7 秒しか射撃時間がありません。発射速度は秒間 7.5 発ですから、両翼あわせて 10 発程度しか撃てないってことですね。

さ装弾数はカタログスペック上 10〜15 発とされているが、強度上の問題で 5, 6 発しか装填できなかったという搭乗員の回想もある。実際それで充分だったのだろうな。遠くからでは撃っても当たらないし、当たる距離まで近づけば一瞬しか撃てない。

恵まさに「一撃必殺」って感じですー。

さ単発機の搭載火器としては最強クラスの兵装だったが、針鼠のように武装した米重爆に 100m 未満まで肉薄して斉射を与えるのは体当たり同然で、それが出来るのは余程の腕利きだけだったろう。その為か少数生産で短期間の使用にとどまったが、それでも体当たりよりマトモな戦法である事に議論の余地はないと思う。

彩工夫すればもっと使える兵器になったかも知れないのに、なぜ組織的な空対空特攻なんて…。

さ議論や工夫以前に、事実として戦果を挙げなければならないところまで追い詰められていたのだ。ある意味、そこが日本陸軍航空隊の…そして日本という国の限界だったのだろうな。

第二次大戦 日本陸軍大口径航空機銃
名称重量使用弾薬弾頭重量初速発射速度作動機構備考
Ho-1 45Kg 20x125 127g 820m/s 400rpmGas Mod.AT rifle(Type97) 15rnds
Ho-3 45Kg 20x125 127g 820m/s 400rpmGas Mod.AT rifle(Type97) 50rnds
Ho-203 89Kg 37x112R 475g 570m/s 120rpmL-Recoil 15rnds
Ho-401 150Kg 57x121R1500g 495m/s 80rpmL-Recoil 17rnds
Ho-155-I 60Kg 30x114 235g 700m/s 600rpmS-Recoil Mod.Browning
Ho-155-II 50Kg 30x114 235g 700m/s 500rpmS-Recoil Mod.Browning
Ho-301 40Kg 40x? CL 580g 150m/s 450rpmAPI Blowback Mod.Oerlikon CL 10rnds?
1m
97式自動砲
WW2 日本陸軍大口径機銃


第二次大戦:日本海軍編


瞳を閉じればあの海の匂い

恵次は日本海軍のお話ですー。

さ良く知られているように、フランスに規範を取った日本陸軍に対し海軍は何事もイギリス流だった。最初の戦闘機もソッピース(Sopwith)社から技師を招いて設計した三菱十式艦戦(大正 8/1921)で、もちろん機銃もイギリスのヴィッカースEを「毘式七粍七固定機銃」として装備していた。これは国産化され改良されたのちに 97 式固定機銃と名称が変更されている。

Japanese Navy Mitsubishi Type10 Carrier-Fighter
十式艦上戦闘機

彩そのあと中島三式、中島九十式、中島九五式、三菱九六式とず〜っと 7.7mm 二挺の時代が続くんですね。

さ旋回機銃もイギリスから導入したルイスのライセンス生産品「留式七粍七旋回機銃」、のちの 92 式旋回機銃が採用されていた。某氏の某書で「機銃だけはず〜っとルイスなのがオソロシイ」と酷評されているが、英軍だってヴィッカースKへの刷新は 1937 年以降なのだから仕方あるまい。

彩海軍はルイスの後継として、1941 年にラインメタル MG15 系の一式 7.92mm 旋回銃を採用していますね。陸軍の 98 式から図面や資料を分けてもらったらしく、日本機銃としては珍しいことに弾薬の互換性がありました。

恵弾薬の互換性が珍しい軍隊って異常ですー。

ささて、日本海軍では昭和 10(1935) 年頃に機載大口径砲を模索していた。丁度彼等が 96 陸攻を作り上げていた頃だな。陸上基地から長駆して洋上の艦隊を叩く航空機という発想は斬新だったが、もし敵が同じ手を取った場合に備えて阻止能力が必要だ。高速で防御火力を備えた双発機は連装 7.7mm で簡単に仕留められる相手ではない。

恵そろそろ私の出番ですね…(どきどき)

彩海軍は駐仏武官の報告を通じてエリコン FF に目を付けたようです。昭和 11(1936)年には早くも 96 艦戦の主翼にエリコンを積んだ改造試作機を作っており、またイスパノ HS.404 20mm 機銃をモーターカノン装備したドボアチーヌ(Dewoitine) D.510 戦闘機も輸入して評価しています。

さ海軍はモーターカノンに並々ならぬ関心があったようだが、液冷V型エンジンの整備に難があって実現しなかった。かくして次世代の艦隊防衛戦闘機、三菱十二試艦戦…のちの「零戦」は両主翼に「恵式」すなわちエリコン FF 20mm 機銃をライセンス生産して搭載することが決定される。

彩恵理子さん、遂に日本デビューですね!(ぱちぱち)

さおめでとう!(ぱちぱち)

恵ありがとうございますぅ!でも、でも…ある有名な撃墜王さんは私のことを「無用の長物」とかボロクソに言われたんです…(泣)。

さ低初速のうえ装弾数の少ない FF は対大型機用の迎撃兵装であり、対戦闘機戦に不利なことは設計も用兵も先刻承知だった筈なのだがな。対小型機用としては機首に 7.7mm を二挺、片銃 500 発という掃討任務に耐える弾数を搭載している。目標任務に応じてこれらを使い分けるのが建前だったが、理屈と実戦の間にはだいぶ溝があったという事だろう。

彩恵式一号…後の 99 式一号機銃は弾頭重量 124g、初速 600m/s、発射速度 500 発/分、装弾数 60 発となっています。機首に搭載した 97 式 7.7mm は 11.2g、750m/s、600 発/分、ただし同調装備のため発射速度は2〜3割引くべきでしょうね。

恵低初速たって MK108 程じゃなく、せいぜい 7.7mm の二割引なのに…しかも距離が離れるほど弾丸重量の大きな(減速率の小さな) 20mm 有利になるはずなんですが…。

さ1000m を超えるような長距離射撃ならともかく、空戦射撃程度の距離では初速がモノを言うからな。また低初速から来る低貫通力も深刻で、B-17 に直撃しても致命傷を与え得なかったことが報告されている。大型機迎撃を本領とする 20mm が重爆相手に威力不足では意味がない。

恵長銃身高威力の FFL、99 式二号銃は開戦前の昭和 16(1941)年 9 月に完成してます!にも関わらず配備が 18 年(1943 年)頃まで遅れたのは、重くなって運動性が悪くなるって現場から嫌われたからですー!(泣)

彩一号銃と二号銃では自重で 6〜10Kg、弾薬一発あたり約 20g(60 発で 1.2Kg)の違いがありました。両翼で合わせて弾薬込みで +25Kg 弱、それほど気になる重量増加だったのでしょうかね。

さ零戦は特にヤワな機体だったからな、なんせ 20mm を撃つと翼が撓んで弾道が散る傾向があったという。のちに紫電に乗り換えたパイロットが、同じ 20mm でも集弾が良いので感心した話があったりするのだ。

恵ひどいっ!ションベンダマとか如雨露の水撒きって言われた原因の一端は零戦にあったんですねっ!

さこうして撃った側には幾多の課題を残した 20mm だったが、撃たれた側の連合軍は大きな衝撃を受けている。太平洋戦争開戦からしばらくの間、「ゼロファイター」と「トウェニー・ミル」は連合軍パイロットの恐怖の代名詞となったのだ。

彩米海軍は艦載対空用の長銃身エリコン SS 型(モーターカノン FFS とほぼ同型)をライセンス生産しているのに、零戦に直面するまで機載用の FF シリーズにほとんど興味を払っていなかったのは不思議ですね。マドセンの 23mm にはお熱だったのに。

さ低初速でドラム給弾 60 発の FF は航空用として不適と結論づけていたのではないかな。それは零戦パイロットも身を持って体験している、特にガダルカナルのような長距離侵攻作戦では顕著だったようだ。

恵ガダルカナル戦は昭和 17(1942)年 7 月ですから…ちょうど 100 発入り大型弾倉の量産が始まった頃ですー。

さそれでもたった 100 発だ。燃えやすい陸攻を護衛しながら何時間もかけて飛び、やっと辿り着いた戦地上空で数連射もすれば弾切れになってしまうのだぞ。F4F や P-38 が火花のように 12.7mm をバラ撒きながら急降下して抜けて行くのに、20mm を撃ち尽くした零戦は二挺の 7.7mm だけが頼りなのだ。一体何のために両翼に重荷を抱えているのか、何とかしろと言いたくもなる。

彩こうして前線からは一刻も早い 13mm 機銃の配備を望む声が殺到するわけですが、意外なことに日本海軍は昭和 14(1939)年に 13mm 機銃開発計画をスタートしていました。エリコン FF を小型化した十四試 14mm なんて珍しい機銃も作っていますね。

さ同時期にイタリア製ブレダ(Breda-SAFAT)イソタ(Isotta-Scotti)、捕獲品のブローニング M2 12.7mm も試験に供されている。まるでお約束のように陸海軍別々の並行研究だ。

恵…何やってるんでしょう。

さ結局ブレダは重量過大、イソタは故障続発で不採用となっている。だがしかしブレダの自重は 29Kg でブローニングと大差なく、本音は陸軍と同仕様の 12.7x81SR 弾を採用したくなかったのではないか、と勘ぐりたくなるな。

恵…何やってるんでしょおぉ〜。

彩でもブレダは陸軍が隼 I 型に試験搭載して「地上試射では問題ないが空中で撃つと故障続出」と悪評だったそうですから、採用しなかったのは正解かも知れません。

さ十四試 14mm 機銃は昭和 16(1941)年に試作品が完成するが、全長 1.8m と中途半端に長いうえ同調装備できない、ベルト給弾できないといった問題が多くお蔵入りとなった。結局海軍はブローニング M2 をベースに、オチキス系 93 式 13.2mm 機銃の弾と銃身を使えるようにした機銃を開発することを決意する。

彩陸軍ではこの頃一式 13mm ことホ-103 の量産を始めていますね。原型ブローニングに対し全寸法を小型化したホ-103 が既に量産ベースに乗っているのに、弾薬と銃身を換えるだけの作業に一体何年かかってるんでしょうか。しかも 13.2x99 弾ってブローニング 12.7x99 弾と殆ど同じ仕様でしょ?

さコピーと言っても図面があるわけじゃなし、原型の製造工程を解析して量産設備を整えるのに時間がかかるのは当然だ。しかし陸軍が殆ど同じ事をやった後なのになぁ。

恵一体何をやってるんでしょおおぉぉ〜(;;)。

さ結局「三式 13mm 機銃」として量産品が出来たのは昭和 18(1943)年の末、それが零戦 52 乙型に搭載されるのが昭和 19(1944)年 4 月のことになる。

彩もう侵攻作戦どころじゃないですね。弾道性が良く発射速度の高い 13mm は前線でも好評だったようですが、1944 年では手遅れです。

さ結局三式 13mm は零戦の後期生産型に積まれたのが唯一の実用例と言ってよく、烈風や紫電改、動力銃架に乗せて銀河や一式陸攻の旋回機銃に積むつもりだったが全て間に合わなかった。陸軍のホ-103 が軽爆や軍偵にまで積まれたのとあまりに対照的だな。

恵だから、妹の 14 試を採用しとけば良かったのにぃ…ぶつぶつ。

さ海軍はもう一つ、ラインメタル MG131 をライセンス生産した二式 13mm を旋回銃に採用している。MG131 は前述したように電気発火弾薬を使うが、日本では電気式プライマーが製造できなかったらしく海軍二式は衝撃式に改められていた。

彩それじゃ電気系による同調機構が使えなくなりますね。

さ固定機銃に使うつもりは最初から無かったらしい。二式は彗星・天山・流星・彩雲などの防御火器として搭載されたが、材質の悪化や不慣れな設計のため不良率が高く少数生産に終わったようだ。

恵あーあ。ホント一体何やってんでしょう…。

第二次大戦 日本海軍主要航空機銃
名称重量使用弾薬弾頭重量初速発射速度作動機構備考
7.7mm Type92 7.7Kg 7.7x56R 11.2g 745m/s 750rpm Gas (Lewis)
7.7mm Type97 11Kg 7.7x56R 11.2g 723m/s 900rpm S-Recoil (Vickers)
7.92mm Type1 7.1Kg 7.92x57 11.5g 840m/s 1000rpm S-Recoil (MG15)
20mm Type99-1 25Kg 20x72RB 124g 600m/s 500rpm API Blowback (Oerlikon FF)
20mm Type99-2 35Kg 20x101RB 128g 750m/s 450rpm API Blowback (Oerlikon FFL)
14mm 14-Shi 28Kg 14.1x101RB 49g 900m/s 585rpm API Blowback (Exp.Mod.Oerlikon)
13mm Type2 17Kg 13x64B 34g 750m/s 900rpm S-Recoil (Mod.MG131)
13mm Type3 30Kg 13.2x99 52g 790m/s 800rpm S-Recoil (Mod.Browning)
1m
WW2 主要日本海軍機銃
Type99-1
Type99-2


届かない場所をずっと見つめて

彩結局、日本海軍の主力機銃はエリコン 20mm だったんですね。

さ一式陸攻の後期型など背部・尾部・左右胴体の銃座に 20mm を積んでいるからな。20mm 旋回銃を四挺も積んだ双発爆撃機は世界でも珍しいだろう。

恵でもバタバタ落とされてますー(泣)。私が悪いんじゃないんですぅ、陸攻の脆弱さを知ってるくせに白昼編隊強襲なんか命じる上層部の責任ですー!

さ三式 13mm の配備が早ければ良くなっていたか悪くなったか…それは誰にもわからんが、陸攻のような機体に四挺も積めたのはエリコンの傑出した軽さの賜物だな。一号銃の自重は 25Kg しかなく、これは三式 13mm より 5Kg も軽いのだ。

彩陸軍のホ-5 でさえ 35Kg、MG151/20 が 42Kg、イスパノ Mk.II だと 50Kg もあります。全長で見ても一号銃の全長 1.3m は三式 13mm より 10cm 短いですね。

恵軽いのは API ブローバック機構の、短いのはリコイルスプリングを銃身に重ねている構造のおかげですー。

さしかし、メリットはデメリットと表裏一体だ。API は発火サイクル中に薬莢が薬室内を前後するので貼り付き薬莢切れを起こし易い。これを防ぐため弾薬へのオイル塗布が行われたが、高々度へ昇ると今度はオイルが凍結する故障が多発した。

彩ドイツの姉妹 MG-FF は凍結防止用の電熱線を巻いていたようですね。薬室内に縦溝を刻んで発射ガスを導くフルーテッド・チャンバーも効果があったようですが、当時の日本ではこの技術が知られていなかったようです。

さまた、独特のリコイルスプリング駆動のためボルトが機関部外側全体を覆う長く重いものとなり、これは発射速度を制限することになった。ボルトが長い二号銃では特にこれが顕著で、450 発/分という低い値になってしまっている。

彩エリコンはこれらの制限のためイギリス・アメリカで不採用となり、ドイツでも補助武装的にしか使われなかったようですね。

恵でも、でも…恵理子、がんばるもん!

さ日本海軍はエリコンの弱点を克服すべく、まずベルト給弾化に挑戦した。これはスイスの本家もドイツの分家も成し得なかった難行だ。API 発火はボルトの前進力で反動を相殺するのがポイントだが、これによって給弾機構の駆動に使える反動力も減ってしまうのだ。下手な設計をすれば、ただでさえ遅い発射速度を更に引き下げる可能性もある。

彩米軍の翼内装備 12.7mm も長い給弾経路に沿って弾薬ベルトを引っ張っていたのでカタログ上の発射速度 600 発/分より一割程度低い値となり、しかもGをかけながら撃つとよくベルトが切れたり詰まったりしたそうです。

さまして 20mm 弾包は一発 200g もあるのだ。電動モーターを使う案まで試作されたが結局シンプルかつ巧妙な機構で自力給弾させる事に成功し、昭和 18(1943)年 10 月にはベルト給弾型の二号四型が量産されている。不思議なことに、弾倉式の三型より若干発射速度が向上したようだ。

彩二号四型を搭載する雷電 21 型は 18 年 10 月、零戦 52 甲型は同 11 月に試作一号機が完成しています。この異常な早さはベルト給弾銃の成功を前提にした機体の並行開発というリスクを冒していたんですね。

さ大変なプレッシャーのなかでよくもやり遂げたものだ。恵理子さん、偉い偉い。

恵でも口の悪い人には「ベルト給弾でも 25 発しか増えなかった」なんて言われるんですよぉ。しくしく…。

さ零戦の場合は弾数の増加より、主翼下面の膨らみが引っ込んだ事と装弾作業が楽になった事が重要だと思うがなぁ。

彩零戦の装弾パネルは主翼下面にあり、主翼上の穴からロープを垂らして弾倉を引っ張り上げ固定する作業が必要でした。フル装填した百発弾倉は 37Kg もの重さがあり、二人がかりで行う危険な力仕事だったようです。

ささて、次に海軍は発射速度向上に取り掛かる。前述のように二号銃の低発射速度は深刻な問題だったが、バッファ・スプリングによる増速装置を取り付け約 620 発/分を達成したという。だが、これが量産機にまで反映されたかどうかはデータ不足で今一つはっきりしない。

恵五型ではボルト軽量化など更に改良を続けて驚異の 720 発/分を達成してます!…でも終戦には間に合わず、少数の試作品が出来た段階で終わっちゃったんですけど…。

彩恵理子さん、かわいそう…。

さ不遇な妹さん十四試 14mm の話は既に出したが、実は恵理子には不遇な姉さんも居たのだな。

恵はい…ちゃんと制式採用されたのに、たった 50 挺しか生産されなかった二式 30mm 姉さんです。

彩二式 30mm は全長 2.1m、自重 50Kg、弾頭重量 264g、初速 710m/s、発射速度 400 発/分、ドラム弾倉式で装弾数 42 発となっています。

さ海軍によると少数生産の理由は「威力・発射速度・装弾数ともに不足のため」となっているが、対戦闘機用には不適でも重爆相手には有効な兵器になり得ただろう。陸軍の 37mm ホ-203 だってカタログ性能では凡庸きわまりない兵器だが防空戦ではそれなりに活躍しているぞ。

恵何やってるんでしょう…。

彩99 式二号銃の威力に満足していた海軍は、多少威力に優れるというだけで新たな大口径機銃を整備したくなかったのかも知れませんね。

さ九九式 20mm と開発・製造元が同じ二式を量産する為には、20mm のラインを割かねばならないからな。戦時体制で 20mm 機銃の量産に拍車が掛けられている真っ最中に、生産ラインを乱したくなかったという事情はわかる気もする。

恵でもー、せっかく開発したのにー、ぶーぶー。お姉さんが可哀相ですー。

さとにかく海軍は二式に見切りを付け、より高性能な 30mm 機銃の開発を決意する。これが前にも何度か出てきた五式 30mm で、それまで陸軍と縁の深かった日本特殊鋼河村正弥博士によって開発された。博士は 20mm 97 式自動砲の設計者であり、ガス圧式機銃については当時日本の第一人者だった。

陸軍機銃の父
河村正弥博士

恵それで五式は「陸軍ホ-1/ホ-3 の血を引いている」という訳なんですね。

彩五式のルーツを溯るとフランスのオチキス(Hotchkiss)に行き着くようですが、日本で独自の進化を遂げた結果ほとんど別物になっています。

さ基本的に反動利用式だが、ガス圧による加速装置を備えておりどちらとも言い難い。ボルトが前進しながら銃身とロックされ撃発する「オープンボルト API ロックド・ショートリコイル」という世界的にも珍しい凝ったメカニズムを備えている。いわゆるフロート・ファイヤリングの一種で反動削減の効果があった。

彩重量 70Kg、30x122 弾、弾頭重量 345g、初速 710m/s、発射速度 450 発/分。陸軍ホ-155 と比べると弾頭重量が 46% も大きいのが目立っていますね。ドイツの MK103 と比べると火力が若干劣る代わりに重量も約半分になっています。

さ重くて長い MK103 はモーターカノンないし双発機用だったが、五式の重量とサイズなら単座戦闘機にも何とか主翼装備可能だ。二式と違ってベルト給弾のため機体の許す限り弾薬を携行できるし、海軍が決戦兵器として多大な期待をかけた気はわかるのだが…いささか期待しすぎた事は前にもちょっと出したな。

恵最終試験完了前に試作図面で量産発注して、欠陥品を乱造したって話ですー!

彩約 2000 挺以上が量産されたにも関わらず故障続出で実用にならず、回収改良しているうちに終戦になってしまったようです。

さ少数が彗星や彩雲に斜銃として搭載され出撃しているが、反動の物凄さと故障の多発だけが伝わっており戦果を挙げた記録はない。MK103 より軽いとはいえ既存の小型機に積むには重過ぎる機銃だったのだろう。本命は「震電」「秋水」「烈風改」などの次世代機だったが、もちろん戦争に間に合う筈もなかった。

恵全くもう、何やってんでしょう。姉さんを粗末に扱った罰です!

第二次大戦 日本海軍大口径航空機銃
名称重量使用弾薬弾頭重量初速発射速度作動機構備考
30mm Type2 50Kg 30x92RB 264g 710m/s 400rpmAPI Blowback 42rnds (Mod.Oerlikon)
30mm Type5 70Kg 30x122 345g 710m/s 450rpmGas/Recoil
1m
WW2 日本海軍大口径機銃機銃


白く途切れた夢の切れ端

さ以上で日本機銃の解説は終わりである。ここで紹介した以外にも興味深い試作銃は沢山あるのだが、切りがないので割愛した。

恵何だかんだ言って、結構ガッツ入ってましたねー。

さ一番身近なようでいて、一番謎の多い世界だからな。

彩日本機の武装コンセプトをまとめると、陸軍は 12.7mm x 4 から 12.7mm x 2 + 20mm x 2、海軍は 7.7mm x 2 + 20mm x 2 から 20mm x 4 へ変遷し、どちらも 30mm への移行中に終戦を迎えたことになりますね。

さコンセプトも明確で発想も健全だと思う。惜しむらくは開発研究生産のリソースが陸軍と海軍に二分され、ほとんど同じような機銃を別の時期に別の仕様で開発する愚行が頻繁に見られたことだ。

恵陸軍ホ-5 や海軍三式ですね…。

彩あと、基本メカニズムが外国製のライセンスやコピーばかりなのも目に付きますね。別に独自メカだから偉いってことはないんでしょうけど、やっぱり日本という国の総合技術レベルを示唆しているような気がします。

さ1888 年設計のヴィッカース/マキシムのライセンスを買ったのが 1928 年だぞ、その時点で 40 年遅れていると言っても過言では無かったのだ。戦前戦中にかけて技術者も兵士も血の滲むような努力で健闘したが、所詮勝てる戦争ではなかった。

彩隼は機首同調機銃しか積めなかったから駄目だったとか、零戦は 20mm に固執したから駄目だったとか、そういう次元の問題じゃないですよね。

さ戦争の勝敗は、戦闘が始まる前の状況であらかた目処が立っている。日本は満州問題で国際連盟の椅子を蹴り、ヒトラーの甘言に乗せられて三国同盟に入った時点で負け籤を掴んでしまっていた。兵器の性能云々でどうなる問題じゃない、だから超兵器で大逆転なんたらとかいう仮想戦記は虫が好かんのだ。

彩ささきさん、仮想戦記に触れると筆が荒れますねー。

恵可愛さ余って憎さ百倍って感じですかー?

彩きっと自分にも「大和最強!」とか「震電最高!」とか「四式中戦車萌え!」とか叫んでた過去があるんでしょうねー。

さち、違う、違うと言ったら違うぞー!!

彩ムキになって否定するとこがまた怪しいですね。

恵ねーっ!


編集後記


彩読者の皆さんお付き合いありがとうございました。また前回より少しサイズ増えましたね、ささきさんの中年腹みたい。

さほ、放っといてくれ!!

恵今回、リクエストの多かった日本機銃を紹介したわけですが…こんなもんで良かったんでしょうか?

さキ-109 や銀河の機載 75mm 砲についても取り上げて欲しい、というリクエストはあったのだがな。なんせテーマが「機銃」なもんで、手動装填砲については割愛させて貰った。

彩タイトルは「KANON in the AIR」なのに…看板に偽りありですね。

さま、空飛ぶ大砲達についてはそのうち別枠で取り上げようとも思っている。これはこれで結構深いテーマだしな。

彩前回予告のあった主要戦闘機武装一覧については?

さブローニングこきおろしコーナーでデータだけちょっと紹介しただろ。数字を出してゆくのは楽しいのだが、読みやすい形に整理するのが難しくってな。戦後編までの中継ぎとして別枠でまとめようと思っている。

彩逃げてばかりですね…。

恵「逃げるなら書くな」って言われちゃいますよー。

さそれを言うなら「逃げるなら賭けるな」だろうが。それに逃げてるわけじゃないぞ、きっぱり逃げてるのは数式的に弾道を解説する試みだけだ。

彩…。

さま、それも機会があればまた別枠で…。

恵言い訳ばっかりですー!!

彩やっぱり逃げてるんですね…。

さ違うと言っておろうが!

恵「逃げるなら書くな」

彩「逃げるなら書くな」

さだ、だから違うって…。

恵「逃げるなら書くな」

彩「逃げるなら書くな」

さ…シュン。

恵やたっ!勝ちましたね、彩華さんっ!

彩正義は最後に勝つと決まってるのよ。

さあの、まだ最後じゃない…つもり…なんだけど…。


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